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大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

コッペリア・47『栞と颯太のゴールデンウィーク⑧』

2021-07-08 06:03:37 | 小説6

・47

『栞のゴールデンウィーク⑧  

 

 

 颯太は戸惑った。

 ここに来れば分かると思ったからだ。

 颯太は講師だったので、それを理由に組合には入っていなかった。講師にも組合はあるのだが入っている者はいたって少ない、講師の弱い立場でははばかられることでもあった。

 前任校の北浜高校の分会長に会いにいくのは気が引ける。

 東京に来た時点で大阪のことは捨てたつもりでいた。

 しかし、この問題を解くためには、どうしても現職教師、それも大阪府内全域の人事が把握できているような人物に会う必要があった。

    

「やあ、もう大阪には戻ってけえへんかと思たで」

「そのつもりやったんですけど、どないしても解決しとかなあかん問題が出てきまして」

 部活指導のために休日出勤していた北浜高校の大久保分会長に会うと、あっさりと大阪弁に戻ってしまう自分が、とても浅はかに思えた。

「電話で頼まれた、きみと同姓同名の定年退職者はおらんなあ。過去五年に遡って調べたけど、中途退職者含めていてへんわ」

「ほんまですか……」

「ああ、立風颯太いうたら、けっこう珍しい名前やからな。おったらすぐに分かる」

「予想はしてましたけど、大家さんから聞いた限りでは、元教師には間違いないようです」

「偽名を使うてまでの東京移住。教師やったとしたら、あんまりええ思い出持って退職した人とちゃうなあ」

「そうでしょうね、おそらく独身で家族も居なかったでしょうから」

 大久保は冷蔵庫から麦茶のボトルを出すと、二つ注いで机に置いた。なんだかベテラン刑事に取り調べを受けるようだ。

「それより、来年は大阪に戻ってこいよ。ほら、来年の採用試験のパンフ。よう読んどけ」

「はあ……」

「気い抜けたビールみたいな返事しよってからに……颯太が、そんな顔してるからビール飲みたなってきたやないか」

 大久保は、颯太が土産に持ってきた缶ビールを開けて一杯やりだした。

「まだ冷えてないでしょ」

「お前の気持ちも、まだ冷えてないなあ」

「え……」

 大久保は立ち上がって、教官室の窓を開けた。運動部の練習の声々がさんざめきとなって聞こえてくる……正直懐かしい。

「ここだけの話やけど、佐江いう子のことも知ってるぞ」

「え……」

 心臓が飛び出しそうになった。

「細かいことは言わんけど、佐江いう子も大人や。どないなろうと自分で生きていきよる。佐江は離婚に当たって相談にも来えへんかったやろ。気にしてるお前の方が子どもに見えるで」

 三月の自分なら心が動いたかもしれない。だが、今は颯太の心には別の者が住み始めている……。

「明日は、大阪見物。一通り名所見たら、面白いところに連れて行ってやるよ」

 阪急電車に乗って京都のホテルに戻ると、セラさんと栞にそう言って喜ばせた。

 京都の奥座敷、嵯峨野の夜の涼しさは、頭を冷やすのには、ちょうどよかった……。

 

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コッペリア・46『栞と颯太のゴールデンウィーク⑦』

2021-07-07 06:09:05 | 小説6

・46

『栞のゴールデンウィーク⑦』  




 薄着のカットソーにして正解だった。


 連休ど真ん中の京都は、着いた時には、もう30度近くになっていた。

 セラさんは、さすがに着るものは洗練されていて、生成りのチュニックにサンバイザーが似合っていた。そこへいくと颯太のダサいポロシャツは仕事着のまんま。まるで遠足の引率でやってきた学校の先生だ。

「もうちょっと、ゆっくり歩こうぜ」

 タオルハンカチで汗を拭きながら颯太が弱音を吐く。

「目的地が近くなったらね」

 夏の嵐山は、駅からしばらくは芋の子を洗うような人ごみだ。人ごみは中之島から渡月橋を渡り、天竜寺のあたりまで続いた。

「ここ曲がると、嵯峨野名物の竹林。午後からは、ここから大河内山荘。今は、とりあえず大覚寺」

 颯太は、そう宣言すると、やっとゆっくり歩き始めた栞とセラに追いついた。

「お昼は新幹線の中で済ませておいて正解だったわね」

 セラさんが言う通り、食べ物屋さんは、老舗の懐石料理から、今出来のお手軽な店まで、どこも一杯。お客の回転はファストフード並の早さの様子。

 大覚寺も観光客で一杯だったが、境内が広いので、バラけてしまうと、それほどではない。

 大沢池が一望できる張り出しの縁に腰を据えた。さすがに大きな池を吹きわたってくる風は、程よい春風だ。

 観光客の嬌声も、このあたりまでくると、ここちよいさんざめきに落ち着いている。

 三人は、東京からのせわしなさを鎮めるように、しばらく沈黙……。

「セラさんて、こういう雰囲気にも自然に溶け込めるんですね」

「風俗やってるとね、こういう程よい静けさがいいの。適当に人の気配がして、栞ちゃんたちみたいな気の置けない連れがいて……いい旅になりそうね」

「そうですね……」

 栞は、しみじみと答えると、まだ汗の引ききらない颯太にパステルカラーのタオルを渡してやった。

「あのね、顔や首まではいいけど、腋の下拭くのやめてくれる?」

「だって、汗が出るんだからしかたないだろ……うん、返す」

「やだ、返さないでよ! 今夜ホテルで洗うから」

「ええ、それまで持ってるのかよ」

「オッサンらしく首にでも巻いといたら」

「栞、おまえな……」

「ハハハ、なんだか兄妹って言うより、結婚十年目ぐらいの夫婦みたいね」

 セラさんが、コロコロと笑った。

 一瞬二人の胸に火が灯りそうなったが、互いにおくびにも出さない。

「瑞穂って子も、生きてりゃ、こんな爽やかさにもなれたんだろうけどな……」

「そうね……」

 同意の言葉ではあったが、拒絶の響きがあった。葬式は、ほんの昨日のことだ。栞は触れて欲しくなかった。

「あら、あの立派な門、勅使門なのね」

 セラさんが、自然に話題を変えてくれた。白砂の向こうに菊の御紋が付いた立派な唐門があるのだ。

「あの門は、皇族や天皇のお使いでないと通れないんだぞ」

 颯太が先生らしく説明した直後、なんと勅使門が小さく開いて、箒と塵取りを持った作務衣姿のお坊さんが入ってきた。

「アハ、あんなのもありなんだ!」

 三人大いにウケた。セラさんの言葉は聞きようによっては、人間の心理をついている言葉だった。

「オレ、ちょっと大阪に調べものにいくから、晩御飯には合流する。このあとは大河内山荘がお勧め。保津川と嵯峨野の街が一望できる」

 そう言い残し、パステルカラーのタオルを首に巻いたまま颯太は、大覚寺をあとにした。

 読もうと思えば読める颯太の心だったが、軽いバリアーが張られていたので、あえて栞は読まなかった。

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コッペリア・45『栞と颯太のゴールデンウィーク⑥』

2021-07-06 05:48:15 | 小説6

・45

『栞のゴールデンウィーク⑥』  

 

