ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





上:マスミ荘。台東区千束4-11
左:大和田荘。千束4-13。2011(平成23)年9月11日

吉原遊郭は空襲で焼き払われ、戦後は赤線として再出発した。1958年の売春防止法の施行により赤線が廃止されるまでに、娼館として建てられ営業していた建物が今でも残っている。多くはソープランドに建て直されたと思うのだが、ソープランドの営業禁止区域では娼館だった建物(カフェー建築)のまま、アパートに転業してそれがまだ何軒か残っている。当然、最近は激減していると思われる。
カフェー建築は旧吉原の土手通り寄りの「伏見通り」に多く残っていた。伏見通りとは、江戸期に大門の南の町筋が「伏見町」で、そこから来ている。この路地の裏の路地は「お歯黒どぶ」だった。「プリンス(岩淵荘)」が有名で、「モリヤ(森屋荘)」「金よし(旅館金よし→金井荘)」「親切(大和田荘)」が今はない。

マスミ荘は看板建築にした建物で奥は裏の路地までと深い。両端の柱形は円柱をかたどっている。旧屋号を「満寿美」としているサイトがある。1966(昭和41)年の住宅地図では「旅館ますみ」、1986(昭和61)年のでは「マスミ荘」となっている。
大和田荘はやはり看板建築にした建物で、4本の円柱型の柱形で飾っている。正面には入口が3カ所。赤線時は「親切」という屋号だった。2016年頃に取り壊され、3階建てのマンションに建て直された。


旧・黒潮。千束4-11。2011(平成23)年9月11日

看板建築ではあるが、なんとも現代的なデザインのファサードだ。正面が平面的だから看板建築というわけだが、この建物はそれが立体的。「黒潮」という屋号から波を連想するような造形を考えたのだろか。建物は奥に長く、裏は裏の路地に面している。
1966(昭和41)年の住宅地図では「黒潮」と裏が「日の出ビリヤード」。

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コメント
 
 
 
Unknown (定マニア)
2021-10-11 20:12:49
マスミの内部は見られませんが、千束4丁目に「ますみ寿司」に行けば、貸し座敷だった頃の雰囲気を味わえると思います。行けば分かります。ただし、酔っぱらって、通りの向こうの「ジョー」に絡むのは危険です。
 
 
 
>定マニア様 (流一)
2021-10-14 12:59:07
一人で寿司屋へ入って一杯やる、とタイプの人間ではないので、まあ行かないかな。そういうのに憧れはありますが。
「荷風! Vol.2」(日本文芸社、平成16年)に、ますみ寿司の自宅として使っている「マスミ」の内部を紹介したコラムがあるので紹介しておきます。
「細長い廊下の両側には襖で仕切られた7つの部屋が並んでいた。廊下は裏側にも抜けられて、裏口には“お歯黒溝”につながる古い石段が…」
 
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