コッペリア・35
お隣のセラさんは商売柄昼前まで寝ている。
それに変わりはないんだけど、今朝は学校に行こうとしてドアを開けたとたんに、かすかに病気臭さをセラさんの部屋から感じた。
「セラさん……」
声をかけようと思って、栞はためらった。どうやらセラさんは風邪で、ひっくりかえっているようだ。
それだけなら隣人の気楽さでドアをノックした栞だが、一瞬ためらってしまう。
風邪の原因が精神的なものだと分かったから。
フウ兄ちゃんもそうだけど、人が心の奥にしまい込んだ問題に触れて解決してやるのはひどく難しい。
咲月の問題はうまく解決してやれたけど、フウ兄ちゃんの封じ込んだ悲しみは解決の目途もたたない。
おかげでフウ兄ちゃんには、いまだに栞のことがアナ雪のアナのような人形にしか見えていない。
――そっとしておこう――
そう決心したとき、ベッドから起きだしたセラさんがつまづいた気配がした。
ドテ
「セラさん、大丈夫!?」
気が付いたら、部屋のドアを開けてセラさんの傍にいた。並の鍵なんて栞には無いも同然なことには気づいていない。
「あ、栞ちゃん……ちょっとふらついて足を……」
足は軽い捻挫だと分かったので、すぐに湿布をしてあげた。セラさんの部屋は女性らしくきれいに片付いていたので、セラさんの記憶を読んで手当してあげるのは簡単だった。
しかし、風邪は簡単には治せない。
「ごめん、今日は遅刻するってミッチャン(担任)に言っといて」
そう颯太に頼んだ。
「オレから言うのは不自然だ。大家さんに頼んどく」
颯太もセラさんが尋常ではないことに気付いて、そう手配した。
「セラさん、夕べお店で……」
「何もないわよ……ちょっと薄着でお酒のみ過ぎて、このザマ」
「ワイン二本に、ロックが三杯……よくないなあ」
「そうよね……でも、それが仕事だから……ありがとう、足の痛みは引いていったわ」
瞬間、栞の頭に一人の男性の姿が浮かんだ。セラさんの風邪の元は、この男だ。
栞はメモ帳に男の似顔絵を描いた。
「この男が原因ね……」
「田神俊一……そう、この男よ!」
栞の不思議な能力には気が及ばず、セラさんは封じ込めていた思いが爆発した。
不思議なことに、爆発したカケラにはきれいな女の人の姿があった。田神俊一という男にも、セラさんにも似たような激しい想いが、この女性にあることが分かった。
いつも陽気なセラさんの心にもフウ兄ちゃんに負けない心の穴がある。
崖っぷちから谷底を覗いたようなおぞましさを感じた……。