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グーグルの地図を検索しても出てこなかった。
あの川を北に500メートルのはずだ。
1キロ先にまで伸ばして探してみたが『メゾン ナナソ』は見当たらない。
確かにナナさんは風呂帰りのクミちゃんと大介くんの後を、一分ほどおいて川沿いを帰って行った。
風呂屋までは分かった。
鶴の湯という銭湯で、グーグルをウォーキングモードにして地図の中を歩いてみても、ちゃんと鶴の湯はあった。でも、その先が判然としない。
これは川沿いといっても路地を入った脇道なんだろう。グーグルの地図でも入りきれない脇道はいくらでもある。
ナナさんが気になったのか、時代遅れの『メゾン ナナソ』の名前から思い浮かべたアパートが気になるのか、クミちゃん大介コンビの醸し出す昭和の匂いが引きつけるのか……たぶん全部。
グ~~~~
いや、それ以上考える前にボクは朝飯を食べていないことに気づいた。
財布をつかんでコンビニを目指す。
コンビニは臨時休業だった。
ドアの前に警官が立ち、規制線のテープが張られている。
あ……思い出した。
昨夜夢うつつでパトカーのサイレンを聞いた。このコンビニに強盗でも入ったんだろう。
仕方なく、もう一つ向こうのコンビニを目指す。
その途中で気づいた。
これは、あの川沿いの道に出る。スマホで検索すると、川沿いに一度だけ行ったことがあるコンビニがある。
目標変更。
コンビニで、パンとカフェオレを買って、外に出た。
照り付ける太陽にクラっときて自転車にぶつかりそうになった。
自転車は器用にボクを避けて川沿いを北の方に……少し驚いた。
自転車は、今時めずらしいドロップハンドルに八段はあろうかと思われる変速機がついていた。
えらい自転車マニアなんだと思いながら自然に川沿いを北に歩いていった。
『メゾン ナナソ、この先北に300メートルです』
スマホが、検索もしないのに教えてくれた。
資材置き場を過ぎると道幅が狭くなり、細い路地が目に入った。
路地を抜けると、そこに『メゾン ナナソ』があった。
木造モルタル二階建て。玄関は申し訳程度の庇があり、庇の上には木彫り金塗りの『七十荘』の立体文字が薄汚れて傾いている。間口一間の入り口は両開きだけど、片方だけが開いていて、閉じた側にはアクリルかなんかの切り抜きで『メゾン ナナソ』とあった。
「あら、夕べのキミじゃない!」
ナナさんが、アパートの横から箒を持って現れた。
「お早うございます」と言いながら、手に持っていたコンビニの袋が無くなっているのに気付いた。
「ハハ、朝ごはん買いに出て、落っことしちゃったの?」
笑いながらナナさんは、トーストを焼いてスクランブルエッグをこさえてくれた。
「ナナソって、七十って書くんですね」
「うん、すごく読みにくいから入り口にカタカナにしたの」
「じゃナナさんのナナソも七十って書くんですか?」
「そうよ。子供のころから苦労したわ。だれがよんでもナナジュウだもん。下のナナは奈良県の奈に菜っ葉の菜。これはまんまだから、たいがいナナちゃんで通ったけどね。あ、そういや、君の名前聞いてなかったよね」
「ですね。ボク……こう書くんです」
メモ帳を借りて、山田五十六と書いた。多分読めないだろう。
「ヤマダイソロク……君もちょっと珍しいね」
ナナさんは、あっさりと読んでしまった。
「今時アパートの経営ってむつかしいんでしょうね」
失礼な質問をあっさりしてしまった。
「古いからね、七部屋あるけど、詰まってるのは六部屋だけ。月二万円」
「二万円!?」
「よかったら空いてる部屋見ていく?」
部屋は意外に広かった。
四畳半のキッチンに八畳の部屋にトイレ付。これなら五万でも安いと思った。
「気が向いたらいつでも越しといでよ。今のアパート、ここの倍は取られてるでしょ?」
「ええ……」
「お風呂が無いのがね……管理人室にはちっこいけどあるの。女性に限って使ってもらってる。男の邪魔くさがりは台所のシンクで風呂がわり。みんな器用よ」
「失礼ですけど、家賃収入だけじゃやってけないでしょ?」
「もちよ。あたしはボランティアのつもりで管理人やってるの。相続したときは即更地にして売り飛ばそうと思ってたんだけどね」
「なにか、わけでも?」
「みんないい人ばっかだからね」
それから他愛ない話をしたが、ナナさんの本業が作家だということ以外は忘れてしまった。
話し込んでいるうちにボクは眠ってしまって、気が付くと自分の部屋で居眠っていたから……。