六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

局面が変わった? 政治の話ではありません。

2009-05-12 02:12:31 | よしなしごと
 自転車を漕いで病院へ出かけ、帰ってくる間のお話です、
 
 二度ほどカワラヒワの鳴き声を聞きました。
 小さな鈴を転がすような繊細で美しい鳴き声です。
 目視できなかったのが残念です。
 スズメと見たとこ変わりないようなのですが、羽を広げると黄色が鮮やかです。

 学校帰りの小学生と大声で「こんにちは!」と挨拶を交わしました。

 
 
 かろうじてU字溝化を免れた小川を覗き込んだら、水面でハヤの仲間がはしゃぎ、その下には結構大きなフナの群がいました。

 栗の花がむせるようなスペルマの匂いをまき散らして咲き始めていました。

 
 
 家に帰ると、たった一輪ですが微妙な色合いの薔薇が咲いていました。

 

 それだけのことです。
 鬱から躁に局面が変わりつつあるのかも知れません。

はっきりくっきり撮った薔薇と、すこしソフトフォーカス風の薔薇と、あなたはどちらがお好きですか?



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街頭ミュージシャン・エゴ・クマンバチ・子供

2009-05-11 04:14:34 | 写真とおしゃべり
 ここんとこ自閉気味で気が晴れなかったのですが、やはり体を動かしていろんなものに触れることが大切ですね。
 といって大したものに遭遇したわけではなく、私がしばしばここにマイ・フェイバリット・プレイスとして登場させる県立図書館や美術館界隈へ出かけて、そこにあるきわめて日常的な風景や風の匂いを嗅いできたのみなのです。
 それでも、行きと帰りとでは自転車のペダルがうんと軽くなったように感じられたのでした。

 

 まずはおなじみの(私にとってはですが)街頭ミュージシャンとの遭遇です。
 「こんにちは!いつもご精が出ますね」
 「ブヒャラヒャラ・・・ニャオ~ン」
 サックスと横に鎮座する猫のボーカルです。
 「あのおばさん、なんか忙しそう」
 と猫君。

 

 図書館の構内。私の好きなちょっとした庭です。
 春の花は終わり、エゴの花が可愛くぶら下がっています。
 私が一生懸命写真を撮っていると、背後から声が。
 「やっぱりドウダンツツジはきれいですね」
 と、どこかのおじさん。

 

 「あ、あのう、これはドウダンツツジではなくエゴノキですが」
 と、いおうとしたのですがくだんのおじさん早足でスタスタともう背中を見せています。
 わざわざ呼び止めて言うほどのことはないかとそのままにしました。

 
         エゴには赤い花柄のものもあるようです

 しばらくして私の中で葛藤が・・。
 やはりちゃんと言うべきだったのでは・・。
 いや、折角感慨に耽っているところをいさめるのも野暮だし・・。
 でも、あのおじさん、「どうだ、きれいなドウダンツツジだろう」などとどこかで恥をかいたら・・。
 私の中でささやかな倫理的葛藤がグルグルと巡るのでした。

    

 そんな私の葛藤も何のその、陽気な客がやってきました。
 私の親指ほどもありそうなでっかいクマンバチが2匹です。
 まず、私の顔の回りを飛び回ります。
 「こいつは何者だ」
 「う~ん、見たとこ人畜無害だな」
 「それもいうなら蜂畜無害だろう」
 これがクマンバチの会話の翻訳です。

     

 彼らは文字通り私に気を許したのか、目の前、30センチほどのところで早速エゴの蜜を収集しはじめました。
 私がカメラを近づけようがどうしようが全くお構いなしです。
 私も子供の頃、何度もアシナガバチや蜜蜂に刺されたことがありますが、蜂は少しも怖くありません。逆に、人を刺した蜜蜂は針を残してゆくのでやがて死んでしまうのだと聞いて、私を刺した蜜蜂にいたく同情したものです。

  