 

 生徒一人が自殺しても、学校はいつものように授業をやっている。なにか理不尽だ。

 わずかにイレギュラーなことはある。

 四時間目、栞のA組は授業を中止して瑞穂の葬儀に参列する。校長、教頭などの管理職、生徒会やPTAの代表も。他のクラスでも瑞穂と交友関係があった元の……と言っても数日前までのほんの半月足らずのクラスと、一年生のときのクラスメートに限られる。

 部活などで一緒だった仲間も参加できるが、瑞穂が入っていた演劇部は、三月に三年が卒業してしまい、部員は瑞穂一人で、事実上壊滅していた。

 朝からスクールカウンセラーが三人来ていた。

「相談のある人は、授業抜けても公欠扱い。カウンセラーは相談室へ、希望者は言ってね」

 一時間目の途中、担任のミッチャンが入ってきて散文的に言った。

――だれも相談に来ない――

 当惑しているミッチャンの気持ちが伝わってきた。

「あたし、行きます」

 栞は手を挙げて、教室のドアに向かった。背中にみんなの奇異な眼差しを感じる。

 そりゃあ、そうだろう。栞は瑞穂とは特別な交友関係もなかった。でも、栞は、行かなければと決心していた。美奈穂は手を挙げなかった。多分「政治的に無意味」と感じたんだろう。

「あたしが、最初なんですね」

 そう切り出すと、カウンセラーのオバサンは職業的な笑みを浮かべた。

「なかなか改まっては、来にくいでしょうからね」

「……ええ」

「で、あなたは瑞穂さんとは、どういう関係だったのかな?」

「ただのクラスメートです。この四月に転校してきたばかりで、瑞穂さんとは面識もありませんし、話しをしたこともありません」

 カウンセラーのオバサンは、微かに意外な顔をしながら、ボールペンを走らせた。

「転校したてで、こんなことに出くわしたら、ちょっと堪えるわよね」

「いいえ、学校って、こんなもんです。システムとマニュアルで動いて、カウンセラーの先生もここにいらっしゃるんです。でしょ?」

「ええ、そう言う面もあるわね。でも100%の弔意や混乱なんて、そうそうは無いわ。でも、みんな心にいくらかのわだかまりを持っている。あなたもそうじゃないかしら」

「混同しないでください。新学年早々クラス替えを平気でやる学校はおかしいと思うんですけど、瑞穂さんには特別な感情は湧いてこないんです。ただ、だれも相談に来ないんじゃ、先生方困りますから。お葬式の時間まで居させてください。スマホいいですか?」

 そうことわってから、美奈穂にメールを打った……。

 さすがに、葬儀会館に着くと涙ぐむ子が出てきた。

 でも、栞は、ただムードに酔っているだけにしか感じられなかった。

「火葬場まで、どうかいっしょに行ってやってください」

 仮位牌を持ちながらお母さんが頭を下げた。中坊の弟も遺影を胸に、ぎこちなく頭を下げた。

 誰も送迎バスに寄ろうとはしなかった。

 火葬場に行くのは、親族だけという常識に縛られているのと、そこまで付き合いたくないという気持ちの表れだ。

 瑞穂の家は母子家庭で、親類づきあいも少ないのだろうか、送迎バスは半分も埋まっていなかった。

「あたし、行きます」

 みんなが意外な顔をした。これでは、あまりにも可哀そうだと、栞は衝動的に手を挙げた。

「あんたたちも」

 美奈穂と、水分咲月も目で促した。

 火葬場は、無機質と言っていいほど近代的で清潔だった。

 十幾つの窯が整然と並び、なにか近代的な工場の見学に来ているようだった。

 でも、最後のお別れに棺の小さな窓が開けられた時、瑞穂は、その死に顔で居並ぶ人たちを支配した。

 瑞穂の十七年に満たない人生で、こんなに人の注目を浴びたのは初めてだろう。

 顔の横に置かれた演劇部の台本が、まるで瑞穂の短い一生を書いた記録簿のように見えた。

 窓が閉められた時、一瞬引きつったかと思うと、母親の目から大粒の涙が一筋流れ落ちた。

 母親の、たっての頼みで骨上げにも付き合うことになった。

 二時間後の骨上げは、さらにショックだった。

 瑞穂の骨は子供のそれのように縮んで、形も定かではなかった。

 右の眼窩から鼻、上あごの一部が比較的きれいに残っている。でも、それから瑞穂の顔が類推できるようなものではない。

 あ

 右の八重歯に見覚えがある。

 教室の窓の外に小鳥がやってきて、その気配に驚いてびっくりしてた。

 栞と窓の間に一列置いて瑞穂がいて、その時、覗いた八重歯を可愛いと思ったんだ。

 でも、憶えているのは八重歯だけで、全体像としての瑞穂の印象は浮かび上がっては来ない。

 

「……人間、あんな風になっちゃうんだね」

 ポリティックなものの見方しかしない美奈穂がしみじみと言った。

「不思議だね、こんな風に生きてるのが……」

 咲月の言葉は、咲月自身、瑞穂のそれと変わらないところまで追い詰められていたので、重みがあった。

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コッペリア・44『栞と颯太のゴールデンウィーク➄』

2021-07-05 05:44:20 | 小説6

・44

『栞のゴールデンウィーク⑤』  

 

 



