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大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

コッペリア・32『十日遅れの離任式』

2021-06-23 06:09:56 | 小説6

・32

『十日遅れの離任式』  

 

 


 発育測定も内科検診も問題なかった。

 何もかもが普通の人間の状態を示していた。

 この世で栞が人間ではなく人形であることを知っているのは、名目上の保護者になっている大家のジイチャンと不動産屋のジイチャン。それに命を吹き込んでくれた颯太の三人だけ。

 そして、もしかしたらと思って家に帰って颯太に言ってみた。

「ねえ、あたしのスケッチしてくれる?」

 颯太は気安く二三分で仕上げた。

「ああ、やっぱしフー君には、こんな風に見えてるんだ……」

 描きあがったスケッチは、贔屓目に見てもアナ雪のアナがハンス王子に会った時の、生き生きしてはいるが、いかにも人形くさい姿だった。

「まあ、いいじゃん。人形みたいだけど、アナみたいに生き生きしてるところがオレは好きだよ」

 とりあえず、その言葉で満足しておくことにした。

――もし、あたしが人間みたいに見えたら、フー君は、どんな反応するんだろう?――

 一瞬頭によぎって、心臓(今度の検診で存在が分かった)がドッキンとした。

 あくる日の学校は、なぜか45分の短縮授業だった。一時間目の先生に聞いてみた。

「ああ、都合でノビノビになってた離任式を放課後やるらしいよ」

 そう言えば、始業式に付き物の離任式がなかった。

 こういうイレギュラーなことについては、生徒の耳は地獄耳だ。

「ハハ、なんだか教頭先生が転勤や退職した先生に連絡し忘れていたみたいだよ」

 昼休みに咲月が面白そうに伝えてくれた。咲月もAKPのことが上手くいったので、急速に学校に馴染み始めている。目出度いことだ。

 離任式は、先生によってまちまちだ。

 欠席した先生もいたし、気のない挨拶で済ます先生もいた。

 その中で福原という退職した先生は感動的だった。
「みなさん、こんにちは……」

 そこまで言って、福原先生は声がつまってしまった。生徒たちもシーンとした。

「38年間の教師生活を、ここで終えました。ちょっとした行き違いで、今日の離任式になりましたが、複雑な気持ちです……平気な顔でみなさんの前に出られる自信が無かったので、このままでいいと思う気持ちと、会ってけじめをつけたいという気持ちと両方です。わたしは、嘱託でいいから、もう5年学校に居ようと思いました。でも、あたしには介護しなければならない母が居ます。このまま続けては、どちらも中途半端になると思い、きっぱり退職の道をえらびました……」

 福原先生は、あてがわれた5分をきっちり中身の濃い話をして、転退職の先生の話の中で一番感動的だった。

「いやあ、水分さん、元気に来てるじゃない!」

 離任式が終わると、福原先生は生徒たちにもみくちゃにされた。

 先生は目の合った生徒一人一人に声を掛けている。

 なんと二三年生全員の顔と名前を憶えているのだ。

「あなたの留年を決める時は断腸の思いだった。でも、よく元気になってくれたわね」

「鈴木さんのお蔭なんです!」

 咲月は、栞を前に引き出して説明した。

「そう、念願のAKPに入ったの。学校と両立出来ているようね、安心したわ……鈴木さんは転校生ね」

 さすがである。自分の記憶にない生徒は転校生に違いないと確信を持って言える。なかなかできないことである。

「鈴木さん、なにかクラブには入った?」

「いいえ、なかなか縁が無くって」

「それなら、ぜひ文芸部に入って!」

 アもウンもなかった。福原先生の元気と好意の混じった目で見られれば嫌とは言えない。

 文芸部は、栞の担任のミッチャンがやっている。部員がいないので気楽に引き受けた顧問だが、福原先生のお声がかりで部員が出来ては放っておくわけにもいかない。

「よかったわね」

 そう言いながら、ミッチャンの顔は困惑していた。

「それから、出来る範囲でいいから、お掃除してね。神楽坂は良い学校だけど、ホコリが多いのが玉に瑕ね」

 福原先生は、さりげなく学校荒廃の兆しを指摘していった。

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コッペリア・31『二つの安心 二つの驚き』

2021-06-22 06:22:47 | 小説6

・31

『二つの安心 二つの驚き』  

 



 なんか変だったんですよね、昨日は……休憩室で横になってたら、あたしの分身が現れて、その日の仕事を全部やってくれたんです。

 でもね、ちゃんと仕事の中身も自分がやったみたいに憶えてるんですよね。

 でも、なんか実感が乏しくて。

 でね、生まれて初めて心療内科って行ったんですよ。

 そしたら先生が疲れからくる離人症だって。あたしって直ぐに頷いちゃうんだけど、分かってないんですよね……でも、調べると半分寝てる状態で、やることはやっちゃうって、なんか心理的な自己防衛らしいんです。

 まあ、調子はともかくAKPの総監督ってのは、こんなに忙しいもんなんだってこと、分かってもらえるかなあ……?

 

 アハハハハハ

 仲間や後輩たちが笑う気配。

 どうやら、矢頭萌絵は、疲れた末に、なんだか夢のようなことをやったと思っているらしい。

 栞は安心してAKPのホームページを閉じた。

 萌絵と入れ替わったことは、本人も含め、夢のような話で終わったようだ。

 あとは、咲月の合否だ。

 大仏康と話はつけたが、最終決定権は大仏にある。以前も土壇場で合格者を変更している。

――受かった!――

 メールが夕べ遅くに咲月からやってきた。

 二つ目も安心。

 で、今日学校に行ったら、驚くことが二つあった。

 咲月の合格が、静かに広まっていたこと。

 AKPの合格者はネットで公表される。むろん住所や学校名なんかは出てないけど、咲月は、このAKPのために留年までしていて、半分くらいの生徒と先生の全員が知っている。

 みんなは、なぜ咲月がAKPにこだわったかを知らない。

 だから、十七にもなってAKPのオーディションを受け、そのために落第までしたことを半ばバカにして見ていた。それがコケの一念で合格すると評価は百八十度変化した。

――今回の十二期生は粒ぞろいですよ!――

 大仏康の講評も後押ししてくれて、咲月は一晩で、神楽坂高校のヒロインになってしまった。

 予想以上の反応に、栞も我が事のように嬉しかった。

 そして、朝のホームルームで驚いた。

 今日は身体測定と内科検診なのである。

 検診で裸になることは恥ずかしくない。

 そういう神経は颯太が命を吹き込んでくれた時から持ち合わせていない。

 問題は内科検診。

 見かけは人間そっくりだけど、元はビニールの外皮に塩ビの骨格である。

 レントゲンや心臓検診をやったら人間でないことが分かってしまうんじゃないか?

