
一橋講堂。千代田区一ツ橋2-1。1983(昭和59)年11月(門の写真以外4枚とも)
『日本近代建築総覧』には「S7、設計:文部省、施工:清水組」とある。肝心の正面の写真は手振れを起こしているようでぼけているうえ、蔦に覆われて細部がさっぱり分からない。代わりに「建築家から見たマンションについての本音を公開します>懐古写真館>旧一ツ橋講堂」を紹介しておく。
昭和59年撮影の写真はたまたま門が開いていたので進入した。講演会でもあったのかもしれない。
現在は学術総合センターという23階建ての高層ビルに換わったが、そのビルの竣工は平成12年らしい。旧講堂はもしかして平成7・8年頃まで残っていたのだろうか?

一橋講堂・南側
一橋講堂・北側の前部と出入り口。1983(昭和59)年11月
右写真の階段手すりの上部はテラコッタかもしれない。同じ材料が建物本体の基部に使われている。

一橋講堂の門。1984(昭和60)年8月4日
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一橋講堂はたしかに平成7年頃までありました。
(正確な年月は覚えていません)
学生だったころに週二回、皇居を走って一周するトレーニングのために、この建物の前を通っていました。
おっしゃる通り蔦がすごくて細部がわかりませんでしたね。いつも門は閉まっていました。
私はここの写真を撮りそびれました。
毎週見ていたのに、残念です。
見ていないということはないはずなのですが、平成になってからの一橋講堂の姿はどうも思い出せません。私もasabata氏の「Tokyo Lost Architecture」にあるような写真を撮ってみたかったです。