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大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

誤訳怪訳日本の神話・34『スセリはスサノオの娘だぞ』

2021-04-09 09:20:59 | 評論

訳日本の神話・34
『スセリはスサノオの娘だぞ』    

 

 

 かつて出雲市と出雲大社のある大社駅を結ぶ大社線というのがありました。

 国鉄時代の盛んな頃は、大阪あたりからも直通列車があったといいます。

 

 名前の通り出雲大社に行くことを目的として作られた路線で、駅を降りると、一本道が伸びる先に出雲大社の鳥居が見えました。

 ご存知の通り縁結びの大元締めの神社で、巫女さんのグレードが高いと聞き及び、いささかけしからん動機で友人四人で大阪から訪れた事があります。

 聞き及んだ通り、玉砂利の境内を掃いている巫女さんも、お札・お守りの販売をしている巫女さんも素敵な女性でありました。

 出雲大社の本殿は伊勢神宮と並んで古式ゆかしい神社建築なのですが、創建当初は、本殿を支える柱の高さが、今の数倍あって、100メートルほどもあったといいます。

 まさに、スサノオが最後に叫んだ「高天原にも届くほどに高くて千木のある新宮を建てろ!」の新宮のようです。

 出雲大社の宮司さんは千家という姓で、その家系は天皇家の次ぐらいに古いと言われています。

 そして、その肩書は出雲大社宮司の他に、出雲の国造(いずものくにのみやつこ)の名乗りがあります。

 国造とは、日本史の授業でも習う、古代の律令制において地方豪族(もとは大和政権に敵対していた勢力で、帰順して地方長官たる国造の姓(かばね))が与えられものです。

 大方は律令制が崩壊した平安時代には姓ごと滅んでしまいましたが、出雲大社のある島根県では、まだまだ現役なのです。令和の現在でも国造を音読みして「こくぞうさん」と親しみを込めた呼び方をするそうです。

 地元の元日の新聞には、新年を寿ぐ挨拶が県知事と共に国造たる宮司さんのそれが、それも『国造』の肩書で並び立ちます。

 その出雲大社に祀られているのが、大国主命、つまり、この段で主役のオオクニヌシ(元のオオナムチ)であります。

 

 こうやってスサノオの娘であるスセリヒメと結ばれたオオクニヌシですが、彼にはすでに妻が居ます。

 そうです、因幡の白兎の下りで、兄のヤソガミたちを袖にしてオオナムチの妻になったヤマガミヒメです。

 父のスサノオに似て激しい気性のスセリヒメはなにかと本妻のヤマガミヒメをいじめて、ヒスを起こしては辛く当たります。

「もう、やってられません!」

 ヤマガミヒメは、心が折れてしまい、生まれたばかりの子を残して因幡の国に帰ってしまいます。

「どおよ……もう、これからは、わたしの事だけ見てなきゃ承知しないわよ(#-_-)!!」

「わ、わかったよ(;゚Д゚)」

 

 話がそれますが、友人のお母さんがおっしゃっていたことが思い出されます。

「息子に彼女ができたらね、できるだけ向こうの親御さんに会うことにしてるの」

 子どもと言うのは、親のコピーですから、若いときは違っても歳をとると似てきます。

 姿形もそうですが、気性が似てきますね。

 むろん例外はあって、親を反面教師として自分を磨く者もいますが、まあ、高い確率で似てきます。

 スセリヒメと相思相愛であったころのスサノオの仕打ちを見ていれば想像がついたと思います。

 想像がついたのなら、オオクニヌシはヤマガミヒメとスセリヒメが上手く行くように手を打つべきでした。

 記紀神話が成立した時代、豪族たちは一夫多妻で、むろん神さまの世界もそうです。

 そういう気配りや甲斐性は、男としての常識でした。

「ああ、どこかに、優しい理想の女の子は居ないもんかなあ……」

 オオクニヌシは、自分を省みることもなく、ただただ理想の女性を夢想するばかりです。

 そんなある日、宮殿の回廊でため息をついていると、一羽の鳥のさえずりが聞こえてきます。

『越の国にヌナカハヒメって気立てのいいお姫さまがいるよ』

 鳥のさえずりを、そう聞いてしまったオオクニヌシはスセリヒメに見切りをつけて出かけてようとします。

「ちょ、あんた、どこへ行くのさ!?」

 立ちふさがるスセリヒメに、シレッとして言います。

「あ、ちょっとね、狩りに行ってくるから」

「もお……一狩りしたら、とっとと帰ってくんのよ」

 亭主にストレスが溜まっているのも承知しているスセリヒメでしたから、モンハンの要領で亭主を送り出してやりました。

 はてさて、この夫婦の行く末やいかに?