 心配だ……。

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コッペリア・30『ステップアップ』

2021-06-21 06:32:02 | 小説6

・30

『ステップアップ』 



 休憩室に入ると、特大の蓑虫がいた。

 蓑虫が寝返りをうつと、人間の声で、こう言った。

「ああ、幽体離脱……あたしも、おしまいだ」

「やっぱし……」

 栞は、自分が蓑虫と同じ姿かたちになっていることを自覚した。蓑虫は、さっきまで審査員をやっていた矢頭萌絵だ。

 どうやら、AKPの総監督として頑張りすぎた無理が出たようである。

 栞は颯太が顔を描くときにオシメンの萌絵を頭に浮かべたものだから、ふとした時に萌絵そっくりになってしまう。

 今くたびれて毛布にくるまれ起き上がることもままならない本人を目の前にして、完全に萌絵とシンクロしてしまったから、同時に萌絵が今置かれている状況も分かった。

 本人が悲観するほど重篤ではないけれど、完全な蓄積疲労で体が動かない。

 このままでは救急車を呼ばれ、仕事に穴を開けて、芸能記者に今日一番のニュースを提供することになる。

 元気印の萌絵はひっくり返ってなどはいられない。

「大丈夫、あたしは、あなたの分身だから、代わりに仕事は片づけておく。今は、ゆっくりお休みなさい」

「ありがとう、あたし……」

 そう言うと、萌絵はスーッと眠りにおちてしまった。

 栞は簡易ベッドごと萌絵を休憩室の奥へやって目立たないように、元の蓑虫にしてやった。

「ごめん、ちょっと急用。咲月、自分で帰れるよね」

 栞はいったん自分の姿に戻ると、咲月を先に帰し、再び萌絵になって、オーディションの選考会議に向かった。

「大丈夫か萌絵?」

 さすがはAKPの大仏康ディレクター、萌絵の不調は感じていたようだった。

「ああ、大丈夫です。ちょっと居眠りしたら、この通り!」

 栞の萌絵は、ジャンプしながらスピンし『恋するフォーチュンキャンディー』の決めポーズをとった。

「はは、いつもより一回転多いな。じゃ、選考に入ろうか」

 萌絵の姿になるまでは、なんとしてでも咲月を合格させてやりたかったが、萌絵になってしまうと、公明正大に決めなければならないと思う。我ながら完璧な変身ぶりである。

「……よし、この三十人に絞って、あとはオレに任せてくれ。最終決定は萌絵が仕事終わってから確認。萌絵、今日のスケジュールは?」

「えーと、関東テレビの収録、戻って新曲の振り付けのレッスン。あとは空きです」

 栞は分かっていたが、マネージャーに言わせた。萌絵がそれぞれの職分を全うしてこそのAKPであると考えていること、が直観で分かったからだ。

 関東テレビの仕事はピンだった。

 年内に卒業を予定している萌絵なので、ディレクターの大仏も萌絵にはピンの仕事を増やさせている。

「萌絵ちゃん、ごめん、ゲストの都合で、今日は二本撮りね」

 本当は制作予算の都合だということは分かっていた。

 テレビはネットや録画の機能が発達して、なかなか数字がとれなくて苦労している。でも、そんなことは現場では誰も言わない。言えば、もっと悪くなりそうな気がするからだ。

 でも、『体育部テレビ』の二本撮りはきつかった。ハンデ付とは言え、第一線のアスリートと指しで100メートル走の勝負。

 ストレッチを兼ねたリハを含めて、計400を走る。

 この種の番組は、二線級の芸人さんの仕事と決まっていたが、アイドルを入れると数字が上がる。芸人さんたちの普段の苦労をよく知っているので、萌絵は進んで、このような仕事を引き受けている。

――今日の萌絵ちゃんじゃ、きつかっただろうなあ――

 そう思いながら事務所へ戻る。

 新曲の振り付けのレッスンに丸々二時間。サッサと仕上げて大仏康と研究生の選考に入れたのは夜中の九時を回っていた。

「これでどうだろう、二十人ピッタリにおさめた」

 大仏から渡されたリストの中には咲月の名前も入っていた。

「この水分咲月さん入れたのは……ちょっと研究生としては歳いってますけど」

「うん、誕生日が、うちのオープンと同じ四月八日だから」

「アハハハ」

「なんか、おかしい?」

「あたしも同じこと考えてました!」

 最後の最後の決定は、こんなものである。一見いい加減なようであるが、案外いい選択である場合が多い。

「血色がよくなった、これならだいじょうぶね……」

 ささやくように言うと、本物の萌絵はゆっくりと目を覚ました。

「あ、あたし……」

「そう、今日の萌絵は頑張ったわ。分身のあたしが言うんだから確かよ。今日あたしがこなしたことは、ちゃんと萌絵の記憶と体験になってるから」

「あたしたち……」

「一心同体、また萌絵がピンチになったら、いつでも来るから」

 そう言って休憩室を出て、全速力で走ってアパートに戻った。

「こんな時間まで何してたんだ、ずいぶん心配したんだからな!」

 颯太が始めて見せる真剣な眼差しに、栞は胸がチクリと痛んだ……。

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コッペリア・29『再チャレンジ……』

2021-06-20 05:58:28 | 小説6

・29

『再チャレンジ……』 




 咲月は、オーディションの付き添いに栞を選んだ。

 学校の友人だけでなく、家族からもAKPの再チャレンジに反対されてるんだろう。そう思ったが、栞はなにも言わずに会場まで付いて行ってやった。

 咲月は受験生としては、やや年かさだった。たいて中学生くらいで、中には小学生と思しき子までいた。

「気にすることなんかないよ。要は実力と時の運。実力は……大丈夫。運は、あたしが連れてきたから!」

「え、どこに?」

「咲月の影……ほら、いつもより濃いでしょ。こいつが逃げて行かないように……」

 栞は、目に見えない針と糸を取り出すと、影と咲月を縫い付けてしまった。

「これって……?」

「ヘヘ、ピーターパンの最初。ウェンディーがピーターパンの影を縫い付けちゃうじゃん。あそこからファンタジーが始まるんだ」

「ふふ、ありがとう」

 その妙なパントマイム(栞には真剣なおまじない)に同じ控室の受験者や付添人たちもクスクス笑っている。

「いい、卒業した服部八重はオーディションのときは、二十歳。それも一回落ちて、あとで審査員が、あの子惜しいねって呟いて決まったんだからね。咲月は、絶対いける!」

「ありがとう。栞に言われると、そんな気になってきた」

「ハハ……それに、今日の審査には、総監督の矢頭萌絵が入ってるよ」

「え、どうして分かるの?」

「超能力!」

 栞には、人間になった時(颯太には、相変わらず動く人形だが)少しばかり人間には無い能力が身についていた。

「……うん、水分さん、歌はそこそこだね」

 と、ディレクターの大仏康。

「あと三十秒で自己アピールして」

 と、矢頭萌絵。

「二回目のチャレンジなんですけど、あたしって、二回目の方が力が出るんです。体力測定もそうだし、お料理も憶えて二回目からはバッチリです。それに、何より誕生日が四月八日。AKPのオープンと同じ日。あたしはAKPに幸運をもたらす人間です」

