ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




中央区立常盤小学校。中央区日本橋本石町4-2。2005(平成17)年12月12日

『日本近代建築総覧』では「区立常盤(ときわ)小学校(旧東京市常盤尋常小学校)建築年=1929(昭和4)年、構造=RC3階建、設計=東京市、施工=大林組」。
2010年に日本建築学会が中央区に出した『復興小学校7校舎保存要望書』によると、復興小学校をRC造で建てるにあたって、東京市は設計規格を作成した。その思想は、まず児童の健康と安全を図るもので、採光・通風(窓面積)、室内換気(天井高)、廊下幅・階段幅等を決めている。校舎はL字型平面を基本とするが、敷地面積が小さい場合はコの字型にしている。また、片廊下型の平面をもつ桁行 2.85m×梁間 6.90m(普通教室の 1/3の大きさ)の構造ユニットで、平面計画と構造計画を一体的に行うという設計システムを用いている。
校舎のデザインについては特別の規格は作らず、各設計担当者に任されたようで、学校ごとに特色が出てくる。常盤小は「要望書」に「L字型校舎と体育館を組み合わせた、江戸通りに開くコの字型の平面……隣接する常盤公園に面して、校舎と体育館の間にアーチ形の表玄関を設け、公園と一体的にデザインされていた(現在は後に増築されたプール等により校舎と公園は完全に分離されている)。柱形を外に見せない点は設計規格と異なるが、立面は水平線を強調したデザインでまとめられ、1階窓下までを粗石仕上げ、2 階窓下に胴蛇腹(現存せず)を設ける3層構成となっている」などとある。
「表現派風の意匠が随所に残っている」(『スーパーガイド 建築探偵術入門』(東京建築探偵団著、文春文庫、1986年、480円))のが外観の特徴と言われる。柱型を見せない平面的な立面が、設計者がこだわったところのように思える。



常盤小学校。左:2005(平成17)年12月12日、右:1985(昭和60)年12月31日



白旗稲荷神社。日本橋本石町4-5。1985(昭和60)年8月4日

常盤小の裏手にある神社。境内の「白旗稲荷神社来歴」に、「昭和49年2月、東北・上越新幹線東京駅乗り入れのための用地買収に応じ、現在地(本石町4-5-16)に移転現在に至る」とある。移転してくる前は写真の裏通りの左手、通りに出る角にあった。
写真右に「クラブ枯淡」が写っているが、今は建て替わった小さなビルに「天ぷら 板忠」が入っている。

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