稲川楼(銭湯)。神田小川町2-4。1985(昭和60)年10月
場所は靖国通りの北の裏通り。大好き神田>小川町北部二丁目町会>稲川楼の歴史によると、看板にあるよう明治2年創業し、平成4年に廃業している。写真の建物については言及していない。空襲では焼け残った地域だが造作が簡易すぎるようにも見え、戦後の建築かもしれない。
東京共成社の並び。神田小川町2-6。1985(昭和60)年10月
靖国通りから北へ、日大理工学部の前を通ってJRお茶の水駅の方へ上がっていく通りがある。「お茶の水仲通り」という愛称がついたらしい。写真は靖国通りから入ってすぐのところ。大協石油駿河台給油所ごしに、左から、東京共成社(ビニール艶出し加工)、山内商店、丸十(パン)、姑娘菜館、名古屋きしめん。
東京共成社。1988(昭和63)年6月5日
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この界隈のこの並び、懐かしいです。
大学の近くなのでよく前を通ってました。
この銭湯も一度も入らずじまい。
この写真に写っている町並みは
ほとんど解体・建て替えされたようですね。
小川小学校も無くなりましたね。
私は写真を撮りそびれてしまいましたので、
またリクエストいたします。
懐かしすぎる写真を見れて感激してます。
稲川楼は、野球部の先輩の家業でして、
よく入りにいきました。
思い出たっぷりです。
カテゴリーとしての神田はいつのまにか50件を越えましたが、あとまだ同じぐらいの件数が残っています。これを機によろしくお願いします。」
詩人の田村隆一さんのエッセイに出てきたので興味深く、
写真が見られて感激しました。もうないのですね。
すてきなブログをありがとうございます。
他のページもゆっくり散歩したいと思います。
田村隆一が稲川楼でくつろいだことがあったのでしょうか?
当ブログの読者も、おかげさまで少しずつ増えています。これからもよろしくお願いします。
「……学校(教師をしていた大学)へ行かない日は、銭湯めぐりばかりやっていた。ぼくの経済力では、銭湯が最高のホビーだった。その癖がついて、どこに行くのにも、石けんとタオルとカミソリを、ビニールの袋につめて歩いた。神保町に出るときは、東京堂裏のスミレ湯、筑摩書房のそばの稲川楼をひいきにした。大学の周辺の銭湯も、四軒は入っている。……」
東京共成社のとなりの山内商店だけが現存して
います。おそらく撮影は手前にあったガソリン
スタンド越しと思われますが、そのガソリン
スタンドもとっくに店じまいし、現在はビルに
なっています。
山内商店は履物屋さんですね。いまもたまに
お店を開けています。
親戚が経営していた店が写ってます。
私も学生時代その店でアルバイトさせてもらった事があり、又改めてここの写真を拝見して遠い昔を思い出しました。