「きみ、二回目の二年生なんだね」

「はい。あたし、なんでも二度目に力が出ますから」

「でも、この業界、一発で決めなきゃならないことだってあるわよ」

「大丈夫。AKPも二回目のチャレンジですから、AKPに関しては失敗しません。それに、ここに来るまでに宝くじ買ったんです。前も買いました。前は外れでしたけど、今度は宝くじも当たります!」

 前回と違って、間を開けずウィットの効いた受け答えができた。咲月は手ごたえを感じた。

「精一杯やれた!」

 控室に戻ると、咲月は栞に抱き付いた。

「そうみたいね。今度はひい爺ちゃんにも喜んでもらえるよ!」

 二人で喜んで会場をあとにしようとして、栞はかすかな異変を感じた。

「ちょっと先に帰ってて。今度は、あたしの番みたい……」

 そう言って栞は、審査会場に戻って行った。

 正確には審査会場の審査員控室の隣の部屋。スタッフやメンバーが休憩に使う部屋へ……。

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コッペリア・28『狐の嫁入り』

2021-06-19 06:48:56 | 小説6

・28

『狐の嫁入り』 





 藤棚のベンチは幾百の藤の花に濾過された日光に包まれて、程よく二人の少女の世界を包み込んでくれる。 


「やって失敗した後悔より、やらずに諦めた後悔の方が大きいっていうよ」

「でも、もうやって失敗したあとなんだよ」

「一回の失敗では完全な失敗とは言えないわよ」

「そっかなあ……」

「そうだよ、咲月ちゃんは、現に二回目の二年生をやってるじゃない!」

「それは……」

「別だって言いたいんだろうけど、あたしから見ればいっしょだよ」

「どういうこと?」

「っていうか……中途半端」

「中途半端?」

「落第までして学校続けようっていうのは、負けたくないっていう気持ちからでしょ。でも、それだけじゃ誰も評価しないし、咲月ちゃんだって、我慢してるだけじゃない。でしょ?」

「………………」

 咲月は応えずにうつむいてしまう。

 次の言葉をためらっていると、藤の花が落ちた……と思ったらひらりと舞い上がる。

 チョウチョだった。

 いつの間にか一匹のチョウチョが藤棚に入っていたのだ。そのチョウチョを目の端に入れながら考えた。

「今は我慢するときだと思うの。少し雨宿りしたら、新しい晴れ間も見えてくるんじゃなかな……って」

「え、雨?」

「あ、例え話(^_^;)」

「……降ったんだよ。藤の花に雨粒が」

「え……あ、ほんとだ。キラキラしてる……気が付かなかった」

「ずっと晴れてたよね」

「日照雨(そばえ)」

「そばえ?」

「えと……狐の嫁入り的な」

「……狐のお嫁さん通ったのかなあ?」

「かもね」

「見たかった」

「どこかで雨宿りしてるかも」

「……卒業まで雨降りだったら、ずっと雨宿りだよ」

「少々の雨だったら、飛び出してみたほうがいいんじゃないかな」

「……どうだろ」

「あれ?」

「え?」

「あそこ……紫陽花の下の方」

「あ」

 紫陽花の花の下を縫うようにして小さな花嫁行列が進んで行く。花嫁も行列の人たちもみんなキツネのお面を被って、お囃子のようなリズムに合わせて進んで、バラの花壇の方に消えて行った。

「ほんとうに見えちゃった……」

「AKPのオーディションて、春と秋にあるんだよね」

 栞は無遠慮に、咲月の顔を覗き込んで言った。

「うん、春と秋……」

「もう一回やってみようよ。このままじゃ、みんな咲月ちゃんのこと、意地を張った負け犬としか見ないよ。言い方悪いけど落ちるとこまで落ちたんだ。もっかいやって失敗しても同じ。リトライしたらチャンスはある……買わない宝くじは、絶対に当たらないから」

「……わたしの合格率って宝くじ並?」

「狐の嫁入りが見えたんだ、きっといいことあるよ」

 もう栞の顔は、咲月の鼻先まで近づいていた。

「分かった分かった。それ以上近づいたらキスされそうだ!」

「あ、ああ、ごめん咲月ちゃん」

「その代り、条件が一個」

「なに、まさか、あたしにいっしょに受けろっていうんじゃないでしょうね?」

「それはないよ。栞ちゃんの目的は、もっと別なところにありそうだから」

「じゃ……?」

「わたしのこと、ちゃん付けで呼ばないでくれる。わたしも栞って呼ぶから」

「あ、なんだ。あたし、ちゃん付けで呼んでたんだ。オーシ、咲月まかしとけ!」


 いつの間にかチョウチョは二匹になっていて、また降り出した日照雨の、藤棚から外へ飛び立っていった……。

 

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コッペリア・27『水分咲月の心象風景』

2021-06-18 05:56:11 | 小説6

・27 

『水分咲月の心象風景』  




「そうか、そんな秘密があったんだ……」


 その日の夕飯のときに、栞は颯太に咲月の話をした。

 夕飯と言っても、ス-パーのお惣菜を適当に買ってきて並べたものだ。

「ちょっと塩分多すぎ……」

 メンチカツを齧りながら、独り言のように栞が言う。

「しかたないよ、スーパーのお惣菜なんだから」

 ついこないだまでは、栞が料理していたが、帰り道がアパートの近くというクラスメートができて、うかつに食材を買いに寄れなくなったのだ。

 学校では、大家の孫の鈴木栞ということになっているが、実際は美術の非常勤講師立風颯太の妹(実際は、颯太が命を吹き込んだ人形)である。

 友だちにアパートに帰る姿を見られたら、直ぐに美術の先生と同棲している、いけなくも羨ましいかもしれない存在として噂が広まってしまう。で、栞はスーパーには寄らずにいったん大家の家に帰り、持ち込んだ私服に着替えてアパートに戻る。

