ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



荒庄鳴河。日本橋富沢町11。左:1987(昭和62)年4月5日、右: 1985(昭和60)年10月20日

日本橋富沢町は馬喰町、横山町、小伝馬町、大伝馬町など中央区北部の繊維関係の卸業が集中する地域の中にある。
左写真は荒庄鳴河の前の大門通りの南東方向を見ている。中央のビルが中平で、このビルも古そうだ。右端に常陽銀行堀留支店(現ハリオガラス)。
戦後すぐの火保図ではこのビルは豊田工機などの入る「豊田ビル」である。北隣に「荒庄ビル」があるから、後にこのビルまで使うまでに会社が発展したのだろう。昭和7年の火保図では「齋藤嘉商店」というコンクリート造り3階建ての建物になっているが、そのビルだろうか。


荒庄鳴河・東南の側面。1986(昭和61)年2月9日

「荒庄鳴河」をネット検索すると「Bankruptcy cases 2-1破産」というサイトが出る。そこに簡単に会社の沿革が記されているので書き写しておく。『業種:呉服・和装品卸。1884(明治17)年:創業(荒居庄三郎商店)。1936(昭和11)年12月:(株)荒居商店として設立。1962(昭和37)年:(株)荒庄へ商号変更。1969(昭和44)年:鳴河(株)の子会社になり荒庄鳴河(株)へ商号変更。2000(平成12)年11月:破産宣告』。名古屋の大手だった鳴河(株)も同時に破産し、業界では和装関連の大型倒産となったらしい。


荒庄鳴河・ベランダ風の装飾と紋章と飾り帯。1986(昭和61)年頃

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