ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




中央区立阪本小学校。中央区日本橋兜町15。2013(平成23)年8月31日

兜町に小学校があるというのが「?!」という感じだが、以前は都立紅葉川(もみじがわ)高校もあった。阪本小があるのは大震災前は「坂本町」で、1933(昭和8)年に日本橋区兜町1~3丁目が成立し坂本町は消滅した。今は「坂本町公園」の名前に残っていて、この公園は1889(明治22)年に開園したという古くからの公園で、わざわざ旧町名を付けたのではなく、昔からの名前が変わっていないということだ。ただ、古い地図では「坂本公園」としてあるのもあり、一般にもそのように言っていたのではないかという気がする。
阪本小の開校は明治6年5月、官立の小学校で「第一大学区第一中学区第一番小学 阪本学校」と称した。坂本町に開校したから阪本小学校なのだろうが、字が「阪」に変わった理由は不明らしい。
卒業生に谷崎純一郎がいる。入学したのは1892(明治25)年。「日本橋区阪本尋常高等小学校」といった時期で、阪本小のHPに「明治22年10月23日― 新築校舎落成、開校式挙行。新校舎は木造総二階」とあるから、まだ真新しい校舎で学んだのだろう。ぼくの父が卒業生である。今と同じ6歳で入学したのだとすると、1919(大正8)年の入学になる。谷崎より約30年近く後だが、谷崎が通ったのと同じ校舎かもしれない。そして5年生の時に関東大震災にあったことになる。今、計算しながら書いてきて初めて知った。そういえば父から関東大震災の話は聞いたことがない。写真の校舎が竣工する前に卒業してしまっている。


2011(平成23)年8月31日

写真の校舎は『日本近代建築総覧』では「区立坂〈ママ〉本小学校(旧東京市阪本尋常小学校)、日本橋兜町2-44〈旧町名〉、建築年=昭和3〈1928〉年、構造=RC3階建、設計=東京市、施工=大倉組、備考=「東京教育施設復興図集」による」。日本建築学会が中央区に出した『保存要望書』(2002.02.03)には、「起工=昭和2年2月23日、竣工=昭和3年3月15日、設計担当者=三輪幸左衛門(設計図の「設計」欄の印影による)」とあり、外観の特徴として「柱形を出し、窓はすべて矩形で、最上階窓上に深い庇を付けることで、建物全体にフォーマルな印象を与えている」としている。
中央区の計画では2017~18年に解体に着手して建て替えることになっているらしい。児童の親の世代はそれを望んでいる人の方が多いのだろう。



祝100年の記念写真。1973(昭和48)年5月7日

この写真がわが家にあるのは、父が卒業生だからということではあるまい。区議会議員の先生からもらったのではないかと考えている。

東亜興信所

上の写真の左下を拡大したもの。『総覧』に「東亜興信所、日本橋兜町2-48、昭和2年、RC3階建て、-、戸田組、メンデルゾーン風,年代は聞き込み」とあるビルに違いない。「メンデルゾーン風」とは聞き捨てならないが、航空写真ではそれがさっぱり判らない。戦前の火保図では「東京興信所」、「大正元年地籍地図」にも同所に「東京興信所」とある。火保図では住所は日本橋兜町2-52。
現在は「センターホテル東京」に建て替わっている。

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