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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「世の中いろいろ、人もいろいろ」は小泉さんでしたっけ。

2012-02-14 03:16:04 | よしなしごと
  写真は名古屋「オアシス21」にて

 世の中はさまざまで、人の考えもさまざまです。
 まあ、これは当然ですが、それを「難儀やなぁ」と思うか、「仕方ないなぁ、自分もそんなさまざまなうちなのだから」と思うかでひとつの分岐があるのですが、それはさておき、最近経験した「さまざまな」という内容について述べてみます。

         

 いつ頃からか「がんばれ!」といういい方について、すでに頑張っている人に「これ以上どうせいっていうのや」といわれたり、頑張りようのない人への強制のような響きがあるのではないか、ましてや、自分が相対的に恵まれた立場にいながら、「がんばれ!」というのは差別的ではないかといった指摘がされてきました。
 
 私もそれを知ってからこの言葉をあまり使わないようにしてきました。一般的にもそんな感じで、昨年の3・11以降も、「がんばろう日本!」などといういい方はあっても「がんばれ!」はあまり出て来ません。

         
 
 ちなみに私は「がんばろう日本!」ともあまりいいません。日本という抽象的な主体が頑張るということがピンとこないからです。この言葉を無反省に使っている人も、「で、誰がどうがんばるの?」と尋ねられると、「それはそのう、みんながだなあ、こんな時だからさあ」と曖昧になってくるでしょう。
 今もなお、ボランティアなどを続けている人たちは胸を張って「がんばろう、私たち」といえるかも知れません。

         

 話がそれましたが、ある待合室で読んだ雑誌の投書欄に、「がんばれといってください」というのを見つけました。メモしなかったので概略ですが、それによればこうです。
 「最近、<がんばれ!>という言葉が禁句扱いですが、使ってもいいのではないでしょうか。相手が頑張っていることを認めた上でそのさらなる可能性のようなものを信じるとき、<がんばれ!>という言葉は自然に出るのだと思います。
 運動会で懸命に走っている子らを励ます言葉は、やはり<がんばれ!>です。それはその努力を認めた上で、その努力が実ることへの祈りのような言葉です」

 うろ覚えのものを私なりに脚色していますが、ざっと以上のようです。

         

 なるほどと思いました。こうして見ると、「がんばれ!」という言葉に押し付けがましさや差別的な意味合いを与えているのは、その言葉そのものではなく、努力が報われないシチュエーション、努力もできない格差などの関係性の総体であるように思えます。
 そうやって考えなおしてみると、「がんばれ!」という言葉も決して悪いものではありません。子供の運動会はやはり「がんばろう日本!」ではなく「がんばれ!」でなければなりません。

         

 さて、人はさまざまのもう一つの応用問題です。
 これは数年前、天下の大新聞の投稿欄に載った投書からです。
 まず最初の投稿者がどこかのトイレに入ったとき、先に入った人によってトイレットペーパーが(よくホテルなどで最初にセットする折にやるように)三角に折ってあったというのです。
 この投稿者は、その行為を「慎ましやかだが実に気が効いたうるわしい行為である」と絶賛しました。

 しばらくして、偶然、私はその続編ともいうべき他の人の投稿を読みました。その人はいいます。
 「その行為はうるわしいで済ませるのでしょうか。その人は、用を済ませて一度手を洗って紙を折ったのでしょうか。そうではないでしょうね。用を済ませたままの手でそれを折ったのでしょうね。それって、不衛生極まりないのではないでしょうか」
 といったようなことなんですが、あなたどう思います。
 本当に世の中さまざま、人さまざまで「楽しい」ですね。

 

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