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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

華麗ならざる加齢についてのレポート

2013-10-10 14:35:40 | よしなしごと
 写真は、わたしの散歩道から

 急に老いるのを「老いるショック」というのだそうだ。
 私にはそれほどの経験はないが、つい最近、急性気管支炎で入院を余儀なくさせられて以来、それ以前とさして状況は変わりないにもかかわらず、何かと自己規制をすることが多くなった。
 何かに誘われたり、あるいはしたいことがあっても、それはこの際やめておいたほうがと断念することが多い。交通手段などにつてもかなり慎重に選ぶようになった。

         

 こうしたある出来事を結節点にしながら、段階的に老いは進んでゆくのだろうと思う。
 ここしばらくの私の変化についてまとめてみた。

 60歳代まで私が歩くスピードは決して遅い方ではなかった。私の前をゆっくり歩いている老人がいると、うっとおしいと思ったりすることはなかったが、やはりおとなしくその後をついて行くのではなく、隙を見て追い越したりした。その都度、自分の若さに優越感をもったりもした。
 鉄道や地下鉄の構内では、エレベーターはおろか、エスカレータ―もほとんど使わず、自分の足で上り下りを行っていた。

         

 ところが今では、歩くスピードは決して早くはない。私の脇をスイスイと人びとが追い越してゆく。
 意地ででも使わなかったエレベーターやエスカレータ―をごく自然に使うようになった。つい最近、ある駅の階段を登ったのだが、途中の踊り場で一息つく有り様であった。
 これは足腰の弱体化であるが、いつから階段を忌避するようになったかははっきり記憶に無い。たぶん、古希を過ぎてからの自己規制によるものだろう。

         

 ついで読書に関してである。
 かつては、新書ぐらいだと斜め読みをしても大意を掴むことはできた。
 しかし、今は、ちょっと骨のある本だと指でなぞるように読み進んでも意味がつかみとれないこともある。
 最近、ある本を読み始め、最初の何ページかで大した本ではないなと見極めを付けて、それでも一応斜め読みをしたのだが、何が書いてあるのかさっぱり分からなかった。ただ、それがつまらない本であったことは間違いないと思う。
 概して、書を読むスピードはかなり落ちた。
 脳細胞が老化し、身につけていたはずのリテラシーが怪しくなってきたということだろう。

         

 食い物だが、量は減ったが、美味いものへの執着はそれなりにある。まあ、食い意地は治らないということだ。
 酒も同様、旨い酒を味わって飲みたいものだ。

         

 異性への関心だが、相手が老若にかかわらず、同席すれば気持ちが華やぐ。
 街中などで出会う若い女性の躍動する肢体は眩しくも美しい。
 視姦ぎりぎりのところで拝ませてもらっている。
 「肉食系老人」などというカテゴリーはあるのだろうか。

         

 ようするに結論をいうならば、心身ともにその能力は著しく低下しているにもかかわらず、諸々の欲望のみは捨てきれていないという、いってみれば歳相応に枯れることすらできないいちばんたちの悪い齢の重ね方といえるだろう。
 やがて、4分の3世紀を生きることになる。





コメント (4)
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