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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

稲刈りと秋愁

2013-10-08 15:33:40 | よしなしごと
  写真 古い農具以外のものはこの近くの稲刈りです。 

 やっとこの地方の稲刈りが始まった。兼業農家が多いせいだろうこの土日で7~8割がたの稲が田圃から消えた。おそらく残りは次の土日辺りだろう。
 それでも、作年に比べれば一週間ほど早い。夏が暑かったせいであろうか。

 刈ったばかりの田は、独特の芳香がする。この芳香は、藁にも、籾殻にも残り、いろいろ経由して炊きたての御飯や、吟醸酒にも至るものだろう。

  

 私の部屋の窓辺の下でも小雨のなか稲刈りが始まった。ここのコンバインは、一挙に籾殻までにしてしまう。刈り取られ、脱穀された籾は袋へ収納され、わらくずは粉々になって田へと返される。

 この方式では藁は残らないし、このへんでも一部でやっているように、根本から刈り取った稲を、竹などで作ったいわゆるはざ(稲架)*にかけて天日干しをする稲架掛けの工程は行われない。おそらく人工的な乾燥機を用いるのだろう。

 地方によって、稲掛け(いねかけ、いなかけ)、稲機(いなばた)、稲架(はさ、はざ、はせ、はぜ、はで)

  

 もう60年以上のむかし、疎開していた農家では大変っだった。稲刈りはもちろん鎌(ノコギリ鎌)で刈る手作業で(田植えは子どもも手伝わせてくれたが、この刃物を持つ作業は大人のものだった。勢い余った足を切ったりするからだ)、束ねたものを大八車で農家の庭先まで運び、足踏み式の脱穀機で藁と籾とに分離する。この脱穀機というのは、足踏みでドラムを回転させ、そのドラムの表面に施した突起物などに稲わらを押し付け籾をとるものであった。

  
 
 しかし、これは大雑把な分離で、これでとれた籾のなかには藁しべやゴミなどが混ざっている。これを取り除くのが唐箕(とうみ)という道具である。これはかなり大掛かりに見えるが原理は単純である。脱穀された籾を、上部の漏斗のようなところへ少しずつ入れ、一方では右手のまあるい部分にある4枚羽ぐらいの大型扇風機のようなものを手回しで回転させ風を送るのである。すると、その風圧で藁しべのような軽いものは吹き飛ばされ、籾だけが残る仕組みであった。

 米の収穫はそれだけではない。そうしてとれた籾を、むしろの上に広げて天日で干すのだ。それも時折、返したり、くまでに似た平ぺったい木製の道具(名前は忘れた)で均したりして、まんべんなく乾燥するようにする。
 雨でも来そうなら大変だ。一家総出で何十枚も広げられたむしろの米を取り込まねばならない。

  

 そんな子供時代のことを回想しながら眼下の稲刈りを見ていたのだが、一反ほどの田は2、3時間もかかった頃にはもう刈り取りが済み、数十個の白い袋に入った米が道端に並べられていた。
 私の疎開していた地方は、田植時と稲刈りの時期は農繁期の休みとして一週間ほど学校は休みであった。私は、遊びもしたが、やはり、小さいながら労働力として、ものを運んだり弁当やお茶を田に届けたりの雑用をこなした。

 稲刈りが済んだ田には来訪者がある。今まで稲の陰に隠れていた獲物を狙う鳥たちだ。でっかいカラスが2,3羽、辺りを睥睨するように歩きまわる。ひょうきん者のムクドリが群れを作ってけたたましくやってくる。おや、あれはセキレイのつがいだ。あれあれ、田の上の電線ではトンビが田を見下ろしている。ネズミかカエルでもいないかと見ているのだろう。

    

 稲刈りの終わりはなんだか寂しい。
 ひとつのサイクルが終わったことを告げているからだろう。
 子供の頃からそうだった。
 世にいう秋愁というのも、意外とこの実りのサイクルの終わりと関係しているのかもしれない。