 最後はやはり子供たちでしょう。
 図書館前の水路です。
 ここなら転ぼうが寝そべろうが溺れる心配はありません。
 自分の子育てがとっくに終わったので、かえって子供たちを安心してみていられます。
 一見、屈託がなさげに見える子供たちの世界にも、それなりの葛藤や思惑があるとのことです。
 それでいったら、子供たちをのほほんと眺めている私が一番屈託がないのかも知れません。

 

 

 というようなわけで、すこし元気が回復した一日でした。
 おまけは、帰途に撮したジャガイモの花です。こんな小さな花にも、また、ごま粒ほどの虫たちが蜜を求めて集まっています。
 世界というのはこうした関連の総体なのだろうと生半可な哲学をしたのでした。

 














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「完」! 何が完結したのでしょうか?

2009-05-10 04:30:45 | インポート
 自転車でふらふらとまだ通ったことのない経路で母の病院へ行きました。同じ経路は退屈なのでまだ見ぬ風景を求めて彷徨うように進みます。
 緑が少なく殺風景な公園にさしかかりました。最近の公園は都市部の小公園など、全般にかつてに比べて全く殺風景になりました。犯罪防止のための見晴らしの確保ということで、生け垣を根こそぎ撤去したり、木陰を作らないために結構な大木を切り倒し、ノッペラボウとした公園にしてしまったからです。

 こうしたお上の認識はいささか硬直しているようにも思います。ようするに犯罪は、犯罪を行う場所があるからだということでひたすらそうした場所の撲滅に汲々としているからです。
 犯罪は場所があるから起こるのではなく、犯罪に内在するそれなりの要因があるから起こるのであり、しかる後に犯罪の場所が選ばれるのだということは明らかなのですが、それは不問にし、自らの管轄内で犯罪が起こらないようにとする小役人根性が全国の小公園を見るも無惨な殺風景なものにしたのです。

 
           本当にノッペラボウの公園でしょう

 そうした小公園のひとつにさしかかったのでした。見晴らしもきき、人目を忍んだ犯罪など行い得ないほどの荒涼とした公園です。こうしてすべてが明るみにある空間においては、子供たちはもやは探検ごっこや未知との遭遇遊びはできっこないでしょうね。

 その公園の一隅に小高い土盛りがありそこに石碑が建っています。普通それらは郷土の「英雄」の顕彰碑であったりするわけですが、どうもそうではなさそうです。
 その石碑には遠目にもはっきり判読できる一文字が刻まれているのです。
 曰く、「完」。
 まるで一昔前の邦画のエンディングのようなのです。

 
                「完」の石碑が

 ようするにこの地で何かが終わったのですね。
 何が終わったのかというと、この地区の土地区画整理事業なのです。
 この「完」の石碑の横にある説明文によりますと、かつてこの地区は岐阜市三里六条(現在は旧三里村の名残である三里はとれて岐阜市六条)といって都市近郷の農村地帯であり、通称「八万地獄」という入り組んだ田園と、それに伴う狭くて回りくねった農道があるのみという土地柄でした。
 
 私が中学生の頃、友だちの家がこの辺にあったため自転車で遊びに来たことがあったのですが、やはりくねくねとのたうつような道で、見通しも悪く、勘だけに頼って回ったりしているとまた元の道へ戻ってしまうようなこともありました。
 でもって、この土地の人たちがこの土地の区画整理に立ち上がり(むろん行政の指導の下にですが)、「六条土地区画整理組合」を結成したのが1964(昭39)年、そして土地の区画整理が完了したのが75(昭50)年で、この「完」はその完了を記念して75年に建立されたものなのです。

 ついでながら、組合員数は393名、区画面積は628,400平米、総事業費は627,744,000円だそうです。ですから1平米あたり1,000円の事業費で、これが高いのか安いのかは私には分かりません。
 いずれにしても、かつては大八車かリヤカーしか通れなかった細く曲がりくねった道路が、一応ほぼ碁盤目に整備され、田圃を一反(300坪)潰してマンションやアパートを建てた農家が息子にスポーツカーを買い与え、その車がその整備された道路を颯爽と走る光景が実現したのです。