 

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らいと古典・わたしの徒然草67『賀茂の岩本・橋本は、業平・実方なり』

2021-04-09 06:34:14 | 自己紹介

わたしの然草・67
『賀茂の岩本・橋本は、業平・実方なり』  



第六十七段

 上賀茂神社に在原行平、在原業平兄弟が祀られている。二人の事には踏み込みません。ただ平安初期の公家であり、弟の業平は六歌仙の一人であることを示しておきます。要は、四百年後の兼好の時代では、すでに神として祀られ、その社が上賀茂神社の中の岩本社と橋本社にあったということです。

 問題は、ここからです。

 兼好の時代には、すでに、どちらに行平、業平が祀られていたか、一般には分からなくなっていたことです。

 ある日、兼好は上賀茂社に行き、年配の神主に聞いて、やっと分かった。

「さすが、専門の神主やなあ……!」

 そう感動したことを書いたのが、この六十七段です。
 業平などに特別の興味が無ければ、読み飛ばしてしまう段ですね。

 しかし、この段には、日本人の宗教観、社会観が読み取れるのです。

―― 何事のおわしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる――

 有名な西行法師が伊勢神宮をお参りしたときの、有名な歌です。

 伊勢神宮は天照大神が祀られていて、日本の神社の総元締めのような存在で、西行ともあろう教養人が、それを知らないわけはありません。しかし、西行は「何事のおわしますかしらねども」とカマしたのです。
 なぜか、西行は、日本人の宗教観、精神性を、この三十一文字に籠めたのです。
 古来、日本の神道には教義がありません。世界に類を見ない大らかな宗教です。
 古代人は、山や岩、滝、あるいはなんでもないところに神聖さを感じたら、もう、そこに神が在ました。しめ縄を張り、掃き清めれば、もうそこは神域になります。

 わたしの家の近所に石切神社があります。その参道の土産物のオッサンが、隣の空き地に参詣者が立ち小便をするので困っていました。なんせ参詣者にはご老人が多く、無理のない話ではあるのですが、オッサンにとっては迷惑千万。そこで器用なオッサンは、小さな鳥居を作り、立ち小便される場所に立ててみました。すると効果覿面。立ち小便はピタリと止まった……のみならず、鳥居のところに、お賽銭を置いていく人が現れ、それがけっこうな金額になります。そこでオッサンは、さらに鳥居を立派にし、賽銭箱を置きました。そして賽銭は、店の売り上げに匹敵するようになりました。
 数ヶ月すると、オッサンは店をたたみ、こざっぱりした社殿を建て、そこの神主に収まってしまいました。もう三十年も前の話ですが、実話です。
 ちなみに、この石切神社がある生駒山系には六百あまりの宗教法人が存在する一大宗教山系であります。

 日本人の神道信者と仏教徒を合わせると、日本の人口の倍になるらしい。

 普通、新しい宗教が入ってくると国際的常識では、宗教戦争になり、新旧どちらかが駆逐されてしまいます。我が民族は、それを、ほとんど争いを起こすこともなく融合させてきました。

 神仏習合ですね。

  飛行機神社は飛行機の原理を発見した二宮忠八翁が御神体でありますが、たいていの航空関係者は二宮翁を知らず、「飛行機の神社」とあがめています。
 芥川の短編に、タイトルは忘れましたが、道で出会ったキリストに、日本の神さまが「どうぞ、ご自由にやりまはれ」という場面があります。ちなみに、日本の全宗教信者に占めるクリスチャンの割合は百分の一あまりでしかありません。どんな宗教が入ってきても、この百分の一を超えることができないようです。
 ちなみに、自分が神道の信者、仏教徒であると自覚している日本人も多くはありません。初詣に神社にいけば、もうそれで神道の信者です。お葬式を仏式でやれば仏教徒です。で、日本人にそう言うと「ああ、そうかな」と言います。しかし、結婚式をキリスト教式でやったり、クリスマスを祝って、「あなたは、クリスチャン?」と、聞くと「……それは、ちゃうなあ」ということになり、教会もそれでは信者としては認めてくれません。

 なんだか、与太話のようですが、これが日本人の精神世界なのだと思います。そして、日本のthe national polityの根元が、ここにあります。

 わたしは乃木さんという人が、その名前とともに好きです。乃木坂と聞くだけで、秋空の下に枯れた緩やかな坂道が思い浮かびます。その乃木さんの旧宅が乃木神社になり、その周辺を、なんとなく乃木坂というようになりました。わたしは、『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語(旧題 なゆた 乃木坂……)』という小説を書いたことがあります。脱稿した、その日、乃木坂46の発足が発表されました。
 これはパクリとかアヤカリとか言われるだろうなあと思いましたが、日本人の宗教観を言い訳に、そのままにしました(^_^;)。

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真凡プレジデント・47《アルミ缶が潰れる音》

2021-04-09 06:10:26 | 小説3

レジデント・47

《アルミ缶が潰れる音》    

 

 

 あれ?

