ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




八重垣食堂。文京区根津2-36。1988(昭和63)年11月3日

不忍通りの根津神社入口交差点。右へいく道路が通称「藍染大通り」で、谷中のあかぢ坂に続いている。
角の八重垣食堂の場所は東京渡辺銀行の支店が建っていたところで、東京渡辺銀行頭取の渡辺治右衛門の屋敷があかぢ坂の北側にあったという(森まゆみ著『不思議の町 根津』(ちくま文庫、1997年)参照)。1927(昭和2)年3月14日に国会での片岡蔵相の「…現に今日正午頃に於て渡辺銀行が至頭破綻を致しました…」という失言で倒産したといわれる銀行である。またそれが昭和金融恐慌のきっかけになったともいわれる。実際のところは事情はもっと複雑なわけで、ぼくなどには理解不能だ。
写真を見ると八重垣には看板に「食堂」の字は見当たらない。住宅地図は「八重垣食堂」の記載であり、森まゆみも「八重垣食堂」を使っている。分かりやすい名称だが正式な店名だったのだろうか。撮影時で、さしみ定食1200円、てんぷら定食950円。



不忍通りの八重垣食堂の並び。1990(平成2)年5月6日

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コメント
 
 
 
今は蕎麦屋さんです (根津次郎)
2009-12-17 17:31:07
初めまして。根津在住の者です。
八重垣食堂の名前は聞いていたのですが、引っ越してきてまだ日が浅いので見たことはありませんでした。
私のブログでこのページの紹介しても構わないでしょうか?
http://nezu.blog.ocn.ne.jp/
 
 
 
>根津次郎様 (流一)
2009-12-18 09:05:10
始めまして。当ブログを製作している流一といいます。『根津日和』にこのブログを紹介してくださるとのこと、大歓迎です。よろしくお願いします。
貴ブログの『東京都指定食堂』とは、面白いものを見つけられましたね。実体があるのか気になります。
 
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