ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




東京穀物商品取引所。中央区日本橋蛎殻町1-12。1986(昭和61)年1月

渡辺節の設計、大林組の施工で昭和4年の建築。建築時は東京米穀商品取引所第一部としての建物だったらしい。敷地面積はかなりあるのに2階建てである。イオニア式オーダーを並べた前面の右半分の窓が1・2階を通しているのは改装されてのものだろうか。
現在のビルは昭和62年12月の完成。



1986(昭和61)年4月13日(2009.07.24追加)

1984(昭和59)年8月

東京穀物商品取引所の設立は昭和27年9月のことだが、前身は明治7年設立の中外商行会社という米の先物取引所。それが蛎殻町米会所、東京米商会所と名前を変え、明治41年に東京米穀商品取引所になり、第二次世界大戦などで統制経済が強まり、昭和14年7月に閉鎖された。(東京穀物商品取引所>取引所概要「沿革」より)

米相場・蛎殻町のキーワードから相場師の話題に入る知識がない。ぼくの場合は谷崎潤一郎である。谷崎は1886(明治19年)東京市日本橋区蛎殻町2-14(現人形長1-7)で生まれた。ツカコシビルに「誕生の地」の説明板とプレートがある。谷崎の祖父久右衛門が谷崎活版印刷所を経営していたところだ。米相場の新聞を発行したりしていたらしい。「大正元年地籍地図」には蛎殻町一丁目二ノ二に「谷崎久兵衛商店」の記載がある。「東京米穀商品取引所」の斜め向かいだ。『群像日本の作家8谷崎潤一郎(小学館、1991年刊)』の年譜には、「(潤一郎の父の兄)が久右衛門の長女花の婿養子になり谷崎久兵衛と名乗って蛎殻町一丁目に分家し、米穀仲買店仐(やまじゅう)商店を営んでいた」とある。あるいは無関係なのかもしれないが。


東京穀物商品取引所(裏側)
1985(昭和60)年10月

この向かいに「天音」というわりと有名な天ぷら屋がある。

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