 
           当時の岐阜市長の墨跡のようです
 
 それはともかく、私はむしろ、この年月に関心があります。
 1964(昭39)といえば戦後史の分け目といわれた第一次安保闘争が終焉し、もはや戦後ではないとの言葉のもと所得倍増政策が称えられ、重化学工業優先の成長政策が展開された頃です。人口は都市へと偏重し始め、それに伴い、都市近郷は伝統的な農業地帯やそれに基づく集落の形態を失い、急速に都市へと吸収されて市街地化し、そのためのインフラ整備が各地で展開されました。

 従って、この「完」は直接には土地整理という事業の「完」ですが、同時に、ある程度相対的に独立していた近郷農村の政治、経済(狭義の)や風俗、習慣、伝統などなどが決定的に都市化の荒波に蹂躙された「完」でもあるのです。
 むろん、今さらそれについての郷愁を語るのもいささか手遅れですし、いわんやそれを逆流させることなどは不可能であることはいうまでもありません。
 ただし、私のような老人がその経緯を語らずに済ませたら、それはすでにしてそうであるように、今ある状況が埋め尽くしてきた古層はもはや人口に膾炙することすらなくなるのでしょうね。

 
              これが公園の名前です

 ただし、この「完」に象徴される近郷農村などの都市への編入は、過去に終わった一過性のものではなく、現今では地球的規模で行われているものです。
 日本では一応、上に見たように行政主導とはいえ、「組合」という形態をとった自主的事業として展開されたのですが、国によってはいきなりの強制執行、立ち退きの強制などとして暴力的に行われているかに聞きます。
 そして今日のそれは、あるお題目によって正当化される場合が多いのです。
 曰く、「グローバリゼーション」。

 


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ちょっぴり哀しい今年の桜ん坊

2009-05-07 01:56:22 | よしなしごと
 我が家には桜ん坊がなる樹が一本あり、今年も実を付けました。昨年より一週間ほど早いようです。
 今年は桜ん坊の話は書きたくなかったのです。なぜなら、タイトル通り、ちょっと哀しい桜ん坊だからです。
 別に桜ん坊が哀しんでいるわけではありません。まあ、哀しいのは私の方なんですが、そのわけは後で書きます。

 
          あまりびっしりとは実りませんでした

 まず今年の桜ん坊ですが、花の頃からあんまりびっしり咲いていないなぁという感じがあったのと、先般触れたように、花の時期にうるさいくらい来ていた蜜蜂がほとんど姿を見せなかったこともあって、実の数は少ないようです。その代わり、気のせいかひとつずつの大きさにおいてはやや勝るようです。

 これまでと違う一番大きな点は、その大半を鳥たちに蝕まれてしまったということです。
 鳥が悪いのではありません。その防護策を怠った私が悪いのです。例年、実を付けはじめる時期には、古いCDなどをぶら下げて「鳥さん、まだダメよ」のシグナルとします。そしてひととおり収穫した後半にはそれを外し、「鳥さん、さあどうぞ」とその食するに任せます。

 
            鳥さんたちのお食事の跡です

 ところが今年はそれをしなかったのです。ですから実が色づきはじめると同時に毎日鳥さんたち、ヒヨドリやムクドリたちがやってきて気ままに食い荒らしていったのです。
 忘れたわけではありません。なんども、「もうそろそろ防護しなければ」と思ったのですが、なぜか気乗りがしないまま放置してしまったのです。

 それでも昨日(5日)から収穫をはじめました。娘が勤務する学童保育の子供たちのおやつにするため7日には持って行けるようにするためですです。
 しかし鳥さんたちの食い荒らしは思いの外ひどく、熟したもので無傷なものを探すのに随分骨が折れました。摘んでいる間に、すこしくちばしの後があるぐらいなら私が食べてもと思いましたが、「鳥インフルエンザ」という言葉が頭をよぎりやめておきました。意気地なしですね。