「いっそ、額面通りうちで暮らせばいいのに」

 大家の鈴木爺ちゃんは言う。

「でも、あたしたち兄妹だから」

 そう言って、つまらなさそうな顔をする爺ちゃんには気づかないふりをしている。で、ここのところ晩御飯は颯太の担当になっていた。

「実は、初めての授業で、こんなものを書かせたんだ」

 そう言って颯太が見せたのは、八つ切の画用紙に書かせた一本の樹だった。

「みんなの個性を知りたいって言ってな。一本の樹を描かせる。背景に地平線を入れることだけが条件。栞もやってみな」

「……で、なにが分かるの?」

「描きあがってのお楽しみ」

 その間に颯太はお茶を淹れる。何度淹れても、薄すぎたり濃すぎたりだが。

「描けた!」

「標準的な描き方だな。一番重要なのは地平線の位置。真ん中に引くやつは理性と感情のバランスがとれている。まあ、ほどほどに地面に足のついた夢を持っている。栞はそういう気質だ。樹の幹、緑の葉っぱもほどほどだ」

「ふーん、そうなんだ。で、咲月ちゃんのは?」

「これだ」

 咲月のそれは、地平線が低くて空の広がりが大きい。樹の幹は細いが葉っぱの部分は大きい。ただし、葉っぱのほとんどが枯れかけている。

「春なのに秋の風景だ」

「もともとは、夢の大きな子だよ。でも、障害があって挫折しかけている。栞は、言いもしないのに周りに花とか描いてるだろう。協調性と親和性が強い証拠だ。栞については安心した」

「咲月ちゃんは?」

「うーん……孤独で、その割に夢が大きい……大きかった。夢が枯れかけてる」

 そこにノックの音がしてお隣のセラさんが顔を出した。

「ちょっとお客さんといっしょに旅行に行くから、しばらく留守にしますので……あら、お絵描きしてんの?」

 興味を持ったセラさんは、一気に絵を描き上げた。栞と同じくバランスのとれた絵だった。ただ色彩と勢いは、栞の何倍も力強かった。

「ふーん、そうなんだ」

 分析を聞くと、鼻歌と共に出かけていった。気の置けないお隣さんだ。

「あたし、ちょっと咲月ちゃんと話してみる」

「うん、それがいいな。あの子には心を開いて話せる友達が必要だ」

「分かった」

 もう栞には、咲月に何を話すべきか決まっていた。

 そして、この心理分析の絵の意味も初めから知っていた。だから颯太が一番気に入るものを描いたのだ。

 本心から描いたら、もっと別な絵になっていた……。

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コッペリア・26『水分咲月の秘密』

2021-06-17 06:22:56 | 小説6

・26 

『水分咲月の秘密』   




「咲月はね……あ、駆潜艇咲月の方ね……」


 栞がカツ丼を食べる間に、咲月は要領よく、自分とひい爺ちゃんと落第したことについて語った。

 ひい爺ちゃんは駆潜艇咲月の艇長で、ペリリュー島が玉砕する半年前に、島の住人を他の島に移動させる任務についていて、最後は本土に帰る民間人を小さな艇内に乗せられるだけ乗せて、他の輸送船を護衛しながら日本に帰ってきた。途中米軍の攻撃を受け、船団の半分が沈められた。

 咲月は小型の駆潜艇ながら、敵の潜水艦を一隻撃沈するという武功があったが、ひい爺ちゃんは、表面はともかく内心では喜べなかった。デッキにまで一杯になっていた民間人の何人かが、激しい操船のために海中に投げ出され、ほとんどは救助したが、少女が一人見つからなかったのだ。

 この少女は宝塚歌劇団志望で、その音楽学校に入ることを夢見ていた。

 しかし、ひいお爺ちゃんは知っていた。
 

 宝塚音楽学校は昭和十九年から、無期限で募集を停止していたことを。

 でも、そのことは言わなかった。

 過酷な日本までの航海、少しでも夢があった方が元気でいられるからだ。

 昭和二十年になって乗組員の移動があった。

 そしてなんという偶然だろう。

 新任の機関長は商船学校あがりの中尉で、その妹が、あの宝塚少女だった。

 しかし、触雷して沈没するまで、機関長に少女について話すことは無かった。

 触雷で、機関長を含む半分の乗組員が亡くなり、衝撃で海に投げ出されたひい爺ちゃんは生き残った。

 戦後、ひい爺ちゃんは戦時中のことは、ほとんど語らなかった。

 咲月は小学校入学以来のAKPファンで、咲月に目のないひい爺ちゃんも、いっしょにAKPのファンになってくれた。

 咲月は、そんなひい爺ちゃんが大好きだった。

「AKPは宝塚に似てるなあ……どうだ、咲月もオーディション受けてみないか」

 そう言い始めたころ、ひい爺ちゃんはめっきり衰え始めた。

「咲月は、あの南の海で行方知らずになった女の子と同じ目をしている。咲月は向いているよ」

 けして、ひい爺ちゃんのためと言うようなことではなく、自分の乏しい才能を言い当てられたような気がして嬉しかった。

 遅まきながら、咲月は歌とダンスのレッスンに通いだした。

 なんとか、ひい爺ちゃんが生きている間にオーディションに通りたかったのだ。

 そして、勉強そっちのけでレッスンした結果、オーディションは落ちて学校の成績も悪くなった。

「オーディション受かったよ!」

 ひい爺ちゃんには、そう言っておいた。

「そうか……よかったな」

 ひいお爺ちゃんは、その言葉に頷いて亡くなっていった。

 学校のみんなは、身の丈に合わない夢を追いかけて落第したダメな咲月としか見て居なかった。

 栞に話し終えて、少し気持ちが楽になったような顔になったが、まだ芯からのわだかまりは解けない顔の咲月である。

「もう少し話していたいけど、鐘が鳴るわ。明日また話、いい?」

「う、うん……」

 放課後に話しても良かったのだが、咲月のとんがったところが少し丸くなって話をした方がいいと思う栞だった。

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コッペリア・25『水分咲月』

2021-06-16 06:24:38 | 小説6

・25 

『水分咲月』   




 クラスは違ったが、噂は聞こえてきた。


 水分咲月のうわさ。

 退学もせずに、のうのうと留年して二回目の二年生をやっていることに、みんなが冷淡であること。

 下足ロッカーの中に「さっさと辞めちまえ」という心無い匿名のメモが入っていたこと。

 栞は、クラスに一日で溶け込めた。

 女子高生の人間関係なんて、最初のボタンのかけ方一つで大きく変わる。

 最初ボタンを掛け違うと、あとは何をやっても悪くとられてしまう。

 でも、勇気を出して仕切りなおせば道は開けてくるもの。時間はかかるだろうけど。

 なんと言っても、新学年は始まったばかりだ。

 悪意はないが、栞は、そんな突き放した気持ちで咲月のことを思っていた。

 

 選択授業の移動で、咲月のクラスの前を通った時のこと。

 クラスの大半から、特に女子から冷たい目で見られていることが分かった。

 咲月は負のオーラをまとって、俯いてスマホばかり見ている。

 こういうのって、嫌われるよね……栞は思った。

 通り過ぎようとしたら、咲月が、ネットニュースで、わずかに心を慰められたのを感じた。

 え?