 連休と言っても学校は暦通りだ。


 世間のあらかたも暦通りで、特に高校生である栞一人がブツブツ文句を言う筋合いのものでもない。

 でも、セラさんのお勧めでこの日曜から関西旅行ができると分かってからは、この連休の狭間の二日間が疎ましい。

 商店街を抜けて駅前まで行くと、駅横の踏切に人だかりがしていた。人だかりの文句を拾い集めると、どこかの駅で信号機が故障してダイヤが乱れているらしい。

 駅のすぐ横は跨道橋になっているので、そこを通れば向こう側に行けるんだけど、信号機の故障という半端なトラブルなので、すぐに回復するだろうと待ってしまう。

――ああ、分かるなあ、その気持ち――

 そう思った栞だが、ホームに立つと、踏切を待っている人たちが、ひどくバカに見えてくる。さっさと跨道橋渡ればいいのに……と真逆のことを思ってしまう。

 学校に着くと、小さな異変があった。


 教室の窓から三列目の三番目の机の上に花瓶に活けられた花があったのである。

 それだけで分かった。

 だれか亡くなったんだ……。

 でも、先日クラス替えをやったばかりなので、そこに座っていたのが誰なのか思い出せない。教卓の座席表を見に行く。

 井上と赤い字で座席表には書かれていた。でも赤だから女子だという以外何も分からない。全く印象には残っていないのだ。

 やがて、クラスのみんながやってきたが、少し気にする者、無関心な者、目を赤くする者、反応は様々だった。

 担任のミッチャンが入ってきて、こわばった顔で言った。

「夕べ、井上瑞穂さんが亡くなりました。詳しい話は、今から全校集会で校長先生がご説明になります。すぐに体育館に集合」

 体育館に集まった生徒たちは、思ったほどには動揺していない。直接の友だちだったんだろう、数名が体育館の隅で泣いている。

「二年A組の井上瑞穂さんが亡くなりました。亡くなった理由は自殺です。詳しい動機はまだ分かっていませんが……」

「同機は、無理なクラス替えにあったんでしょう。違いますか、先生!」

 青木美奈穂が、よく通る声が響く。

 瞬間静まり返ったが、美奈穂の発言は無視されて、校長のお定まりの「命の大切さ」という空疎な話で全校集会は終わった。人一人亡くなったのに、この無関心さ、形式だけの黙とうはなんだ……。

 教室に帰ると、ミッチャンが、お通夜と葬儀の場所と時間を教えてくれた。そして、授業は平常通り……そこまでいった時に、教室のスピーカーが短いメッセージを伝えた。

――先生方は、ただちに視聴覚教室にお集まりください――

 ミッチャンは、ため息一つして教室を出て行った。青木穂乃果の想念が飛び込んできた。

――このまま終わらせてたまるか。とことん追い詰めてやる!――

 穂乃果が、お父さんに連絡し、都議会の文教委員が査察にくることが分かった。穂乃果のお父さんは都議会議員だ。

 結局、授業は打ち切りになり、夜に再びの緊急保護者会が開かれることになった。

「これが、井上さんの絵だよ」

 颯太は、アパートに帰ると、例の水平線と木の絵を見せてくれた。

「あ、模範的な絵じゃない」

「一見な……オレも気づかなかった。瑞穂くんは絵の意味を感づいていて、模範的な絵を描いたんだ。これは仮面うつ病の絵だ」

 意味は分かった。描きすぎているのである。一見上手い絵にみえるが、自分の中には無い世界を描いている。だから意味はまるで逆になる。

 その夜、お通夜に行った。

 泣き腫らして涙も枯れたご両親。中学生らしい弟がじっとうつむいている。

 遺影の写真を見ても「そう言えば、こんな子がいたな」という程度の記憶だった。それよりも遺影の横のドールが気になった。

 1/3スケールのドールで、本人が大切にしていたのだろう、強い想念を感じた。

 ドールは、春物の衣装を着ていたが、気に入らない様子だった。クラス替えと同時に着替えさせたようだ。

 これを感じられたのは、元ドールの栞だからかもしれない。

 

 

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コッペリア・43『栞と颯太のゴールデンウィーク④』

2021-07-04 06:23:06 | 小説6

・43

『栞のゴールデンウィーク④』  

       


        

――昭和の日って、なんだったけ……?――

 そんなことをボンヤリ考えながら颯太は、顔を洗い終わって歯磨きをしている。

 颯太は、長年……と言っていい年月の中で、休日も、いつものように目が覚める。

 なぜかと言うと、颯太の人の好さであり、以前勤めていた大阪のエゲツナサでもある。颯太は、大阪時代の半分以上は常勤講師だった。一年契約という点では非常勤講師と同じであるが、常勤講師になると、担任業務以外は本職と変わらない仕事の量と質である。

 颯太は、いつもやり手の少ないクラブの顧問や副顧問を引き受けていた。

 やり手が少ないというのは、対外試合が多い運動部で、その習い性が身についてしまったのである。

 99%人間になった栞は、まだ休日の惰眠をむさぼっている。

「昭和の日って……」

「みどりの日よ。その前は天皇誕生日」

 開け放した窓の外から、セラさんの声がした。

「おはよう、今朝はえらく早いね」

「ママからケータイで起こされちゃって、で、今ここに立っているわけ」

「ん……話が見えてこないなあ」

「だからね……」

 そう言った時には、お隣の気安さ、玄関の中にまで入ってきているセラさん。

「これよ、これ……」

 セラさんは、スマホの画面を示しながら、早く見ろと催促している。

「え……これ、関西の周遊券じゃないか?」

「うん、ママがお仲間といっしょに行くはずだったんだけどね。偉い常連さんからお声がかかって、そっちを優先しなくちゃいけないんで、お鉢がまわってきたってわけ。三人分あんのよね」

「ということは……?」

「イクイク、イク~!!」

 いつの間に起きだしたのか、クシャクシャの髪のまま、栞が飛んできた。

「あら、栞ちゃん、かわいいパジャマね」

「あ、大家さんのお孫さんのお下がりだから」

 栞と颯太は、同じ神楽坂高校の先生と生徒なので、名目上というか戸籍上は大家の鈴木爺ちゃんの孫ということになっていて、栞が人形であることを知っている数少ない人間だ。

「すごい、有馬温泉と嵯峨野のお泊り。乗らない手はないね」

 これで連休後半の予定が決まった。

 青木穂乃果が、ブログで学校を糾弾する記事を載せていた。

「やっぱ、分かってないんだな……」

 昨日の感触では、穂乃果は、もうやめると感じていた。

 姉の穂奈美が入ってきたときの様子で典型的なシスターコンプレックスだと思った。まして、お父さんは現職の都議会議員。意識的なのか無意識なのかは分からなかったが、穂乃果なりに背一杯なんだろうと思った。

「もう、好きなようにやらせるしかないわね」

 一瞬、そう思って、パソコンの画面を関西の名所案内に切り替える栞であった。

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コッペリア・42『栞と颯太のゴールデンウィーク③』

2021-07-03 05:52:04 | 小説6

・42

『栞のゴールデンウィーク➂』  

 