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是枝裕和:監督作品『そして父になる』を観る

2013-10-05 15:22:29 | 映画評論
         

 生まれたすぐ後に、赤ん坊が取り替えられ、それが6年後に発覚することによって二つの家族に起こる物語だが、最後の結末についていうならば、見終わってそれでよかったのだと思った。それは、私自身が幼くして両親を亡くし(母は病死、父は戦死)、養子に出されて育ったせいで、血筋というものに対してほとんど重きを置いていないことによる結論ともいえる(ただし、血筋というのがそれほど軽い問題だとも思ってはいない)。
 戦後のどさくさで中国に残留し、そこで養父母に育てられた子どもたちの帰還問題に関しても、私はそれを複雑な思い出見ていた。何十年も彼らを育てた養父母の立場をつい考えてしまうのだ。数十年の生活と、それを越える血筋・・・?。

    

 しかしながら映画は、どんな結論に至るのかではなく、それへの過程での二組の両親の内面・外面での葛藤、それにそれぞれの子供を巡る問題を余すところなく描き出していて、まさにそこにこそ観るべきものがあるといえる。
 それらを、是枝監督はまったく無駄のないカットの積み上げのなかで、各登場人物、とりわけ福山雅治演じるエリートサラリーマンの微細な変動の軌跡を丹念になぞってゆく。この映画のなかで、いちばん試練にさらされ、そして変わることを余儀なくされるのは彼であろう。「負けを知らない」人が、意地や外聞では通らない世界に直面せざるを得ないからだ。

 とはいえ、尾野真千子、真木よう子、リリー・フランキーらが演じる役柄は決して軽んじられるものではない。映画はそれぞれの問題の所在を明らかにしながら進むし、それぞれのアクターがが適材適所の好演でそれに応じている。そして、二人の個性的な子どもたちの存在も欠かせない。子どもを撮る是枝監督の目線は従前より卓越したものがある。

 

 ついでながら、風吹ジュン、國村隼、樹木希林、夏八木勲らの脇は達者で揺るぎない。風吹ジュンは大河ドラマ「八重の桜」の母親役でもそうだが、いつの間にか老け役を巧みにこなすようになった。やがて、樹木希林のアクを少し薄めたような境地に至る可能性がある。
 ついでながら、夏八木勲は、この映画の後、もう一本に出演してその生涯を終えている。

 全体としては、理性的でかつ合理的な解決に至ることを勧める周辺に対し、容易にそうはならない二つの家族、その象徴としての福山雅治演じる父親の激しい揺れを炙りだしているところにその核心があるように思う。
 家族というのは、そしてさらに一般化して人間の集団というのは、決して単線化された合理性によって形成されているものではなく、したがってそこに帰属する者たちは、単なる合理性や意志の強靭さを越えた、ある意味ではそれらの手前にあるプリミティヴなものをも拾い上げながら、ある種の共存在を形成してゆくものなのだろうと思う。

 

 是枝監督は大上段に振りかぶるのではなく、事実としての映像とカットの積み重ねによって、丹念にそれらを表現してゆく。一見些細とも思われる映像やカットが、実はもっとも雄弁に事態そのものを表現している。それが事象としての映像そのもので語らせる映画という手法の勝利であり、それを導く監督の技量がものをいうところだ。

 是枝監督の追っかけとしては、その期待を裏切ることのない絵をたくさん観せてくれたことに満足している。
 蛇足ながら、タイトルの「そして父になる」は予め父がいるのではなく、彼の行為を通じて「父になる」のであり、それはまた、母も「母になる」ことを示している。
 ただし、この二つの「なる」には微妙な差異があることも映画は示していて興味深い。
 

コメント (6)
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【観察】最近の車の顔つきについて考える。

2013-10-04 00:32:06 | よしなしごと
 最近の新しい車が向こうから走ってくるのを見ると怖い。
 そのスピードなどで危険を感じるのではない。
 顔つきが怖いのだ。
 まず、目に相当するヘッドライトが細長くつり上がって怒り目になっている。
 昔のまあるいものから最近までの楕円形や方形のものはもっと柔和な顔つきをしていた。

 
 
 また、鼻に相当するラジエーターグリルも、冷却法の進歩であまり面積が必要なくなったせいか、狆クシャのものが多い。
 したがって、トータルで見たフロントの顔つきが、目を釣り上げた怒り顔の容貌のものが多くなってきたように思う。