 それは、天皇陛下がパラオのペリリュー島に出向かれたニュースだった。

「お久しぶり、あたしのこと覚えてる?」

 

 一人食堂の隅でランチを食べている咲月の斜め前にカツ丼を持って、栞は座った。

「ああ……靖国神社で」

「うん、まさか同じ学校だとは思わなかった」

 意外そうな気持ちの咲月だったが、今までで一番開いた気持ちになっているのが分かった。

 駆潜艇咲月、ペリリュー島、AKPなどが、脈絡もなく栞の心に飛び込んできた。

 栞は思い切って正面から聞いてみた。

「駆潜艇咲月って、ペリリュー島に行ってたんだよね」

「よく知ってるわね?」

 さらに咲月の心が開いた。バラバラだった言葉が栞の中で一つになった。

 でも、栞の口から分かったとは言えない。咲月自身の口から聞かなければ会話にならないと思った。

 どうしようかと思っていると、咲月がランチを食べる手を休めて語り始めた……。

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コッペリア・24『夢の秘密』

2021-06-15 06:06:15 | 小説6

・24 

『夢の秘密』  

 

 


 呼び出し音を四回聞いた。


 五回目で出た彼女の声には温もりがなかった。

「なにか、用ですか?」

「久しぶりだね」

 颯太は、できるだけ平静に話を切り出した。

 なんせ半年ぶりに聞く佐江の声である。

 …………………… 

 間が空いた。ほんの数秒なのだけど颯太には何時間にも感じられた。

「声が聞きたくて……」

 紡いだ言葉は、正直だが、ひどく平凡だった。

 佐江は、講師を始めたころの教え子である。

 佐江の卒業後、いろんないきさつがあって付き合うようになり、将来のことも約束していた。

 颯太は佐江のことをとても大切に思い。軽々とは電話しなかったし、メールという無機質な連絡の取り方もしなかった。

 週に一回手紙を書いた。

 手紙は考えて書ける。書いた後読み返しもできる。そうやって三度に一度は書いた手紙を破り捨ててもいた。佐江に対して押しつけがましかったり、こちらの思いが一方的すぎるものは惜しげもなく処分した。

 佐江は、そんな手紙を喜んでくれた。佐江の返事はデコメを差し引けば、そっけないものだが、颯太はそれでいいと思っていた。

 今の子は佐江にかかわらず、こんなものだと思った。

 実際、月に二三度のデートでは、ちょっと歳の離れた恋人らしい甘え方をしてきた。少しまどろっこしいとは思ったが、採用試験に合格し経済的な裏付けができるまでは、これでいいと思っていた。

 半年前から、何通手紙を書いても返事は返ってこなくなった。

 で、思い余って禁を破り電話したのである。

「……大事に思ってくれているなら、なんで半年も放っておいたのよ」

 この一言で颯太は、全てを悟った。

 この半年、颯太の手紙は佐江には届いていない。おそらく佐江の親が度重なる颯太の手紙を不審に思って開封し、それを読んだうえで佐江に渡さずに処分していたのだろう。ひょっとしたら、学校を通じて颯太のことを調べていたかもしれない。

 なによりも、佐江の心の中には颯太に替わる別の男が住んでいる気配があった。

――身を引くべきだ――

 佐江のことは、何よりも誰よりも大切だった。本当のことを言って佐江の心を煩わせたくはなかった。

 何を言って電話を切ったのかは覚えていない。

 でも切り終わったときには決心がついていた。

――佐江の前から姿を消そう――

 颯太は、佐江のことが大事だったから、好きだったから、それが一番だと思った。

 颯太は、その年度末に大阪を離れ、縁もゆかりもない東京に単身でやってきたんだ。

 そして偶然が重なり、同姓同名の立風颯太のオジサンが住んでいた、このアパートにきた。そして、オジサンの死後に届いた人形の栞を受け取るハメになり、こうやって人間のようにしてくれた。

 颯太は、平凡で取り柄もなく要領も悪い男だけど、人に対しては十分すぎる優しさを持っている。

 伸子夫人からもらった式神を使って、颯太の心の奥が、ここまで分かった。

 

 ハーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 空気人形だったら、ペッタンコになってしまいそうなくらいのため息が漏れる栞だった。

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コッペリア・23『パセリは式神の香りがする』

2021-06-14 06:22:56 | 小説6

・23 

『パセリは式神の香りがする』 

 

 


 まな板を叩く音が乱れた。


「栞ちゃん……?」

「え、あ、いえ……」

 

 事の起こりはスマホだ。

 校門を出たところで着メロが鳴った。A大臣の伸子夫人からだった。

――遊びに来ない?――

 50も歳が違うというのに、同級生を誘うような気楽な文面だった。

 で、伸子夫人から、簡単な料理の基本を習っているところだ。

 パセリを微塵切りにして保存する方法を習っている。

 微塵に切るのはお手の物だった。

 朝ごはんに入れるネギを切るのと変わりない。だけど、その変わりの無さから、写真立ての中身が思い出された。

 写真立ての表は富士山だが、その下には女の人の写真が隠れている。

 セラさんといっしょに部屋の掃除をしているときに発見したのだ。

 焼きもち……ではない。颯太とは兄妹の関係……ということになっているし、そう思っている。

 栞は、かなりの確率で人の心が読める。

 颯太の心もほとんど分かっているつもりだ。

 ただ、あの写真の女の人に関しては、颯太の心の鍵が硬くて読むことができない。そして半分は読むことそのものに栞は恐れをいだいていた。それが包丁の音の乱れになった。

「……そうだったの」

 伸子夫人は聞き上手だ。

 聞いてもらうと、それだけで安心できるような穏やかさと心の広さが夫人にはある。

「そうだったの……それだけ鍵がかかっているというのは、強い思いが、その写真の女の人にあるのね」

「恨みとかじゃないんです。そんな暗い感情は感じませんから……でも痛みを感じるんです。大阪からわざわざ東京に越してきたことも、その人が関係している……勘ですけど」

「そうね……あ、パセリは布巾で包んで水に晒して、ギュッと絞る……そうそう、脱水機にかけたぐらいになるまでね。あとは少し乾燥させて密封容器に入れて、冷凍庫で保存。必要な時にお料理にかければ、新鮮な刻みたてのパセリに戻るから」