 

 

「火偏に門構えの中に月だよ」

「いや、門構えの中は日だ!」

 兄妹二人、テレビのクイズ番組を見ながらもめている。

 はた目には、長閑な兄妹の日常に見えるだろうし、当の本人たちも、その気でいる。

 しかし、この兄妹の会話は、どこか必死なところがある。

「ほら、やっぱし、オカンはお燗、門構えの中は月だったでしょうが!」

 MCの正解に妹は勝ち誇ったように鼻を高くした。

「オ、オレは美術の講師だからな。漢字なんか分からなくってもいいんだ(^_^;)」

 颯太は鷹揚にアニキらしく開き直った。

「はいはい、負けた方がアイスコーヒー入れましょう」

「やれやれ、エラソーな妹もったもんだ……あ、アイスコーヒー切れてるぞ」

「あ、今朝飲んだんだ。あたしコンビニまで行ってくる」

「いいよ、オレが行く。栞は漢字はともかく、コーヒー牛乳とアイスコーヒーの区別もつかないんだからな」

「じゃ、行って来てよ。バイトのオネーサンと話し込むんじゃないわよ」

 互いに、なにか一言言ってリードしておかなければ収まりがつかない……でも、やっと兄妹らしくなってきた。

 颯太から見れば、栞は、あいかわらず『アナ雪』のアナのように人形じみてしか見えない。でもドアを閉めてコンビニへ向かうと、自分の部屋の灯りが、なんだか愛おしい。

 あくる日、栞は学校で話をつけようとしたが、青木穂乃果は栞を自分の家に招いた。

 穂乃花には腰を落ち着けて話そうという意気込みが感じられる。咲月もついてきたがったが、AKPのレッスンがあるので諦めた。

「青木さんの主張は正しいけど、現実的じゃないわ。この上クラスを元に戻したら、混乱じゃすまない」

「鈴木(栞の名目の苗字)さんは融和的すぎる。確かに元のクラスに戻したら混乱は起きるわ。でも、それって先生たち……はっきり言ってしまえば、その上の組合の問題。民主集中制なんて前世期のドグマで教育を権力闘争の具にすることは許されない。学校を本当に変えようと思うなら、今が勝負よ。今勝負しとかなきゃ、神楽坂の沈滞した融和主義はうちやぶれないわよ」

 どうも、穂乃果のいうことは高校生離れしている。まるで活動家の演説だ。

「お家にまで呼んでもらって、なんだけど、青木さんの……」

「穂乃果でいい。あたしも栞って呼ぶから」

「穂乃果さんの思いは、胸に秘めていればいいと思うの。新学年は、まだ始まったばかり。仕切りなおして解決しなきゃならない問題は、これからいくらも出てくるわ」

「それは……」

 そのときノックがして、きれいな女の人が入ってきた。

「どうも、穂乃果の姉の穂奈美です。ごゆっくりね」

 それだけ言うと、姉の穂奈美は出て行った。それまで頑なではあったが、理路整然としていた穂乃果の話は脈絡がなくなってきた。なんだかわけのわからない世間話をして、栞は穂乃果の家を後にした。

 気になって振り返ると、来た時には気づかなかった看板が目に入った。

 都議会議員青木修三事務所と読めた……。

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コッペリア・41『栞と颯太のゴールデンウィーク②』

2021-07-02 06:13:02 | 小説6

・41

『栞のゴールデンウィーク②』  




 ゴールデンウィークといっても、学校は暦どおり、今日と明日は授業がある。

 本格的な連休は、5月2日の土曜からである。なんとも邪魔くさく半端な授業が月、火、とんで木、金と続く。

 二年生は、どこか、まだギクシャクしている。やっぱり、こないだの学級改変問題が尾を引いている。
 すっかり学校不信になった者や、その便乗者たちが二割も休んでいる。そのリーダー的な存在が、PTA会長の娘、青木穂乃果だ。

「学校は、まだ正式に謝罪もしていないし、対策もとっていません。わたしたちは痛みを受け止めながら、クラス編成をもとに戻すことを要求します。なしくずしの現状変更は断固認めません。神楽坂のみなさん、いっしょに戦いましょう。保護者やマスコミ、そのほか応援してくださる方々に感謝するとともに、いっしょに戦ってくださることを期待します!」

 そんな檄文のようなメールを、学校関係者やマスコミに送っていた。

「青木さんて、どうなの。普段から、こんなに愛校精神とか持ってるような子だったの?」

 パソコンの画面を見ながら、栞は咲月に聞いた。

「……あんまり学校には関心のない子って感じ。こんな過激なこと言うの初めてだと思う」

「この上、元に戻したら、学校を撃沈できるかもしれないけど、あたしたち生徒が、一番迷惑こうむるよ」

 パソコンのスイッチを切ると、栞は立ち上がった。

「どうするつもりなの?」

「先生の組合は認めないけど、世論は完全にあたしたちの味方になってる。これ以上混乱させることは、かえってみんなの為にならない。直接青木さんに会って話をつけてみる。もうこの問題で、振り回されるのはごめんだし」

 振り回されている人間が、もう一人いた。AKPの矢頭萌絵である。

「萌絵ちゃん、どうして名古屋で収録の仕事やりながら、アキバのシアターにも出られたわけですか?」

「いや、それが……」

 AKPのスタジオで、マスコミから突っ込まれる萌絵であった。

 萌絵はAKPの総監督で、みんなの動向は常に把握している。昨日のお助け飛び入り出演のことも何度も映像で見なおしている。あれは、どう見ても自分自身だし、あの状況(堀部康子が交通事故の影響で本番に穴を開けたら、自分は映像通りのことをやったとも思う。みんなも「あれはソックリさんなんかではなく、矢頭萌絵本人であった」と口をそろえて証言している)