 
 
 ことここに至ると、どのメーカーも似てくるから不思議だ。
 デザイン上の流行というものがきっとあるのだろう。したがって、各社が自分の特徴を出そうとするのだが、全体としては怒り顔になってしまうのかもしれない。
 あるいはこの世相、平和な顔つきなんかしていられるかというわけで、それ自身時代の貌を表しているのかもしれない。

 
 
 もっと穿った見方をすれば、いわゆる交通弱者を威圧し、睥睨することによって今日の車社会は成り立っているともいえる。そうした深層心理のもと、車の顔つきが剣呑になってきたのかもしれない。
 
 繰り返しになるが、一昔前に比べると、車の顔つきはやはり、確実におっかなくなっているのは事実だと思う。
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【いよいよ神無月】秋空の造形とネズミ色のクレヨン

2013-10-01 14:26:33 | よしなしごと
 ひとはさまざまな指標によって季節を感じる。
 花鳥風月はむろんのこと、祭りなどの伝統的な行事、料理、ひとの服飾、さらには、大切な人がなくなったとき金木犀が匂い立っていたなどという個人的な思い出まで、ひとが季節を知る要因は多種多様だ。

 

 私の場合、こと秋に関する限りは、やはり空模様からだろう。
 幸い私の住む郊外では、自分の部屋からでも、近くへ出かけた折でも、広々とした視野でふんだんに空を見渡すことが出来る。
 
 秋の空には、天の高さとそれをバックとして繰り広げられる雲の造形の美しさがある。冬の垂れ込めるだけの重々しさや、春の霞んだような曖昧さ、夏の猛々しい入道雲とは違って、意志を持ったものがデザインしたかのような文様が描かれてゆく。

   
 
 まだ疎開地の大垣にいた小学校三年の折、夏休みの自由研究に空の観察というのを行ったことがある。毎日、画用紙一枚にその日の空、特徴のある雲を描くのだ。サボったりするとわからなくなるので、「母ちゃん、昨日ってどんな空だった?」と尋ねて書くのだから資料としての信憑性はあまりない。

   
 
 しかし、その力作が認められて、大垣市長賞をもらった。受賞作品の展示場へ母と一緒に見に行った。展示場といっても敗戦後2年目の1947(昭和22)年のこと、美術館やら公民館などというものはすべて焼かれていてなかった。
 で、会場はというと今となってはもうろ覚えなのだが、焼け残った大きなお寺さんであった。

 私の作品は圧倒的であった。提出した折には三十数枚の画用紙を日付順に重ねて出したのだが、展示の際は、それらは平面に繋がれ、まるですだれのように本堂の一画、それもかなりの部分を占めていた。クレヨンで書かれたそれは、ほとんど青色と白、それにねずみ色で、雨降りにはねずみ色のバックに白い雨脚がよぎっていた。

 

 しょぼくれてうつむき加減に歩いていても、時折瞳をあげて空を見つめるのはそうした少年の日からの習性だろうか。
 そこに季節を彩る雲などの巧まざる配置や漂いを見ると、思わず気が晴れる。

 空は天蓋、私たちを包み保護する大いなる広がりだ。その正体が大気であることを知っている私たちは、もはやそれが落ちてくることを杞憂することはない。
 ただし、大気であるがゆえにそこへと人間が放出するものが確実にそれを犯す。

 

 フクシマから放出される放射能物質、中国南部で大量に排出されている微小粒子状物質(PM2.5)、目には見えない二酸化炭素などの温暖化に係る諸物質、それらがこの悠久とも思える大気の層、空を攻撃し続けていることは許せないと思う。

 秋らしい文様にあふれた空を満喫して帰ったら、TVは昼なお暗い天安門の驚くべき模様を報じていて暗澹たる気分に襲われた。2年前の秋、私はそこに立っていたが、さいわいその折は普通であった。
 私が北京の小学生で、いま雲の研究をするとしたら、ねずみ色のクレヨンをどっさり用意しなければならないだろうなと思う。哀しいね。

コメント (2)
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