
NTT東京市外電話局。千代田区大手町2-2。1985(昭和60)年11月4日
日本電信電話公社が民営化されたのは1985(昭和60)年4月1日。普通は電電公社といわれ、民営化後は日本電信電話株式会社になってNTTといわれるようになったのかと思ったら、NTTの英字略語は公社のときから使われていたという。
昭和55年発行の道路地図では「丸の内電話局」で、「大手町電話局」というのが逓信総合博物館の北にある。
電話局の建物は2棟がくっついて上の写真は南棟(ぼくのかってな命名)で、「ヒ」の字型の平面をしている。歴史的建築総目録DBによると「名称:丸の内電話局、竣工:大正12年、設計:逓信省」。そうすると完成直後に関東大震災に見舞われたのだろうか。

NTT東京市外電話局。1986(昭和61)年6月1日
歴史的建築総目録DB によると「旧名称:中央電話局、竣工:昭和2年、設計:逓信省(中山広吉)、施工:大林組」。
建築史で有名な山田守設計の東京電信電話局はNTT東京市外電話局の東側にあった。1925(大正14)年9月の竣工だが取り壊されたのは1969(昭和44)年で、異常に早いように思える。構造的な欠陥でもあったのだろうか。この建物だけは実物を見たかった。

NTT東京市外電話局・北側。1986(昭和61)年6月1日
前の道路は左へ行くとJRの高架をくぐって常盤橋へ通じる。
現在は「アーバネット大手町ビル」となって、入り口前の広場に「東京市外電話局誕生の地」碑がある。NTT東日本>エリア情報>電話ゆかりの地に「明治23年(1890年)12月16日辰の口に東京電話交換局が開設され、明治25年7月7日に大手町に移転しました。東京市外電話局、東京電話番号案内局として日本の電話交換業務の中心的役割を果たしました。(昭和62年8月建物再開発にともない、輝かしい歴史の幕を閉じました...)」という説明文がある。
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今は残っていない貴重な近代建築の写真に関心を持って拝見致しております。
昭和の末頃にはこうして建っていたのですね。
下の2枚は震災後に中山広吉が設計の電話局舎ですね。上の1枚(パラペットが3連曲線の棟)だけは
大正9年に雑誌に掲載されています。私は恐らく渡辺仁の設計だろうと考えております。
下記HPに当初の写真を載せております。
「分離派建築博物館」-「逓信省の建築」
http://www.sainet.or.jp/~junkk/teisin/nihonbasi.htm
「分離派建築博物館」は関心をもって見ていたサイトですが、東京中央電話局が載っていたのは失念していたようです。
ついでに少し見直していたのですが、大塚ビルが「白木屋大塚分店」として掲載されていて驚きました。前から気になっていたので昨年暮れ頃、写真を撮ってきたとこだったからです。貴重な建物だったのですね。
東京市外電話局?確かこの建物だったと思うのですが”地方統制局”と言った気が。一部のセクションだったのか。
違う建物でしょうか。(車便乗だったので大手町と言うだけでハッキリしません)
電話網の監視制御装置を納めていて、その運転状況の確認でした。
建物外観で想像したとおり内部も古めかしく、広い廊下の壁もシミだらけでこんな所に納まっている?
なんて半信半疑でしたが、担当官に案内され突然入った部屋にビックリ仰天。
今で言うロケット打上の管制センターの様でした。まるで映画館です。
全国にあるNTT局舎と同じだろうと想像していたので、みな開いた口がふさがらない状態でした。
大きなスクリーンに日本全図が投射され電話網が血管のように映し出されてました。
端末操作で一部を拡大したり世界規模になったり、様々な情報映像に。
スクリーンの背後からサーチライトのような3個の光源で当射されているんです。
1984.5年だったと。公社から株式会社に変わった頃です。
最新鋭設備でまだ口外無用にときつく言われてました。(もう時効ですよね)
建物って外からでは想像も出来ないような仕組みがあったりして面白いですよね。
古びていても内に秘めた輝きを想像するのも一興かと。
建物そのものの情報でなく失礼しました。