 二度絞って布巾を開くと、パセリの青い香りが広がった。

「……こんな風に、お兄ちゃんの心も解凍できればいいんですけど……パセリの青い香りっていいですね」

 栞は、パセリのまじりっけなしの青い香りが、こんなにいいものだとは思わなかった。

「お兄さんの想いも、パセリと同じかもね……そうだ、ちょっと待っててね!」

 伸子夫人がキッチンを出ていくと伸子夫人の孫の竜一がスーツ姿で現れた。

「やあ、今日も来てたんだ」

 本当は、伸子夫人がいなくなるのを見計らって入ってきたのが丸わかりだった。

「あ、コーヒー飲もうと思って」

 見透かした栞の目にたじろいで、竜一は一時しのぎの出まかせを言う。

 栞は竜一の無邪気な自分への関心を不愉快には思っていなかった。

「それなら、あたしが一から淹れます。そこに座って待っててください」

 豆を挽くところから作ってやった。

 竜一は心ときめかして栞を見ている。

 竜一の頭の中では、背を向けてコーヒーを入れている自分が裸にされているのがおかしかった。女の子への憧憬が少年のように初々しい。

 三人分のコーヒーが入ったところで伸子夫人が戻って来た。

「またこんなところで。今日は就活のガイダンスでしょ、さっさと行きなさい」

「お引止めしたのは、あたしなんです。コーヒーが飲みたいっておっしゃるんで、パックのじゃ味気ないから、伸子さんの分もいっしょに作っておきました」

「そうなの、ありがとう。飲んだらさっさと行くのよ竜一」

「う、うん」

 竜一が出ていくのを見計らって、伸子夫人は人型の紙を取り出した。

「これ、式神っていうの。実家が陰陽師の家系でね、ちょっとこんなことも。ご先祖は、これを人間に化けさせて、いろんな用事をさせたらしいけど、そこまでの力はさすがに無い。でも、お兄さんの枕の下にでも置いておけば、お兄さんの深層心理が分かるかも……」

「これでですか……」

「まあ、半分遊びだと思って」

 栞は、式神が優しいオーラを放っていることに気づいた……パセリの香りに似合うオーラだった。 

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コッペリア・22『始業式と入学式』

2021-06-13 05:50:48 | 小説6

・22 

『始業式と入学式』   

 

 

 

 菜種梅雨がすっかり桜の花を散らし、久々の青空に恵まれて、神楽坂高校の始業式と入学式が挙行された。

 颯太は非常勤講師なので、式に参列する義務はない。だけど美術と言う教科柄一年と二年の美術を持つので、生徒の様子を見るために、午前の始業式も午後の入学式も出ることにしていた。

 始業式で見た生徒たちに覇気はなかった。まあ授業になれば意欲を見せる生徒もいるだろうと、式の半ばで会場を出た。

 水分咲月のことが気になったからである。

 留年生は始業式には出られない。別室で待機し、始業式が終わるのを待って新しいクラスに合流する。

 颯太は、咲月のクラスが見える渡り廊下で、その時を待った。

 やがて始業式を終えた生徒たちが戻ってきて教室に入り始め、その流れに紛れ込むようにして咲月が教室に入っていく。

 クラスの何人かは咲月を見知っているようで「あれ?」というような顔をしたが、すぐに無関心を決め込んで前の学年での同級生や、友達同士で喋り始めた。咲月は完全に孤立している。

 中年の担任のオッサンが入ってくると、みんな大人しくなり、咲月の孤独は目立たなくなった。あまり熱のある担任には見えなかった。必要な書類を配って事務連絡が終わると、さっさとホームルームを終えた。

「あらら……」

 良くできた担任ならば、なにか口実を設けて留年生は残し、懇談というかコミニケーションを図るものである。咲月はノロノロと配られたものを鞄に入れると、まるでビジネスホテルをチェックアウトするように、一人ぼっちで教室を出て行った。

「ねえ、ちょっと」

 声を掛けられると同時に、頭をはられた。振り返ると栞が怖い顔をして立っていた。怖い顔と言っても颯太には、ディズニーアニメのキャラのようにしか見えないので、迫力はない。ただはられた時の痛さで、かなりむくれていることは分かった。

「妹のことはほったらかしといて校内見学!?」

「ばか、学校じゃ他人だ。お前の保護者は大家の鈴木さんなんだから、オレが関われるか。で、クラスはどうだった」

「まあ、なんとかなりそうだけど。面白そうなのは先生にも生徒にもいない。ま、ルーチンワークみたいな高校生活になりそ」

「穏やかなのは、なによりじゃないか。オレ入学式見て、教科の準備してから帰るから、晩飯の用意よろしく」

「もう、そーゆうとこだけ妹扱いなんだから。だいたいね……」

「だいたい、なんだよ」

「もういい。味は保証しないわよ、晩御飯」

 栞は、例の写真立ての女の人のことを聞きたかったが聞き逃した。しまったという気持ちと、これでいいんだという気持ちが交錯する。

 栞の姿が見えなくなると、食堂で簡単な食事を済ませ、入学式を待った。

 式までには時間があるので美術準備室に戻り、咲月の印象を絵にしてみた。描き終ってうろたえた。今まで気が付かなかったが、咲月の印象は写真立ての後ろに隠してある、あいつに似ていた。

 気分を変えて栞を描いてみた。これは吹きだした。まるで『アナ雪』のアナの不機嫌なときの顔にそっくりだ。

「令和三年度、第九十七回入学式を挙行いたします。全員起立」

 お決まりの「君が代」が流れる。さすがに起立しない教職員はいないが、声に出して歌っている者は一人もいない。中には授業中に当てられた生徒のように不承不承突っ立ているだけという先生もいる。

「ここも、どうやらアホばっかりみたいやなあ……」

 久々に大阪弁の呟きをもらした颯太であった。

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コッペリア・21『二枚の写真』

2021-06-12 05:53:54 | 小説6

・21 

『二枚の写真』   

 



「あら、今日は栞ちゃん一人?」

 お隣のセラさんが眠そうな顔で開け放したドアから覗きこんだ。

「ごめんなさい、起こしちゃったわね。今日からお兄ちゃん仕事だから、その間にお掃除してます」

「そういや、散らかってるわね……」

 ポリポリ

 股ぐらを掻きながらセラさんは遠慮なく観察する。それほどセラさんとは親しくなった。

「んー、なんだか箱を開けて適当に並べたとか積んだってレベルだね……オーシ、あたしが手伝おう!」

 セラさんは、てきぱきと荷物を整理していく。なんだか、あらかじめ片付けのプランを持っているみたいに慣れている。

「セラさん、すごい!」

「あたしたちの仕事はね、意外だろうけど整理整頓が第一なの。お店って、裏も狭いけど、表も見かけほど広くないのよね。ほっとくと直ぐに散らかっちゃうからね……ま、とりあえず、それらしく並べて、積んでと……ん、なんだこの写真は?」