 そんな話を聞き、何度も映像を観て、みんなの話を聞いているうちに、本当に自分が超常現象を起こしたような気になってきた。

 二つの問題は、まだもう少し尾を引きそうな様子。

 刺激的な連休になりそうな予感がする栞であった(^_^;)。

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コッペリア・40『栞のゴールデンウィーク①』

2021-07-01 06:16:36 | 小説6

・40

『栞のゴールデンウィーク①』  




 今日は、水分咲月のデビューの日だ。


 デビューといっても、ペーペーの研究生なので、最初の方にちょこっとだけ出ておしまい。

 だけど、晴れの初舞台。友だちとして観に行かないわけにはいかない。

 なによりも、先日の学級改編騒動のあと、栞たち生徒の「これ以上混乱したくない」という声で、予定通り二年生は一クラス増え。生徒たちは新しいクラスに入った。

 で、偶然なのか、ミッチャン(栞の担任)のクラスに栞と咲月はいっしょになったのである。学校への信頼は落ちたが、ことミッチャンのクラスはうまくいきそうである。

 今日は、チームPの公演なので、狭いAKPシアターは、それほど混まない。それでも天下のAKP、消防法で決められた定員は満たしていた。
 
「これで、咲月のひい爺ちゃんも喜んでるでしょうね」

「ああ、ひょっとしたら、そのへんで見てるかもな」

「アハ、このシアターの雰囲気には驚いてるでしょうね」

 たしかに、アキバはひい爺ちゃんが生きていたころの漢字の秋葉原とは、だいぶ雰囲気が変わっている。マニアックという点では同じだが、その主体は電気製品の専門家やマニアから、すっかり世界に冠たるオタク文化の聖地に変貌。外国人観光客のコースにも大概入っている。

 ちょっと神経を集中させれば、咲月のひい爺ちゃんの霊ぐらいは感じられそうだったが、栞は、あえて、そういう人間離れした能力は封印しておこうと思った。

 なによりも、ただ一人、栞の事が人形にしか見えていない颯太に、立ち居振る舞いだけでも人間と同じようになるようにしたかった。

――申し訳ございません、開演時間を20分遅らせていただきます――

 場内アナウンスが流れて「どうしたんだろう」と思うと、栞の封印した能力は一気に元にもどってしまった。

「ちょっと様子見てくる」

 栞は、混み始めた観客の間を縫うようにして、ロビーに出た。

 事情は分かっていた。今日の選抜チームの堀部康子が移動途中の交通事故で間に合わないのである。

「あ、萌絵!」

 スタッフが、関係者入り口に近づいてくる矢頭萌絵を見て救いの神を見つけたように駆け寄ってきた。

「分かってる。康子間に合わないから、あたしが代わりにやる!」

 むろん、この萌絵は栞の変身である。

「いい、こんなことでおたついちゃダメ。それだけAKPがビッグになったってことだからね。さあ、円陣組んでいくよ!」

 萌絵に化けた栞は、20分開演が遅れたことを詫びると、さっそくAKPのヒット曲5曲をメドレーでこなすと、研究生の紹介に入った。

「水分咲月! 一番年上だけど、二度目のチャレンジで合格。将来が期待される幹部候補か!?」

「あ、そんなたいしたもんじゃないですけど」

 萌絵がずっこける。むろん演出。

「あたし、誕生日が、AKPの幕開けと同じ4月7日なんです。萌絵先輩の後半の言葉にせまれるようにがんばります。よろしくお願いします!」

 咲月らしい生真面目なアピールだったが、会場は割れんばかりの拍手だった。

 咲月は感じていた。客席の隅の方に、姿はないけどひい爺ちゃんの気配がすることを。それは栞も感じていた。

 そして、その日の公演は無事に終わったが、大変なことが分かってしまった。

 矢頭萌絵は、この日は仕事で名古屋にいっていたのである。

 波乱はゴールデンウィークになっても続くようだった。
 

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コッペリア・39『波乱の緊急保護者説明会!』

2021-06-30 06:44:48 | 小説6

・39

『波乱の緊急保護者説明会!』  




「顔を撮ってもらってもけっこうです」


 咲月も栞も、並み居る報道陣に宣言した。

 神楽坂高校二年生の異例な学級増とクラスの再編成は、神楽坂の教職員の思惑を超えて全国のマスコミが注目することとなった。

「今回の学級増とクラスの再編成は、あくまで生徒の利益を考えてのことです」

 校長はポーカーフェイスで言いきった。

「学級崩壊もなく、あたりまえに進行し始めた学年を解体して、現状を変更する必要はあるんですか?」

「学級数が多くなれば、一クラス当たりの生徒数が減ります。それだけ行き届いた教育が出来ると考えました。それに新学期が始まって間が無いからこそ、実現できることなんです。40人学級は、そういう精神に基づいて決められております。どうかご理解いただきますように」

 校長は、良くも悪くもセオリー通りの答えをした。校長は緊急保護者会を、こう締めくくった。

「二学年は、転校生などがあり、都の学級編成基準も40人以下をもって構成するとあります。あくまで、子どもたちのためです」

 そう答えた組合の分会長には、たちまち矛盾を突かれた。

「ということは、わたしが転校してきて咲月が留年したのが悪かったんですね」

「そういうことじゃない」

「だって、学年途中のクラス替えなんて、みんな驚いています。やっと友だちもできて、そんな子たちはクラス替えになることを嫌がってます」

「あの……これ、クラス替えに反対するクラスの署名です。クラスの大半の32人が署名してくれました」

 咲月は、ざら紙で作った署名簿をカバンから取り出した。

「みんな嫌がってるんです。この、嫌なクラス替えが強行されるのは、転校生のわたしと留年生の咲月が悪い。わたしと咲月が悪かったって説明しなきゃいけないんですか」

「いや……それは……」

「新しいクラスの編成基準はなんですか?」

 咲月が質問する。

「シャッフルしたうえで、本校の学級編成基準に照らして作りました。成績や、体格、男女比、それに同一姓はなるべく離すというような条件です」

「ということは、各クラスは、元のクラスが、ほぼ均等に分けられたということですね」

「ええ、そうなりますね」

「それは、おかしいです。栞と二人で調べてみました。新しいクラスは、元のクラスの者が2/3以上。残った1/3をかき集めて、もう一クラスが作られています」

 こういう事情で、栞と咲月の存在はクローズアップされ、インタビュー。

 で「撮ってもらって結構ですよ」に繋がる。

「あたしたちは、こんな混乱になるなんて聞いていませんでした。先生方がおっしゃる内容では、あたしたちが、この学年に入ったために学級の再編成がおこなわれるように聞こえます。心外です」

 栞が簡略にまとめると、咲月が引き受けて、過激に締めくくった。

「理不尽な変更ですが、これ以上の混乱は望みません。適応するように努めます。ただ、これが学校と先生たちの本質だということを分かってください」

 咲月はAKPの研究生だということがすぐに分かったので、咲月は仮名にされ、顔にはモザイク、声も変えられた。

 インタビューと事のあらましは保護者会の前に流された。

 保護者たちは、説明会のときにはみんな事情を知っていて、ほとんど学校への糾弾会になってしまった。

「うちの娘が言うことの方がよっぽどまともだ。あんたら間違ってるよ、数さえ合わせたらいいってのは、あんたらが大っ嫌いなむかしの軍隊の員数合わせと同じだ。もっと血の通った学校にしてもらわなくっちゃな!」