 

 めずらしく、お姉ちゃんがまともなナリで帰って来た。

 レッセパセリ? ちがうと思うけど、そんなブランドのワンピだよ。パンストまで穿いていて、数か月前までの女子アナそのものの出で立ちだ。

「やってらんねーー」

「ちょ、せめて自分の部屋で着替えなよ!」

「いいじゃん、女同士だし……」

 ばっさり、ワンピとパンストを脱ぐと、クッションの下に隠れていた(隠していた)Tシャツとハーパンを引きずり出して身に付ける。

「あーーもーーせめてシャワーでも浴びてから着ればーー」

「そーゆー気分じゃないの、一つ見極めてからよ、サッパリするのわさ。ちょ、じゃま」

「もーー」

「牛になるよー」

 ろくでなしは、テレビのリモコンをいじりながら、わたしの定位置であり、テレビ鑑賞の特等席であるソファーの真ん中を占拠する。

「真凡も掛けな、お姉ちゃんの勘が正しければ一大事件が起きるから。あ、わりーー缶ビールお願い」

 

 理不尽なんだけど、お姉ちゃんがイキイキしているのは悪くないので、キンキンに冷えたビールを二本とカフェオレを持ってくる。

 

 矢継ぎ早にチャンネルを変えるお姉ちゃん。

 ガチャガチャとアナログチャンネルの効果音を入れてやりたくなる。

 十秒ほどで全てのチャンネルに切り替わるんだけど、電波が停まっている毎朝のところでリズムが狂う。

 三周ほどさせて、NHKで落ち着いた。

 

――番組の途中ですが、臨時ニュースをお送りします――

 

 能面みたいな真面目顔のアナウンサーが静かに興奮してニュースを伝える。

――先日来放送電波が停止しておりました毎朝テレビの廃業が決まりました。毎朝テレビはSNSを使って放送を続けていましたが、視聴率はテレビの三分の一にも及ばず、スポンサーから不満の声が上がっていましたが、先ほど大口スポンサーがあいついで撤退を表明、会長の池島輔一氏が放送事業からの撤退を表明しました。繰り返します…… ――

 ビックリした。

 人が死んだり会社がつぶれるニュースは何度も見たけど、放送局が潰れるのは初めてだ。

 ホーーーーーーーーーーーーー

 風船から空気が抜けるような長いため息を、お姉ちゃんはついた。

 なんか言わなきゃ、お姉ちゃん、ペシャンコになってしまう。辞めたとは言え、毎朝テレビの看板女子アナだったんだ、相当なショックだろう。でも、たかが十七歳の妹には重すぎて言葉が出てこない。

 

 グシャッ!

 

 アルミ缶が潰れる音。

「やってみたかったんだよね、アルミ缶握りつぶすの……」

 どう声をかけていいか分からない妹への気遣いか、お道化たように言うお姉ちゃん。

 でも、目に溢れる涙が痛々しくって、わたしは俯いてしまうのだ。

「プレジデントなんだろ、しっかりしろよ!」

 見当違いに、わたしを慰めて「それ!」

 ズボ

 カッコよく投げた空き缶は、見事にゴミ箱に入った。

「そこは燃えるゴミ」

「あ、だったな……」

 不器用に空き缶を拾いに行く。

「ここ、笑っていいぞ。てか、笑ってくれなきゃカッコつかないっしょ」

 

 言われて空気は吸うんだけど、笑い声には還元できなかった。

 

☆ 主な登場人物

  •  田中 真凡    ブスでも美人でもなく、人の印象に残らないことを密かに気にしている高校二年生
  •  田中 美樹    真凡の姉、東大卒で美人の誉れも高き女子アナだったが三月で退職、いまは家でゴロゴロ
  •  橘 なつき    中学以来の友だち、勉強は苦手だが真凡のことは大好き
  •  藤田先生     定年間近の生徒会顧問
  •  中谷先生     若い生徒会顧問
  •  柳沢 琢磨    天才・秀才・イケメン・スポーツ万能・ちょっとサイコパス
  •  北白川綾乃    真凡のクラスメート、とびきりの美人、なぜか琢磨とは犬猿の仲
  •  福島 みずき   真凡とならんで立候補で当選した副会長
  •  伊達 利宗    二の丸高校の生徒会長

 

 

 

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