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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

永代供養塔と私の「青山」

2014-12-25 17:43:08 | 日記
古くからの 友人から、岐阜の郊外にある岩井山延算寺に自分の永代供養納骨をしたいので下見に行く、ついては一緒に行ってくれないかという申し出があったのは10月のことだった。
 永代供養納骨霊廟(納骨堂)とは何かというと、その寺のHPによれば、「自分の死後、供養をしてくれる子孫のない方のため、当山が後継者となって、寺に納骨をして頂き、寺が責任をもって永代に供養してゆく一種の墓地です」ということだ。 それ自体にはあまり関心はないが、彼女の経歴からして、その選択はありうると思い、アッシー君を引き受けることとした。

          
 
 岐阜の郊外にこんな名刹がといった佇まい。
 問題の永代供養塔は近隣の村落を見下ろすような山の中腹にあり、中心をなす観音像(かな?)を背後にした野外音楽堂のような階段状の箇所には、すでに1.5メートルぐらいの供養塔が立てられている箇所もあった。
 名前や戒名が掘られたところには、黒々と墨が流されいるもの、あるいは朱が流されているものもあった。朱の方は存命中なのだそうだ。
 春は桜、秋は紅葉というこの地が彼女には結構気に入ったようだ。
 価格も、ちゃんと個別の石碑が立ち永代供養付きとあればまあまあリーゾナブルだ。

 失礼を承知で、「金はあるのか」と訊いたら、「この分は普通会計とは別に前から貯めていたの」のこと。結構しっかりしている。

 「どう思う?」と訊くから「周辺の環境なども悪くはないんじゃないの」と答え、「ただいろいろあるといっても義理の弟もいることだし、頼りないといっても娘や息子がいる以上、やはりちゃんと話して了解をとったほうがいいんじゃないの」と答えておいた。

          

 11月に入って、それぞれ了解がとれた旨のメールが入った。
 そしてつい先日、「(今年は) 行く先を確保したことで気がおさまりました。 周りを見ても皆さん色々な事を抱えています。この年まで生きれば充分です。生きられるだけは自分らしくと思ってます。」とのメールがあった。

 かくして彼女は自分の安心立命(あんじんりつめい)の境地を手に入れたわけだ。若い人は笑うかもしれない。マルクス流に「宗教は民衆のアヘン」であるというわけだ。
 しかし、あのくだりで彼が語りたかったのは宗教やそれに酔う民衆についてでなない。かれらにアヘンを必要とせしめる現実への鋭い批判と、それにアヘン以上のものを与えることができない情けない現実についてであった。

          

 ところで、私自身についていえば、永代供養は愚か、墓地などについても、全く何も決めていない。後は野となれ山となれだ。いささか格好つけるなら、「人間到る所青山あり(ジンカンイタルトコロセイザンアリ)」だ。

 高校生の頃、まだ楽観主義者であった私は、このことばの意味を完全に取り違えていた。要するに、人生いいたるところ、希望に通じる青い山並みがある、ぐらいに受け止めていたのだ。
 これを正した教師は、「青山=墓所」のことだと教えてくれた。

          

 そうなればもちろん解釈も異なる。
 ひとつはこれは他国へ誘い、他者と交わることを奨めているようでもある。青山=墓地がふるさと以外にもいたるところにあるのなら、故郷に固執する必要はない。最後に身を横たえる場所は何処にでもあるのだ。

 これはその場所的、空間的な解釈だが、時間的な問題、時制の問題とも受け取れる。
 何処で倒れるもよしとするならば、それに対応した生き方をしなければならない。ハイデガー流にいうならば日常の頽落を生きるのではなくその本来性(この言葉はあまり好きではない)を生きよといことにもなる。
 もう少し平たく言えば、金太郎飴のように何処で折れても同様であれということだ。

          

 まあ、しかし、そんなに絵に描いたように実直に生きられるはずがない。その折その折の条件の中で、戦い傷ついて眠るのがせいぜいだろう。そしてその時、私にはやっと分かるのだ。
 「ああ、ここが自分の青山だったのだ」と。

 この20日前から時として体温が38度の後半にまで上昇する。
 一時良くなったかに見えたのだが改善しない。
 レントゲンに乗る。
 11月にも、撮っているのでそれとの比較はド素人でもわかる。
 肺に白いぼやけが見られる。
 立派な肺炎の症状だ。
 私にとっての青山は、白いモヤモヤとともにやってきた。
 絶対安静だというから、正月のための諸準備は今年はなしだ。
 

 
コメント (6)
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