 大家さんは、名目上の孫娘であることも忘れて、唾をとばして力説した。

「そうだそうだ!」

「生徒をダシにして、楽すんじゃねえよ!」

 教師と言う人種は、基本的に役人である。まして背景には都の40人学級編成の条例がある。ますますカタクナになっていく。

 そこに、栞を先頭に、生徒たちが10人ほどなだれ込んできた。

「君たちには関係ない!」

 分会長は激昂した。

「生徒が主人公だって、いつも言ってるじゃないですか。あたしたちが一番影響を受けるんです。なんで、あたしたちが参加しちゃいけないんですか!?」

 保護者席から盛大な拍手がおこり、テレビ局は混乱に乗じてカメラを持ち込んだ。

「すでに、今朝から新しいクラスに編成替えになりました。これでもとに戻したら、一層の混乱と不信を招きます。悔しいけど、このままでいいです。ただ、このことで起こる予期できる、そして予期できない問題を含んで、責任は、全て学校にあります!」

 栞の現状分析と、明快な論理展開に颯太は目頭が熱くなった……一瞬栞の顔が、人形では無く、可憐で高潔な女子高生のそれに見えた。

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コッペリア・38『栞のぐち』

2021-06-29 06:17:18 | 小説6

・38

『栞のぐち』  



 一度入った組合を辞めることは難しい。


 教師の3/4は、大学を出て直ぐに教師になっている。で、右も左も分からないうちに、共済組合に入るのと同じような気楽さで教職員組合に入ってしまう。組合が生徒や教師の福利厚生のためでなく、特定の政党の下部組織のようになっていることに気づいたころには、さまざまなしがらみが出来て辞めにくくなる。

 担任のミッチャンも同様で、組合を辞めたいのだが、人間関係……これが、辞めたとたんに手のひらを返したように変わってしまうことを数年の教師生活で身に染みて知ってしまった。

 今度の四月に入ってからのクラス替えは、組合の要望に沿って都教委が行ったことであることは、栞にも分かった。

「ねえ、フウ兄ちゃん。なんとかならないの、クラス替え。クラス写真も撮ったし、みんなやっとクラスに馴染んだところなんだよ。そんな時期にクラス替えだなんておかしいよ」

 晩御飯の用意をしながら、栞は颯太に愚痴った。

「これの大本は、栞にある……って言ったらびっくりするか?」

「え、どういうことよ!?」

「栞の転校で、二年の定員が一人増えちまった。で、41人のクラスが一つできちまった」

「あ、うちのクラスがそうだ」

「クラスは40人が基準で、それを越すと、もう一学級増やせるんだ。で、組合は杓子定規に専任教師の増員を都教委に要求。それが年度をまたいで、四月のこの時期に実現した。いわば獲得した権利だから、組合は生徒の利害なんか考えないで二年のクラスを一つ増やした。そういう話だ」

 颯太は事務的に話しているようだが、頭に来ていることは、夕飯の感想を言わないことでも知れた。

 颯太は、必ずナニゲに料理の感想を言う。

 たとえ口に会わなくても言った方が、言わないよりも百倍マシだということを知っている。無関心は憎しみよりもひどいことだということを、颯太も栞も分かっている。

 でも、今夜の無関心は、学校の理不尽さから来ていることだと言うことが、栞にはよく分かった。

「ごちそうさま。よっこらしょっと……」

 プ

 颯太は、立ち上がった拍子にオナラをしてしまった。

 普段ざっかけない喋り方をしていても、そういうところに気を使っていることを、栞は嬉しくも寂しく感じていた。

 でも、この放屁で弛んだ颯太の心から、一つの思いがこぼれた。

――二年の定員が増えたことは、栞だけが原因じゃない。咲月が留年したために増えたことも理由の一つ――

 回りまわって咲月の耳に入ったり、栞が余計な心配をしないために伏せていた。

 颯太の心遣いを嬉しく思う栞だった……。

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コッペリア・37『ケセラセラ・2』

2021-06-28 05:53:18 | 小説6

・37

『ケセラセラ・2』  



 瀬楽さんは、それからずっとセラとして生きてきた。

 割り切れはしなかったけど、真央の幸せのためには、これもいいと思った。

 一年後、セラさんは海外まで行って本当の女になった。セラさんはローゼン、そしてメイゼンも掛け持ちし、両方の店の看板になった。

 かなり……と言っていい稼ぎがあったが、このボロアパートに住んでいる。

 男を捨てたことに、一人っ子として両親への呵責があったのだ。

 瀬楽の家を身代限りにした詫びに、毎月かなりの仕送りを送っている。また、将来若さを失った時のためにお金も貯めていた。マスコミからの引きも当然あった。なんせ若いころのはるな愛を超えるぐらいの美しさと明るさ。そして時折見せる陰。それが魅力になり、望めばセラの生活はさらに豊かになったはずである。

 うまく説明はできないが、セラは、それを望まなかった。

「夕べ、お店がはねてから、ママの知り合いのクラブに行ったの。店のオーナーの喜寿のお祝いにね……」

 言葉で語りもしないのに、栞にはちゃんと伝わっている。それを不思議にも思わないでセラは続けた。

「偶然だけど、田神俊一が来ていた……普通のクラブだったから、女の子と間違えたのよね……話のはずみで田神はスマホを出してマチウケを見せてくれた『家内と娘なんだ』それは……真央じゃなかった。あたしカマをかけてやったの『田神さんて、初婚じゃないでしょ』 あっさり認めた。性格の不一致で最初の嫁さんとは一年で別れたって……」

