六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

後ろ向きなのだろうか? 夏の思い出・・・・。

2018-10-09 02:17:09 | 想い出を掘り起こす
 9月は、21号台風でガレージの屋根が吹き飛ばされン十万の支出を余儀なくされたり、以前なら2、3日で治った風邪に10日間ほど粘られたり、さらには、ここでちょっと書けない事態に直面させられたりで、ろくな思いはしなかった。
 
 10月は、ほとんど外出しないで、次に同人誌に書くための基礎的な勉強をしている。実際に発表する文章はできるだけ平易なものにするつもりだが、その基礎はしっかり固めておきたい。
 そんなことで、ヒッキーよろしく、ほとんど外出もせずに「公的世界」がなんたらとか、「日常性からの頽落」ってなんなんだとかいったことを勉強している。
 頭が固くなっているから、それも遅々として進まない。

 心身ともに疲れた折に、8月のロンドン、パリへの旅の写真を整理している。わずか2ヶ月前なのだが、もう遠い昔のような気がする。

       
          

 ここに紹介するのは、自分でも印象深いものだ。
 二枚の女性像のうち、帽子をかぶった方は、最初はオープンカフェの宣伝のためのマネキンかと思った。写真を撮ったあと、動いたので驚いた。「ソーリー」と小声でいったが届いたかどうか。

 もう一枚、公園で憩う女性は盗撮気味。スマホに向かい合う表情が素敵だった。
 なお、この公園にはリスがいて、餌がもらえるのを期待して人の周りをうろちょろする。
 これらはいずれもロンドンで撮ったもの。ロンドンには一週間いて、観光スポットには載っていない街々をけっこう歩いたが、想像していた以上にいい街だった。

          
       

 最後は、トランジッドで立ち寄ったヘルシンキ空港で見かけたシベリウスのサインを施したリムジンバスである。背景の楽譜は、彼の作品にしてフィンランドの第二の国歌という「フィンランディア」であろうか。

       

  苦難の9月を忘れるために、8月を回顧する・・・・過去への志向はやはり私のような老人の逃避の行為なのだろうか。
 もう、未来への希望はもてないのだろうか。
 若い人たちが、私以上に日常性を超えた未来への希望をもってはいないようにも思われ、それもまた哀しい。



コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あなたは田中角栄を知ってい... | トップ | 百均ショップの心理学? »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (花てぼ)
2018-10-11 21:40:22
以前、紀行文をお書きになったとき。私はちょっと勘違いしていた節があります。あれは、ずっと前のご旅行のことかと。

今年の8月のことだったのですね。何だか知らない間に出掛けられたような気がしていました。

ここに載せられた女性の写真、ピカイチです。(女性がピカイチか)
バスも洗練されていますね。又いい写真をみせてください。
返信する
そうなんです。 (六文銭)
2018-10-12 00:10:12
 以前から、準備に準備を重ねということではなく、いくぶん唐突にそのチャンスが巡ってきたわけです。しかも添乗員付きのパック旅行ではなく、航空機とホテルのみの予約で、あとはすべてこちらの側の自由行動という、この歳ではかなり冒険的ではありますが、同時に僥倖も失敗も自己責任という気楽な面もある旅でした。
 おかげで、「飯は何時にここで食え、土産物屋へ連れてってやるからそこで買え」といった束縛から開放され、ロンドン、パリで六つの美術館をまわり、道に迷い、路地裏で飯を食ったり、思いがけない光景に出会ったりと、勝手気ままな旅をしてまいりました。
 とりわけ、ロンドンについては、これまで文学作品などによって得ていた限定付きのイメージをある意味で払拭し、やはり近代にさきげけて作られた街、そうした伝統を大切にしながら、けっこう新しい面も持ち合わせた重厚な街だと認識するに至りました。
 女性の写真、おっしゃるように対象の良さによるところが多いのですが、それを見出す私の鑑識眼、迷わずそれを切り取る決断力も多少はあろうかと・・・・(って、全く自慢話ですね)。
 ちなみに、この二人共に、ロンドンで出会った方々です。
 
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。