 
           それでもとりあえずこれだけ収穫

 でもこんなに食べられてしまうのなら、やはり防護措置をすべきだったと後悔しています。それをするのに気乗りがせず、ズルズル過ごしてしまったことは述べました。
 それはたぶん、学童の子供たち同様、それを喜んで食べてくれる人が今年はいないので張り合いがなかったのだろうと思います。

 私の老母のことです。毎年これを持って行ってやるととても喜んでくれたものです。
 昨年も12日に持ってゆきました。やはりとても喜んでくれました。
 それが元気な母の姿を見た最後でした。
 その4日後、16日に倒れてからやがて一年です。

 
 
 左手を除く全身麻痺で、目は開いているものの口はきけず、たぶん意識も定かではないようです。
 ただし、私などが行くとそれは認知できる(私と分かっているかどうかは分からないのですが)ようで、「アー」とか「ウー」とかいって何か訴えるような表情を浮かべることもあります。
 栄養補給はカテーテル経由ですから、もはや桜ん坊を食べさせるわけには行きません。

 ようするに、昨年の桜ん坊が元気な母を見た最後の記念のようになってしまったわけです。
 冒頭に書いたちょっぴり哀しい今年の桜ん坊はこんな理由からです。防護措置に積極的にならなかったのもたぶんそのせいなのです。
 でも、学童の子供たちには悪いことをしました。例年なら3回、4回と持って行けたのに、今年は7日と、そしてあと一回ぐらい持って行けるかどうかなのです。

 
             一粒一粒が輝いています

 母はやがて病床で95歳の誕生日を迎えます。そしてその翌日が倒れてから一年目になります。

 




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声が出なくとも歌え! 付・六の川柳もどき

2009-05-05 03:27:19 | 川柳日記
 ここ何日か外出らしい外出はしていなくて、人と話す機会もなく過ごしています。ほとんど口をきいていないのではないかと思います。
 
 今日(4日)母の病室へ行った折り、たまたま看護士さんがやってきたので最近の容態などにつき話をしようと口を開いたのですが、声が出ません。なんか、かすれたヒュウヒュウという呼吸が漏れるのみです。慌ててエヘンエヘンと繰り返してやっと声が出るようになりました。

 よくほら、老人は一度寝込んでしまうと再び足腰を動かすのが困難になるといいますが、あれと同じでしばらく声を出していないとしゃべることが出来ないのですね。事前の発声練習が必要なようです(アーアーアー、本日は晴天なり、本日は晴天なり)。
 
 
 
 しばらく前にも、同じような思いをしたことがあります。
 友人で最近、連れ合いに先立たれたのがいて、私を含む高校時代の悪ガキが集まって看病の慰労と男やもめの無聊を慰めたのですが、その折り、最後はカラオケということになりました。

 しばらく歌など歌っていません。
 私の番になったのですが、やはり声が出ないのです。いや、声は出るのですが歌声にならないのです。かつて、天使の歌声、今池のウィーン少年合唱団(ひとりで合唱団かよ)といわれたこの私においてです。

 やはり、声は使うべきでしょう。それは同時に、他者との会話の必要性でしょうね。それを通じて論理の組み立てや情感の表現など、発話に伴う力の発現が促されるということでしょうか。ひとりで自分と対話しているのみではダメだということでしょうね。

    
 
 誰か私に話しかけたり、私の話を聞いてくれる人はいませんか、ってこちらがアクティヴにならないと無理なんでしょうね。
 さいわい、5日は人と会います。思いっきり話をしてきたいと思うのですが、お喋りと思われるだけだろうなぁ、たぶん。でも、それでいいっか。