 セラさんが取り上げたのは、どうってことのない富士山の絵ハガキを入れた写真立てだった。

「富士山が、どうかしました?」

「今時いい歳したオニイサンが、富士山の絵ハガキなんか写真立てに入れとくか……」

 セラさんは、遠慮なく写真立ての裏蓋を開けた。すると富士山の絵ハガキの裏から女の人の写真が出てきた。

「きれいな人……」

「きれいなだけじゃないわね……」

 セラさんの目が光った。

 そのころ颯太は、今日から自分の城になる美術教室と準備室の整理に余念が無かった。自分の部屋はほったらかしでも気にならないが、仕事場は念入りになる。性分というものだろう。

 その間に、年度初めの職員会議が行われている。非常勤講師は、これには出ない。そもそも今日来なければならないという義務もない。

 颯太は美術の講師なので、備品の確認や、消耗品の見積もりや発注という仕事がある。それに粗々ではあるが年間の教育計画も立てておかなければならない。行き当たりばったりと一応の計画を持っているのとでは、授業への力の入り具合が違う。で、力を抜くと、生徒は美術の時間を息抜きとこころえ、収拾がつかなくなることを経験上よく分かっている。

「ちょっと失礼しますよ」

 教頭が、形だけノックして、ずかずかと準備室へ入ってきた。

「職会終わったんですか?」

「ええ、で先生がお越しだと聞いて、ちょうどいいと思いましてね……」

 そう言うと教頭は、バインダーに挟んだ生徒指導書を出した。生徒の経歴や連絡先などの個人情報が書かれている。

「あ、水分咲月だ……」

「御存じだったんですか?」

「ええ、最初は学校の正門で見かけて、初めて伺った時です。時期的に留年生だと思いました……ドンピシャですね」

「先生の美術をとっているんですが、ちょっと扱いに注意のいる生徒でして……」

「それにしても……」

 指導書の写真は、今まで見たこともないほどの穏やかさだった。

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コッペリア・20『新しい制服とお花見』

2021-06-11 06:05:11 | 小説6

・20 

『新しい制服とお花見』   




 栞の真新しい制服が届いた。

 といっても届けてくれたのは宅配さんじゃなくて、大家さんだ。

 神楽坂高校への編入の書類がきたときに、書類上では立花栞ではなく、鈴木栞にした。大家さんの養女ということにした方が、法的手続きや、様々な届け出が簡単なためだ。

「ま、これも神さま仏様のおぼしめしだろう」

 大家さんは、この不思議な現象をあっさり受け止め、栞の現住所は大家の鈴木さんちになっている。

「うわー、まるで別のあたしだ。どう、似合ってる?」

 栞は、さっそく制服に着替えると颯太の前でターンして見せた。制服のスカートが膨らんで、なんだか満開の桜を連想させた。

「そうだ、お兄ちゃん、お花見に行こう!」

「お花見?」

 朴念仁の颯太は、間の抜けた返事をした。

「だって、お兄ちゃんは明日は引継ぎでお仕事でしょ。二人で出かけられる最後のチャンス!」

「ま、いいか……って、おまえ、その制服のまま行くのか?」

「いいでしょ、嬉しいんだから(^_^;)」

「ま、まあ、いいか」

 考えてみれば、桜に新品の制服はよく似合う。

 とういうことで、手近なところで、上野公園にいくことにした。

「ウィークデーだってのに、けっこうな人たちがいるわね」

「そりゃ、床屋さんとか、図書館のひととか、月曜が休みって人は多い。だいたい春休みのど真ん中だからな、学生なんかも多いだろう」

「高校の制服で来てるのは、あたしくらいのもんだな……」

 と、まわりを見渡すと、案外奇抜なコスの若者たちがいる。アキバが近いせいか、ゴスロリやアニメのコス。中には真っ当な卒業スタイルの袴姿の女子学生もいるが、着つけない衣装なのでコスプレに見えている。

「なんか自由な感じでいいなあ」

「うん、大阪よりは行儀がいい感じだな」

「大阪はちがうの?」

「ああ、なんちゅうか、もっとハジケとるなあ。にぎやかだし……昔、桜ノ宮の通り抜けにトラックでリンゴを売りに来たオッチャンがいたんだ。オッチャンがトイレに用足しに行ってる間に、荷台のリンゴがみんな無くなった。大阪人の群集心理はすごいぞ」

「お兄ちゃんて、そんなとこで育ったんだ。そんな風には見えないけど」

「ハハ、大阪の人間といってもいろいろ。それに東京に来るとすぐに影響されっちまう。自分で言うのもなんだけど、言葉まで変わってきてしまった……前の立風さんも、そうだったのかな」

「前の立風さんのことは、いいよ。栞のお兄ちゃんは、お兄ちゃんだけなんだから」

「そういうことをサラリと言うとこ……」

「なに?」

「なんでもない」

「へんなの……あ、あの子、咲月さん?」

 栞が指差した先には、神楽坂の正門で見かけた、あの女生徒、水分咲月がいた。

「場所変えよう、今のあの子は、そっとしておいたほうがいい」

 それから、二人は地下鉄に乗って、行き当たりばったりで、靖国神社に行った。

「こないだ、来たとこだぜ」

「いいじゃん。あのチラホラ咲がどうなったかも楽しみだし(^▽^)」

 靖国神社もかなりの人出だ。さすがに、上野公園のようなコスプレはいないけど、旧陸海軍の軍服を着た人たちがチラホラ見える。

「おれ、どうかと思うな。旧軍人でもないのに、ああいうコスでくるのは……」

 栞は、すぐには答えずに、しばらく境内を歩いてから言った。

「……何人か本物が混じってるよ」

「え、どこ……」

「教えない。せっかく、密かに花見に来てらっしゃるんだから」

 なんだか、見てはいけないものを見た花見になってしまったが、いい経験になったと二人は思った。

 

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コッペリア・19『栞のフォーチュンキャンディー・2』

2021-06-10 06:12:48 | 小説6

・19 

『フォーチュンキャンディー・2』

 



