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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

机龍之介、若山牧水@紅葉の白骨温泉 

2018-10-16 00:56:10 | 旅行
 松本から高山を経由し福井へ至るという国道158号線、途中の分岐から急峻な坂を登る。標高は1,400メートル、かつて秘湯といわれ、今なおその面影を持つ白骨温泉に至る。
 名前がいささか奇っ怪ではあるが、「ハッコツ」と読んではいけない、「シラホネ」と読む。

     
                

 その名の由来はもともとは浴槽の内側が石灰分の結晶で白くなることから白船と書かれ「シラフネ」とも呼ばれていたのが、大正2年、中里介山の長編小説『大菩薩峠』の「白骨の巻」の中で白骨温泉と称したことからこの温泉が一躍有名になり、そのまま「白骨」が通称になったという。

     
                

 ということで、ここはその小説の主人公、机龍之介の滞在地であり、当然、中里介山も滞在している。
 この中里介山、当初は「平民新聞」に籍を置いていて、その周辺にはかの大逆事件で処刑された人々もかなりいたという。『大菩薩峠』の机龍之介の虚無的なありようには、そうした体験が反映されているのかもしれない。

             

 温泉の集落入口付近には、それに関する石碑が建っていて、それには
 「白骨の地にゆかり深き
    中里介山先生作
     小説 大菩薩峠 記念碑」
 と、刻まれていた。

     
                

 ほかにこの地を愛した文人としては若山牧水がいて、胃腸の病を癒すことも含め、ここに一ヶ月近くも滞在し、その間、歌を詠んだり、この地に関するエッセイを書いたりしている。
 「秋山に 立つむらさきぞ なつかしき 墨焼く煙 むかつ峰にみゆ」がこの地で詠んだ歌だが、かつて滞在した旅館の近くに建つその歌碑には、この歌の下に、亡き牧水を偲んでこの地を訪れたつれあいの喜志子の歌も刻まれている。
 「亡き人の あとをたづね来て みいのちの いまだ盛りて この山の 秋を惜しみつつ ありし人をや」がそれである。

             

 そんなこともあって、ここの湯元齋藤旅館には、介山荘、牧水荘と名付けられた部屋があるようだ。

     
                 

 いささか文学じみた話になったが、ここを訪れた10月10日、もう紅葉が始まった山々や渓谷に囲まれた温泉地の景観そのものがみものだった。晩秋の頃の哀愁はまだはなく、明るい秋の彩り、いってみれば川合玉堂の山里図のような澄み切った空気が一帯に漲っていて、さして天候は良くなかったのだが、どこか清々しいものがあった。

             
 
 温泉地の入り口にある竜神の滝も、あまりおどろおどろしくない、どちらかというと優美な感じで、瀑布の威圧感はなかった。

     
                 
 
 いまなお秘湯の面影をとどめているこの温泉に、今では考えられないような手間ひまをかけて人々が訪れたり、文人たちも通ったというその魅力とは、山中の孤島ともいうべきその隔絶感にあったのかもしれない。
               

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