「そんな……」

「え、どういうことよ!? って思った。むろんおくびにも出さずにニコニコしてたけどね。でもアパートに帰って一人になったら最悪で、このザマ」

「真央さんのことは……」

「今日お店に行く前に調べておこうと思って。むろんあたしがするんじゃないわよ。探偵さんに頼むつもり……なんだけどね」

「……怖いんですね」

「お見通しね……ね、背中に一発ドンとかましてくれない。栞ちゃんから勢いもらったら前に進めるかもしれない」

 栞は、後ろ向きになったセラさんの背中を両の掌でドンとした。

 学校は、結局昼から行った。というか、気づいたら学校に居た。

 セラさんのことを考え、自分の至らなさを実感した。セラさんの苦悩どころか、セラさんがニューハーフであることも気づかなかった。

 栞は人の心が読めると思っていたが、本人が心の奥にしまい込んでいることは分からないことを実感した。

「え、どういうことよ!」

 六時間目のホームルームで、思わず叫んでしまった。

 ミッチャン(担任)が、とんでもないことを言ったからだ。

「明日から、二年生は一クラス増えます。そのために二年生はクラス編成をやり直します。明日下足室に新しい学級編成表貼っておくから、新しい教室にいくこと」

「え、なんで!?」

「みんなのためです。学校の教員配当が一人増えたんで、より少ない人数でクラスができるようになりました。机の中のものは出しておくようにね!」

 ミッチャンは分かりやすい人だ。

 四月の下旬にクラス替えをやるなんて、なんのプラスにならないことを分かっていた。

 分かって、それでも言っている……。

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コッペリア・36『ケセラセラ・1』

2021-06-27 06:01:37 | 小説6

・36

『ケセラセラ・1』  



 

「瀬楽、面会人だぞ」 

 先輩のバーテンダーに言われて、瀬楽はグラスを拭く手をタオルで拭い、厨房を出ようとした。

「ああ、裏の通用口。開店すぐだから手短にな」

「どうも、すみません」

 男としては華奢な瀬楽だったので、ビールケースや什器が散在する狭い廊下を器用にすり抜けて通用口に向かった。

「……なんだ、真央じゃないか」

「ちょっと、話しいいかな?」

「開店前だ、手短にな」

 真央が、ちょっとたじろいだような顔をした。瀬楽は優しく言いなおした。

「アパートの権敷やら、最低の家財は買わなきゃな。真央とオレのためなんだ。だから手短に」

「あ……実は、その話なんだけど」

 瀬楽は嫌な予感がした。

 元々勘と言うか気配りの利くたちで、最初の一言を聞いただけで、たいてい人の本音はわかってしまう。

 しかし、次の展開は瀬楽の予想を超えていた。

 路地の向こうから、瀬楽とはまったく正反対の体育会系の男がやってきた。

「俊一、あなたはあとで……」

「いや、やっぱ、これは、オレから話しておくのが筋だ」

 この二言で、瀬楽は真央の心が離れ、雄太という体育会系に移ったことを理解した。

「真央を自分に譲ってほしい」

 俊一という男は、話しの核心だけを言って、あとは、ただ頭を下げた。真央は、いつに変わらぬお喋りで、する必要もない俊一の話を補足した。

「幸せに……」

 主語も目的語もない一言を言うのが精一杯だった。半年かけて作った生き甲斐と人生の目標は一分足らずで崩れてしまった。

 いつものように、バイトの仕事はこなした。だれも瀬楽に起こった人生の大問題に気づく者はいなかった。

 ただ、看板近くにやってきたローゼンのママだけは気づいた。

「瀬楽ちゃん、看板になったら、うちのお店においでよ。このままだと、あんたダメになっちゃうよ」

 具体性はないがママの言葉は核心をついていた。瀬楽は真央との生活のためだけに大学も辞め、バイト一筋にやってきたのだ。

 ママの言う通り、このままではワンルームのアパートまでも帰れないかもしれない。

「これが……ボク?」

 ローゼンのママは、店のメイクルームで、瀬楽を着替えさせメイクをしてくれた。

 鏡の中には、清楚なボブの女の子がいた。

「よし、思ったより上出来。あたしに付いてきて」

 ママは、まだ開いているメイデンに連れていった。

 メイデンはママが、その道の極みを作るために半ば趣味でやっているニューハーフの店である。顧客は会員制で少ないが、真っ当で目の肥えた客とスタッフが揃っている。

 ママは、臆面も無く「あたしの娘。やだ、余計なことは聞かないでね」と、店の一角に座らせておいた。娘であることは誰も信じなかったが、素人の本物の女の子であると思われた。

「どう、しばらく別の人間になって、クールダウンしてみない」

 瀬楽がセラになった瞬間であった。

 

 

