ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




松戸中央公園正門。千葉県松戸市岩瀬。2012(平成24)年2月9日

松戸駅の東にある丘を相模台という。ほぼ斜面の林が取り囲んでいる丘であるが、台地の先端の半島状の地形で、標高は28m。松戸駅から見ると斜面はビルが立ち並んで丘を隠してしまっている。丘の上の中央公園や聖徳大学に出るには階段や坂道もあるが、もっぱらイトーヨーカドーのエスカレータが利用される。
相模台一帯は戦前は、陸軍工兵学校だった。写真の古い門はその正門だったもので、当時のままの場所に残されている。工兵学校の設立は1919(大正8)年12月で、煉瓦の正門はそのときに造られた。コンクリートの歩哨哨舎は昭和になってからのもの。
工兵学校の学生は一般から募集しているわけではなく、「全国の部隊から選抜派遣され、下士官候補生1年、甲種学生半年といった教育期間を経て、原隊に復帰し、工兵として各種任務に従事した」(『陸軍工兵学校と松戸』)。
ネット上での工兵学校の絵はがきや地図などの資料は、『表の家』が充実している。



goo古地図>正和38年航空写真より。建物名は陸軍工兵学校だったときのもの。

戦後は陸軍工兵学校の施設は無傷で、1949年(昭和24年)に新制大学として創立された千葉大学工学部に受け継がれた。千葉大工学部が1964(昭和39)年7月に西千葉に移転した後、跡地は公園、聖徳短大、市立第一中学校、国家公務員宿舎などになった。松戸中央公園の開園は昭和41年3月1日。
ぼくは昭和38・39年に千葉大工学部に進もうとして、松戸の校舎で試験を受けた。自分の実力を顧みない無謀なたくらみだったが、高校を出たくらいでは世間のことはなにも知らないからしかたない。上の航空写真が受験した頃の工学部である。50年も前のことで憶えていることはほとんどない。陸軍工兵学校のことなどは知らなかった。地獄坂を上って行って正門から入ったはずだが、本部の建物のことなどは記憶にない。試験場は正門右の東西に長い校舎に間違いない。校舎の横に広いグラウンドがあったのを記憶している。グラウンドの向こうに兵舎だった建物を見たはずだが、あやふやである。現在は聖徳大学の南の駐車場になっている場所に当たる。

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