ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




東洋。墨田区墨田3-2。2008(平成20)年12月6日

戦後の赤線、玉の井のカフェー建築というと、かならずこの建物が登場する有名物件だった。残念ながら今は取り壊されて2棟の住宅に建て替わってしまった。最近まであったのでずいぶんと写真には撮られただろうから、以て瞑すべし、というところだろうか。
前の通りは東武伊勢崎線の高架下から東へ向かい、やがて南へカーブして玉の井いろは通りにぶつかる通りで、赤線街だった頃は「本通り」といった。『玉ノ井 色街の社会と暮らし』(日比恒明著、2010年、2800円)によると、「元々は私道であったのだが、地主、借地権者が区に贈呈して区道になった道路である。一番の大きな通りであって、地元の住人や遊客が一番利用することが多いために本通りと名付けられたのであろう」としている。当書の「昭和28年頃のカフェー街」の地図では建物は「東洋」である。
周辺は空襲での消失を免れた地区だが、昭和22年の航空写真では東洋はまだ建っていないのでそれ以降の建築である。赤線廃止後は、1968(昭和43)年の住宅地図では「旅館福井」で、旅館に転業したようである。玉の井のカフェーとしては大きな建物だったので旅館への転業が可能だったのだろう。コメントに寄せられた情報によると、東洋の経営者は赤線廃止後、土地建物を売り払い、購入した人が旅館を経営したという。仕事で上京してきた人の利用が多かった。


左:2008(平成20)年12月6日、右:2009(平成21)年3月29日

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