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コッペリア・35『セラさん倒れる』

2021-06-26 06:03:21 | 小説6

・35

『セラさん倒れる』  




 お隣のセラさんは商売柄昼前まで寝ている。

 それに変わりはないんだけど、今朝は学校に行こうとしてドアを開けたとたんに、かすかに病気臭さをセラさんの部屋から感じた。

「セラさん……」

 声をかけようと思って、栞はためらった。どうやらセラさんは風邪で、ひっくりかえっているようだ。

 それだけなら隣人の気楽さでドアをノックした栞だが、一瞬ためらってしまう。

 風邪の原因が精神的なものだと分かったから。

 フウ兄ちゃんもそうだけど、人が心の奥にしまい込んだ問題に触れて解決してやるのはひどく難しい。

 咲月の問題はうまく解決してやれたけど、フウ兄ちゃんの封じ込んだ悲しみは解決の目途もたたない。

 おかげでフウ兄ちゃんには、いまだに栞のことがアナ雪のアナのような人形にしか見えていない。

――そっとしておこう――

 そう決心したとき、ベッドから起きだしたセラさんがつまづいた気配がした。

 ドテ

「セラさん、大丈夫!?」

 気が付いたら、部屋のドアを開けてセラさんの傍にいた。並の鍵なんて栞には無いも同然なことには気づいていない。

「あ、栞ちゃん……ちょっとふらついて足を……」

 足は軽い捻挫だと分かったので、すぐに湿布をしてあげた。セラさんの部屋は女性らしくきれいに片付いていたので、セラさんの記憶を読んで手当してあげるのは簡単だった。

 しかし、風邪は簡単には治せない。

「ごめん、今日は遅刻するってミッチャン(担任)に言っといて」

 そう颯太に頼んだ。

「オレから言うのは不自然だ。大家さんに頼んどく」

 颯太もセラさんが尋常ではないことに気付いて、そう手配した。

「セラさん、夕べお店で……」

「何もないわよ……ちょっと薄着でお酒のみ過ぎて、このザマ」

「ワイン二本に、ロックが三杯……よくないなあ」

「そうよね……でも、それが仕事だから……ありがとう、足の痛みは引いていったわ」

 瞬間、栞の頭に一人の男性の姿が浮かんだ。セラさんの風邪の元は、この男だ。

 栞はメモ帳に男の似顔絵を描いた。

「この男が原因ね……」

「田神俊一……そう、この男よ!」

 栞の不思議な能力には気が及ばず、セラさんは封じ込めていた思いが爆発した。

 不思議なことに、爆発したカケラにはきれいな女の人の姿があった。田神俊一という男にも、セラさんにも似たような激しい想いが、この女性にあることが分かった。

 いつも陽気なセラさんの心にもフウ兄ちゃんに負けない心の穴がある。

 崖っぷちから谷底を覗いたようなおぞましさを感じた……。

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コッペリア・34『マドンナが来たわよ』

2021-06-25 06:20:51 | 小説6

・34

『マドンナが来たわよ』    




――うちにマドンナが来たわよ――

 そのメールが、伸子夫人から来たのは、颯太が栞の力をクロッキーやデッサンに例えてコントロールの必要があると言った帰り道だった。

「どうしてマドンナが伸子さんのところに?」

 待ち合わせのSコーヒーショップに着くと、挨拶もろくにしないで訊ねた。ちょっと不躾だが、50歳差の友情は、ここまで距離が近くなっている。

「栞ちゃんが、自分の気持ちをよく分かっていないからですよ」

「え……?」

 栞は、瞬きするのも忘れて固まってしまった。

「栞ちゃんは二人の颯太さんの想いが籠って人間らしくなった。二人の想いってとこがややこしいのよね」

「はあ……」

「一人の颯太さんは亡くなってるし。もう一人の颯太さんは、別の女の人への気持ちが断ち切れないまま、成り行きで栞ちゃんを人間のようにしちゃった」

「はい、フウ兄ちゃんには、あたしは、まだ人形のようにしか見えないみたいで……」

「そうね、だからマドンナは気持ちの有り場所が無くって、わたしのところにきた」

「それが分かりにくいんですけど」

「ちょっと、お散歩しながら話しましょう」

 二人は赤坂の街を歩いて紀伊の国坂にやってきた。

 春の紀伊の国坂は爽やかな風と日差しが綾織のようになって和ませてくれる。

「ここって、ラフカディオハーンの『紀伊の国坂』ですよね」

「そう、ノッペラボーが出てきて、男の人をたぶらかすの。あれはムジナってことになってるけど、人との縁を結びきれなかった精霊。江戸っ子の精霊は気が短いから、あんな形で現れるの。マドンナがあたしのところに来たのは、あなたの前に現れたらノッペラボーだから。それに明治時代の松山の人だから奥ゆかしいし」

「もう一つよくわからないんですけど……」

「これ、わたしのお母さん」

 伸子さんが見せたのは、セピア色になった日本人形の姿だった……。

「これ……」

「そう、わたしの母は、昭和の初めに作られた生き人形……日本版の蝋人形みたいなものね。戦時中も奇跡的に残ってね。進駐軍でやってきた父が一目ぼれ」

 

「え…………ええ!?」

 

「わたしも同類(^_^;)」

 息をするのも忘れてしまった。

 紀国坂を行く車も堀端にさんざめいていたスズメも、日差しや風さえも停まってしまった。

 世界が瞬きするのを忘れて固まってしまった。

 固まってしまって、静止した紀国坂の上で、栞と夫人だけが息づいている。

「それって……」

「そう、栞ちゃんに似た話ね。ただ、父の想いはピュアでストレートだったから、神さまも願いを叶えやすかったのね。それに母は人前で首を抜いて驚かすようなことはしなかったしね(16話)」

 夕陽が、栞の真っ赤な顔をごまかしてくれた。

「えへ」

 夫人が少女のように笑うと、紀国坂はバグが収まったように動き出した。

 

 今年の春は、まだまだこれから……いや、夏になってしまいそうな予感がした。

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コッペリア・33『文芸部事始め……なんだけど』

2021-06-24 06:17:03 | 小説6

・33

『文芸部事始め……なんだけど』  

 



 栞は福原先生と約束……させられた通り文芸部の部活を一人で始めた。


 文芸部の特権は、図書室の閉架図書も自由に閲覧できることだ。

 初版本や、学術図書、高価な全集などが並んでいる。

 とりあえず手ごろな夏目漱石全集を取り出し、閲覧室の机にドッカと積んで読みだした。

 以前、颯太が教科書を与えて数十分で一二年の教科書を読破したことがあった。

 そんなに早く読んでは、みんなから怪しまられる。そこで栞は、少し熟読してみることにした。

 まず、漱石入門と言っていい『坊ちゃん』からである。

 

 三ページも読むと、明治時代の松山の世界に飛び込んでしまった。

 まるで3Dの映画を観るように、生き生きと町や学校の情景が浮かんでくる。

 文芸部の見本のような生徒になった……成りすぎた。

 読んだイメージが実体化してしまうのである。

 赤シャツの教頭や、野太鼓、山嵐、うらなり、などが職員室を出入りし。赤シャツは、教頭先生に「そこは僕の席だから空けなさい」と言い、野太鼓は居並ぶ先生にお愛想を振り、山嵐は廊下やグラウンドで態度の悪い生徒を見つけては叱っている。

 十数分後には、松山の旧制中学の生徒で学校が溢れかえり、あちこちで騒ぎが起こった。

「ここの女生徒は、スカートが短いぞななもし!」

 と言って女生徒を追い掛け回し、女生徒が図書館に逃げ込んできたことで、栞はやっと気づいて本を閉じた。

 坊ちゃんの登場人物たちは、一瞬で姿を消した。

「どうして、こうなっちゃうかなあ!」

 栞は、我ながら嫌気がさして、美術室の颯太のところに駆け込んだ。

「栞自身、人形が人間になっちまったもんだから、そのくらいのことはおこるかもな……」

「なんとかしてよ。これじゃ、一冊も読めないよ!」

「そうだな……」

 颯太は、三つの絵を並べた。

「いいか、これがクロッキー。デッサンのもっと簡単な奴、二三分で描き上げる。その隣がデッサン。基本的には鉛筆だけで色彩はない……で、これが本格的な油絵だ」

 かつて生徒が描いたサンプルのようだが、サンプルに残してあっただけあって、どれも高校生とは思えないような出来である。

「どういう意味?」

「クロッキーとデッサンと油絵じゃ、対象に対して入り方が違う。栞は物事に対して、このコントロールが効かないんだ。何事も深く入り込んでしまう。この三つの絵のようにコントロールが効くようになればいいさ」

「気楽に言ってくれるわね。こんな風にあたしを作ったのはフウ兄ちゃんなんだからね」

「それは、何かがオレの腕を使って造らせたんだ」

 颯太の言い方は、どこか意識的に無責任だった。

 そして、ようやく騒動も収まった放課後に思い出した。

「なんで、坊ちゃんとマドンナは現れなかったんだろう……?」

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