カラオケで私が唄った歌
 1)モーツアルト作曲 K627  「再会」
 2)   同     K628  「上海帰りのリル」

<蛇足>忌野清志郎のように「君が代」を歌えたら、私も「君が代」を好きになると思います。
 ついでながら、忌野清志郎を国民的歌手として今さらながらあがめているマスコミの皆さん、あなたたちは彼の上記の「君が代」や反原発の歌を集めたアルバム「COVERS」が発売禁止になった時、何かアクションを起こしました?知らない振りをしたのみでしょう?
 彼の魂の歌を聴かず、その表層だけを捉えて国民的な歌手に祭り上げるのはどうなんでしょう。
 
 

<六文錢の川柳もどき>


薄情な地図には宝島がない
沈黙を無人島へと埋めに行く
島抜けをしてきたようにほくそ笑む
無人島なくし少年期を終える

立つ
真っ直ぐに立てばキリンの視野となる
立ち位置をずらして海を探してる
ちょっと見は無邪気に佇立赤ポスト


地図にない橋を渡れば母が笑む
この橋は渡り終えたら落ちる橋

逢う
おぼろ月滲む言葉で逢っている
どの顔で逢うか決めかねている宵
ふたたびは逢うか逢わぬかやじろべえ

ハンカチ
ハンカチを振れば波立つ海がある
ハンカチの対角線にある寡黙
ハンカチを振って別れは文語調





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老人性**と「合体」と憲法の話  何という脈絡のなさ

2009-05-03 14:17:16 | 写真とおしゃべり
 何だか、いやだなぁって気分に襲われています。
 なにがって、そりゃあいろいろ語ればあるわけですが、どうもその内容が問題ではないらしいのです。
 いってみれば、今までだっていろいろ問題を抱えながら生きてきたわけで、そんなのは生きてる限り当たり前で、それこそ人生、セ・ラ・ヴィと心得ているはずなのに、それがダメなんです。
 五月病かなぁ。でも新年度から事情が変わったわけでもないし、どうやら老人性のウツみたいですね。

    
              連結待ちの列車

 ひとつには書物が読めなくなっています。
 図書館でこれぞと思うものを借りてきたわけですが、読み始めると途中で頓挫してしまうのです。そのテーマには興味がある筈なんですが、そして目次を見る限りヨシって思うのですが、なんか読み進めません。
 9日までに返さねばならない三冊の本が、どれも途中で暗礁に乗り上げたままです。

 
               連結器です

 こんなときは、「読まねばならない」と自分にむち打つのはやめて、「読めなきゃ読めないで返すか、読めそうだったらまた借り継ぐまでさ」と居直ることにしましょう。
 でも、なんか気の晴れることはないかなぁ。

    
            連結される列車が近づきます

 ユル鉄(さほど熱心ではない鉄道ファン)の本領を発揮して、列車の連結風景を載せます。
 ちょうど自分が乗る列車だったので一部始終を見ていましたが、なかなかスムースで柔らかい衝撃で連結しますね。停止している方にはすでに人が乗っているのですが、その連結の衝撃に気づかない人もいるでしょうね。

    
             連結部分のドアが開きます

 今日は憲法記念日。
 昨日の新聞は、憲法第九条改正に賛成が26%、反対が64%とありました。これは昨年とほぼ一緒だそうです。

 
             両者が接近しました
 
 62年前の今日、小学校から動員され、日の丸の旗をもって祝賀行列に参加しました。夜は提灯行列でしたがこれには子供は参加できないので、この行列の回りで友だちとふざけ合っていました。
 老若男女がみんなが高揚してバンザイを叫んでいたように思います。

 
             「合体」の瞬間です

 ひとつにはそれまでの大日本帝国(明治)憲法が実質的に失効して2年、無憲法状態がやっと解消されたこと、米軍の占領下にあってそこから独立するためのひとつのハードルを越えたこと、などなどが祝賀ムードを盛り上げたのでしょうね。
 なんか、家の玄関に新しい表札がついたといった感じでした。

