ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




白妙橋。江東区塩浜1-3・4、塩浜2-2・3。2003(平成15)年10月11日

白妙橋は塩浜1丁目と2丁目の間の平久(へいきゅう)運河(平久川)に架かる橋。塩浜1・2は「枝川改修工事埋立地」として大正10年に完成、同11年に深川区に編入された。当時は「浜園町」(深川浜園町、現・塩浜1)と「塩崎町」(深川塩崎町、現・塩浜2)といったが、昭和43年の住居表示制度で「塩浜1・2」となった。昔はここで塩を作っていたかのような地名だが、塩崎町の「塩」と浜園町の「浜」を合わせた地名だ。塩浜の南が枝川1~3だが、枝川町も同時期の埋立て完了、深川区編入だ。
塩浜1丁目には「農林省東京米穀倉庫」(旧深川政府倉庫跡地)が地区の半分を占めていた。米騒動を受けて大正12(1923)年に建てられ、平成13(2001)年に取り壊された。今はマンションが建ち並んでいる。知っていれば撮りに行けたのに、残念でならない。



白妙橋。2003(平成15)年10月11日

白妙橋は1937年(昭和12)に東京市によって架けられた。『特異な構造の鋼下路アーチ橋-海幸橋-について』によれば、前身は木製の桁橋だったが、1936年(昭和11)9月の台風により被災したため、架け替えられたもの。
「設計には当時の東京市土木局橋梁課長の安宅勝や瀧尾達也らが関わっている」「架設は(株)宮地鐵工所により行われている」。構造は「ランガー式補剛タイドアーチ橋」で、築地市場にあった海幸橋と同じ構造で、一回り大きい。
とにかく珍しい構造らしい。『江東区内の橋めぐり>白妙橋』には「構造はランガー・アーチ橋(ランガー桁橋)で、アーチ部とランガー部の接合部のヒンジが桁の上にある珍しいタイプ。(通常はアーチと桁の接合部にあるのが普通)」とある。
「ランガー橋」というのは、桁橋に近い構造で、アーチは補強の役割を受け持つものらしい。

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