ライトノベルベスト はるか・12
その連絡が入ってきたのは、明くる朝の十時ごろだった。
「はい、はるか」
由香かな……ぐらいに思い、ディスプレーも見ず軽く出た。
『T署交通課の秋本と申します。坂東はるかさんの電話ですか?』
「は、はい、はるかですが」
なんだろういったい?
『伍代英樹さん、ご存じですか?』
「はい……父ですが」
『じつはですね……』
あとは上の空だった。
気がついたら、オレンジ色の愛車に乗って、T会病院を目指して走っていた。
踏切は閉まっていて、駅の跨道橋を愛車をかついで渡った。
重いとも思わなかった。
――お父さんが、交通事故? なんで、なんで高安で?――
「免許証で、東京の方には連絡したんですがね。手術もやることやし、他に近所にお知り合いの方がと思て、携帯のアドレスを見せていただいたんですわ。ほんならトップにあんたさんのアドレスがあったんでかけさせてもろたんです。娘さんなんですね」
白髪交じりのお巡りさんが、いたわるように言った。
「はい、離婚したんで苗字は違いますが、父です。で、様態はどうなんでしょうか……」
「右大腿課上骨折。あ、右脚の太ももの骨ですわ。意識がおぼろげやったんで、まあ、事故の直後はようあるもんです。CTでも異常が無いんでオペの最中です。一応所持品とか見てもろて確認いいですか?」
群青のポロシャツが切り裂かれ、血で黒く染まっていた。胸の紙ヒコ-キだけは血に染まらず、その白いワンポイントが際だっていた。他の所持品も全て見覚えのあるお父さんの物だった。
「まちがいありません……」
お父さんは、駅前を一筋入った小さな交差点でバイクとぶつかったようだ。事故の様子は実況見分中だそうだが、目撃した人の話では、赤信号なのに、お父さんがふらふらっと、交差点に入ってきたそうだ。
初めての街、細い道路、信号に気づかなかったのかもしれない。わたしも越してきたころ、何度かヒヤっとしたことがある。
この病院の窓からも、目玉親父大権現が見える。
思わず「お願いします……」という気持ちになる。
それを察してか、お巡りさんが言葉をかけてくれる。
「大丈夫ですよ、脚の骨折っただけやさかい。すぐ元気にならはります。ほんなら署に戻りますんで、なんかあったら、ここに」
とメモをくれて、病院を出て行った。廊下を曲がって姿を消す直前に、瞬間振り返って笑顔。後ろに若いお巡りさんが付いていたけど、これは無表情。こんなとこにもキャリアの違いって出るんだ……少しホッとした。
看護師のオネエサンがやってきて、入院の手続きやら、なにやらの承諾書を持ってきた。
「すみません、親が離婚してて、戸籍上の関係が……」
「分かりました、東京の方がこられてからでけっこうですから。大丈夫、意識もすぐにもどりますよ。麻酔が覚めたら、大騒ぎやと思いますから、側にいてあげてください」
「はい」
看護師のオネエサンはバインダーを持って立ち上がって、こう言った。
「お父さん、あなたに会いに来られたんじゃないかしら……」
「え……」
「『はるか……』って、うわごとでそればっかし。で、ケータイにあなたのアドレスもあったんで……ごめんなさい、余計なこと言うてしもて」
「いいえ、ありごとうございました」
わたしが余計なことをしたから……血染めのポロシャツが頭をよぎった。
「はるか!」
肩を叩かれるまで気がつかなかった。
「なんでお母さん……」
「なんでって、はるかが電話してきたんじゃないのよ」
……わたしってば、いつの間に。
「で、あの人の様態は?」
「うん、いま手術中。麻酔が覚めたら大騒ぎだそうだから……あ、右脚の骨折だけだから、大丈夫だって」
「そう……」
お母さんもホッとしたようだ。
「お母さん、お店は?」
お母さんは、昨日も早引きしている。
「ああ、前のオーナーの奥さんに入ってもらってる。ランチタイムの途中で代わってもらった」
たしか棚橋さんだったっけ、旦那さんとは死別。いろいろあるよな、大人って……。
「でも、あの人なんで大阪に来たんだろ?」
「う……新幹線で」
「バカ、真剣に考えてんのよ……高安ってことは、家に来るつもりだったんだよね……はるか、ひょっとして……」
おっかない顔でお母さんがにらんだ。それ以上追求される前に、事故のあらましを説明。
種切れになったころ手術が終わった。
さすがにお母さんも、お父さんの麻酔が覚めるのを無言で見守っている。
なんだか分からない医療機器のピコピコとか。となりのナースステーションの声や、物音が異様に響く。
何分たったろう……。
「ウ……!」
お父さんが痛みと共に目覚めた。
「あなた」
朝起こすときのようにレギュラーな調子でお母さん。
「お父さん……」
意に反して、蚊の鳴くような声しかかけられなかい。
すぐに看護師のオネエサンが来て、いろいろチェックしたり、質問をしたり。
「あとで、先生が来ますけど、たぶん明日には一般病棟に移れると思いますよ」
看護師さんの質問にも、お父さんはしっかりと答えていた。
もともとお父さんは痛みには強いというか鈍感。会社を潰して、離婚して、実家の仕事も変えて……そして生活も。
そこにはわたしの想像を超えた痛みがあったんだろう。
麻酔が切れたときだけ、顔をしかめたけど、あとは涼しげといっていいほどの穏やかさだった。
「二人とも、すまんなあ……」
わたしたちへの最初の言葉だった。
「早く良くなって、東京へ帰りましょうね」
と、お母さん。
「見送りぐらいには来てくれるんだろう」
「土日ならね。わたしパートだから、平日はそんなに休めない」
「わたし、平日でも行く。授業抜けてでも……」
「はるか……」
まぶしげにわたしを見てお父さんが言った。
「はるか、もっと顔を寄せてくれないか」
「お父さん……」
泣きそうになった。
「ああ、それでいい……そこのライトがまぶしくってな」
ライトかよ……。
その直後、あの人が入ってきた。
「奥様、ご無沙汰いたしております」
完ぺきな秘書の物腰で、秀美さんはあいさつした。
「もう奥様じゃないわよ。大変だったでしょ、東京からじゃ」
「ええ、でも事が事ですから」
「……高峯くん、すまなかったね」
「いいえ、社長がお怪我なさったんですから、当然のことです。はるかちゃん、昨日と一昨日はどうも」
「え?」
と……お母さん。
「お父さん、さっき手術が終わって、今麻酔が切れたとこなんです。えと右大腿顆上骨折(合ってたよね?)です。バイクとぶつかったんです。術後の経過はいいようです。事故の様子は、実況見分とかで、まだ詳しくは分かりませんけど。あ、手続きとかはこれから……」
「はるか、なにあせってんのよ?」
「あ、あの……その……」
全部バレてしまった……。
『はるか 真田山学院高校演劇部物語・第17章』より