ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




日本銀行本店本館。中央区日本橋本石町2。1986(昭和61)年2月16日

日本人による最初の本格的な西洋式の様式建築として、建築史の上でも最重要物件である。以下、主に『三幸エステート>都市の記憶>日本銀行本店本館』を参照して、日銀の役割などは別の機会に勉強することにして(たぶんしないと思う)、ハードの方、つまり建物について述べる。
本石町の金座跡地に本店を建てる計画が起こったのは、明治15年に設立されて6年後の明治21年。「明治23年(1890)9月より7年の 歳月をかけて明治29年(1896)2月に現在の日本銀行本店本館の建物が竣工する」。設計は東京駅が有名な辰野金吾。施工は分業請負。構造は「煉・石張・地上3・地下1」。「1階部分はほぼ完全な石造りで、2~3階部分は煉瓦を素材として外側に薄く裁断した花崗岩を貼り付けてある」。
外観は「様式は、ルネサンスともバロックともつかぬちぐはぐな折衷と評せられるが……」(『近代建築ガイドブック』〈東京建築探偵団著、鹿島出版会、昭和57年、2300円〉)、
「ルネッサンス様式にバロック的手法を加えた大建築で……」(『スーパーガイド 建築探偵術入門』〈東京建築探偵団著、文春文庫、1986年、480円〉)、
「構成的には装飾味の強いネオ・バロック建築様式だが、壁面などを中心にルネサンス様式の意匠が採り入れられており、……」(都市の記憶)、
などとある。ぼくなどにはよく分からないが、見る人が見ればなんとなく違和感を持つらしい。



日本銀行本店本館。1986(昭和61)年2月16日

辰野金吾の作品で、ぼくが見たことがあるものを以下に書き出してみた。
日本銀行本店(1896年、東京都日本橋区)、日本銀行大阪支店(1903年、大阪府大阪市)、国技館(1909年、東京都墨田区、1982年に解体)、奈良ホテル(1909年、奈良県奈良市)、日本銀行小樽支店(1912年、北海道小樽市)、中央停車場(現・東京駅、1914年、東京都千代田区)、大阪市中央公会堂(中之島公会堂、1918年、阪府大阪市)。

本石町は「ほんごくちょう」と読むが、『東京文学地名辞典』(槌田満文編、東京堂出版、昭和53年、4900円)では「ほんこくちょう」。『改訂東京風土図』(サンケイ新聞社編、教養文庫、昭和41年、560円)も同様だ。いつのまにか、大勢に押されて変わってしまったのだろうか?



日本銀行本店本館。1986(昭和61)年2月16日

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