 栞の『恋チュン』のコスプレ衣装はひどかった。     

「おかしいなあ……」

 颯太も、戸惑ってパソコンでMAMAZONを出して、注文したテナントのH・Sという業者のサンプルと見比べた。

「これ、別物だね」

 商売柄セラさんは、こういうコスの違いには敏感だ。颯太には、なんとなく違うとしか分からなかった。

「ようく見てよ、栞ちゃん、ゆっくり一周してみな」

 栞は、言われたようにマネキンのように、ゆっくりと回った、セラさんはボールペンの頭で指しながら解説した。

「いい、ウエストの位置が7センチほども高い。上着の裾は10センチ高い……つまり、胴長短足に見える」

「でも、これオーダーメイドなんだぜ」

「嬉しい(^▽^)!」

「喜んでる場合じゃない。ブラウスの襟ガバガバじゃん。帽子はちっこすぎる。頭に乗っかってるだけ。スカートはボックスプリーツだけど、これは単なるギャザースカート。パチモンだね……」

 セラさんは、そう言いながら画面をスクロールしていく。

「あ、この業者と同じ写真だ!」

「……ほんとだ」

 セラさんは、我が事のようにすぐに業者に連絡してくれた。

「……なんだってぇ、写真は試作品で、現物とは違いがある? バカにすんじゃないわよ。特定商法ってネット通販を規制する法律に書いてあるわよ。これは完全に誇大広告の上にサンプル写真の盗用……なに、返品してくれ、代金は返すから? 冗談じゃないわよ。証拠が無くなっちゃうじゃないの、これは証拠品として押えとく。MAMAZONには保証申請しとくから……え、こんなもの売りつけといて、よく言えるわよね、首洗って待ってなよ!」

 すごい剣幕でまくしたてると、セラさんはネットオークションを検索。たちどころに中古のコスを発見、五千円で二着落札した。

 落札したコスは、あくる日には届いた。栞とセラとでファッションショー。二人ともご機嫌であった。
 MAMAZONと落札したコス代は颯太の持ち出しである。

 商店会主催の『恋チュン大会』は大盛況だった。

 なんと、AKPから振り付けの担当と地元の放送局がやってきた。

 ノリのいいセラさんは、商店会長とテレビのディレクターと相談をぶった。

 三十分ほどすると、AKPのいろんなコスをした人たちや、近くの高校や大学のチアグループ。商店街のみなさんなど三百人が集まった。

 結局、AKPの振り付けさんが、居並ぶ恋チュン大好きさんたちに振り付け、いろんな場所やシュチュエーションで数十カットを撮った。

 その日の夜のニュースでは、ローカルニュースとして取り上げられ、ユーチューブのアクセスは五万を超えた。商店会も放送局も大喜びだった。

 その夜遅く、AKPの事務所でユーチューブを見ていたスタッフや、手空きのメンバーが、栞に注目した。

「この子、ロングで撮ると萌絵そっくりだわね……!」

 AKPから公認が出たのは当然だったが、その後意外な運命の展開があるとは、誰も気づかなかった。

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コッペリア・18『フォーチュンキャンディー・1』

2021-06-09 05:52:06 | 小説6

・18 

『フォーチュンキャンディー・1』






 栞は、このごろAKP48の『恋するフォーチュンキャンディー』に凝っている。

 きっかけは、トモタのCMだった。

 レトロなトランクが開くと、そこは小さなステージになっていて、萌絵と中学生ぐらいの女の子たちが元気に歌って踊っていたのが『トモタ』の重電プリワスのコマソン。やがて、それがAKP48の『恋するフォーチュンキャンディー』であることを知ると、アイポッドに曲を取り込み、一人で踊るようになった。

 栞は、すぐに歌も踊りもマスターした。

「栞ちゃん、なに楽しげなことやってんの?」

 十分音は落としていたのだが、ボロアパートの良さ(?)で、栞が無意識で口ずさんだ歌が隣のセラさんに聞こえてしまったのだ。

「あ、ごめんなさい。音漏れてました(^_^;)?」

「ううん、いいのよ。いい目覚ましになったし、うちのお店でも流行ってんのよ。お客さんがノッテくるとね、みんなで『恋チュン』踊って、平和でいいのよ。お客さんが悪酔いしてカランできたりケンカすることもなくなったしね。お店のカラオケでも、これがまだまだベストワンなのよ」

 颯太は神楽坂高校に提出する胸部レントゲンを撮りに都の医療センターに出かけている。万事平和を好む颯太がいれば、その後の発展はなかったかもしれない。

「ねえ、公園行ってやってみようよ。きっといっしょになってやりだす人がいるから!」

 陽気なセラさんが調子に乗ってしまった。

 栞は、気を付けないとAKPの矢頭萌絵そっくりになってしまうので、そこは十分気を付けてやった。

 二人の歌と踊りは鍛え抜かれていたので、公園にいた子供連れのママさんや、得意先回りに一息ついているサラリーマン、起き抜けの浪人生、店の開店準備中の商店街の人たちに来々軒の飼い猫悟空もやってきて、調子に乗った商店街が恋チュンを流し、期せずして集団恋チュンになった。

「えー、次回は明後日の10時から始めますので、どうぞよろしく」

 商店会の会長が勝手に決めて、栞とセラが二人でセンターを務めることになった。

「あたし、プロだから、タダじゃやらないわよ(ー_ー)」

 セラさんが足許を見る。

「じゃ、二人にはMCも兼てもらうってことで、5000円ギャラ出すから」

「オーシ!」

 そういうことで、突然楽しいバイトの話に替わってしまった。

 アパートに戻ってパソコンを開くと、さっそく誰かが『恋チュン公園公演!』とダジャレのようなタイトルでユーチューブに投稿していた。

「ひょっとしたら評判になるかもね(^▽^)/」

 セラさんは、面白そうに鼻をひくつかせた。どうやらセラさんがノッたときの癖らしく、オチャッピーな女子高生のようになる。

 そこに、ひょっこり颯太が帰ってきた。

「ちょうど下で宅配さんに会って、ほら栞、おまえ恋チュンに凝ってるみたいだから、オレからのプレゼント」

「え、なになに?」

 包みを開けると、それは恋チュンのセンターのコスのレプリカだった。

「うわー! さっそく着替えてみるわね!」

 栞は、さっそく奥の部屋で着替えだした。あまりに嬉しいので襖を閉めるのも忘れて、着ている物を脱ぎだした。

「ちょっと、兄妹とはいえ女の子なのよ、襖くらい閉める。フーちゃんも見てるんじゃないわよ!」

 颯太には人形にしか見えないが、セラさんたちのような並の人間が見れば、栞は年頃の女の子である。

 二分で着替えると「ジャジャーン!」と言いながらコスに着替えた栞が出てきた。

「ウワー……!」

 と声が上がったが、後が続かない。そのコスは、いささかダサく、栞は胴長短足に見えてしまった。

 これが、新しいゴタゴタの始まりだった……。
  

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