コッペリア・47
颯太は戸惑った。
ここに来れば分かると思ったからだ。
颯太は講師だったので、それを理由に組合には入っていなかった。講師にも組合はあるのだが入っている者はいたって少ない、講師の弱い立場でははばかられることでもあった。
前任校の北浜高校の分会長に会いにいくのは気が引ける。
東京に来た時点で大阪のことは捨てたつもりでいた。
しかし、この問題を解くためには、どうしても現職教師、それも大阪府内全域の人事が把握できているような人物に会う必要があった。
「やあ、もう大阪には戻ってけえへんかと思たで」
「そのつもりやったんですけど、どないしても解決しとかなあかん問題が出てきまして」
部活指導のために休日出勤していた北浜高校の大久保分会長に会うと、あっさりと大阪弁に戻ってしまう自分が、とても浅はかに思えた。
「電話で頼まれた、きみと同姓同名の定年退職者はおらんなあ。過去五年に遡って調べたけど、中途退職者含めていてへんわ」
「ほんまですか……」
「ああ、立風颯太いうたら、けっこう珍しい名前やからな。おったらすぐに分かる」
「予想はしてましたけど、大家さんから聞いた限りでは、元教師には間違いないようです」
「偽名を使うてまでの東京移住。教師やったとしたら、あんまりええ思い出持って退職した人とちゃうなあ」
「そうでしょうね、おそらく独身で家族も居なかったでしょうから」
大久保は冷蔵庫から麦茶のボトルを出すと、二つ注いで机に置いた。なんだかベテラン刑事に取り調べを受けるようだ。
「それより、来年は大阪に戻ってこいよ。ほら、来年の採用試験のパンフ。よう読んどけ」
「はあ……」
「気い抜けたビールみたいな返事しよってからに……颯太が、そんな顔してるからビール飲みたなってきたやないか」
大久保は、颯太が土産に持ってきた缶ビールを開けて一杯やりだした。
「まだ冷えてないでしょ」
「お前の気持ちも、まだ冷えてないなあ」
「え……」
大久保は立ち上がって、教官室の窓を開けた。運動部の練習の声々がさんざめきとなって聞こえてくる……正直懐かしい。
「ここだけの話やけど、佐江いう子のことも知ってるぞ」
「え……」
心臓が飛び出しそうになった。
「細かいことは言わんけど、佐江いう子も大人や。どないなろうと自分で生きていきよる。佐江は離婚に当たって相談にも来えへんかったやろ。気にしてるお前の方が子どもに見えるで」
三月の自分なら心が動いたかもしれない。だが、今は颯太の心には別の者が住み始めている……。
「明日は、大阪見物。一通り名所見たら、面白いところに連れて行ってやるよ」
阪急電車に乗って京都のホテルに戻ると、セラさんと栞にそう言って喜ばせた。
京都の奥座敷、嵯峨野の夜の涼しさは、頭を冷やすのには、ちょうどよかった……。