 
         作業員の方の安堵の瞬間 オツカレサン

 思えば、大日本帝国憲法の発布が1889(明治22)年で120年前ですから、1947年発布の現行の日本国憲法までの58年間、そして現行のそれが62年間、気がつけば今の憲法下での期間の方が長くなったのですね。
 そういえばかつては「新憲法」などといったものですが、もうこの言葉は死語で、今時「新憲法」といえば改憲派の人たちの語彙になるようです。

 なんだかまとまらない文章ですね。
 ま、無理にまとめる必要はないか。


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水をかき回したら濁ったといって怒っている道化者 写真は地味な花

2009-05-02 01:19:35 | 写真とおしゃべり
 世界保健機関(WHO)は、「豚インフルエンザ」といういい方を「インフルエンザA」に変えたようです。
 食肉産業に及ぼす影響を恐れたからということです。それなら「鳥インフルエンザ」もB型などとしなければ不公平ではとも思うのですが、鳥は鶏に限らず野鳥も含めて全般的だからでしょうか。

 
      関係ないけど、綺麗な花を綺麗に撮る自信がないので
       地味な花を集めてみました。これはブロッコリー

     
 20世紀の後半以来、歴史上あまり見られなかった新たな病気が噴出していますね。エボラ熱、エイズ、狂牛病、鳥インフルエンザ、そして今回のA型(豚インフルエンザ)などなどです。
 これらは工業生産に関わる環境破壊や、農業での生産性向上のための品種改良や遺伝子操作など、これまで見られなかった領域への人の侵犯と関連があるのではと指摘する声もあります。
 そしていまひとつ、これらの新しい病で真っ先に犠牲になり、もっとも多くの死者が出るのは常に貧困層においてなのです。今回もそうです。各地で発病が確認されながら、死者はメキシコに偏っています。

 
                これは柿の花
    
 
          こんなにびっしり花がついています
 
 ついでながら、横浜市で見つかった疑わしい高校生を巡る事態で、厚労省と横浜市及び神奈川県が喧嘩しているようですが、そんなことしてて大丈夫かなと思ってしまいます。
 今回の場合、喧嘩を売ったのは桝添氏の方なのですが、年金問題など大変な問題を抱えているところへ今回の問題でカリカリ来ることは分かりますが、先の鳩山大臣の「最低の人間」という発言同様、あまり居丈高になって他人を責め立てる物言いはいかがなものでしょう。

    
           絹さや豌豆に似ていますが違います

    
      割と新しい野菜でスナック・エンドウ ほら下の方に実が
       
 どうも真相は、横浜市と厚労省の担当者がその疑惑の段階で今後の対処などを検討していたところ、功を焦った厚労省が一方的に公表、それを受けて横浜市役所に電話が殺到し繋がりにくくなったということのようです。だとしたら、危機管理の体制に問題ありなどといわれた中田横浜市長が怒るのももっともです。

    
             絹さや豌豆はこんな感じです

 問題の高校生はいわゆるソ連A型(虎は死して皮を残し、ソ連は死して病名を残す)で新型ではなかったわけですが、結局は、桝添氏と厚労省とが冷静さを失って一方的にドタバタと騒ぎ回ったということのようですね。そしてあろうことか、自分がかき混ぜた水が濁ったといって神奈川県や横浜市に噛みつくのですからとんだ道化ぶりといわねばなりません。
 こんな「狼が来た」大臣で、かのA型が本当に上陸した際に対応できるのかが懸念されます。

 
           これは花ではなく若い桑の実

 
              こんなにびっしりと

 横浜市も大変ですね。開港150年祭で盛り上がっていたのに一気に冷水を浴びせられたようで、おまけに、人が集まるような催しは自粛すべきだのコールが追い打ちをかけているようです。おそらく、いろいろなところで「右へならえ」式に催しの自粛が目白押しになるでしょうね。
 そしてやがては、自粛しない奴は非国民的だという非難にさらされかねません。

 劇場や映画館、コンサートも暇になるかも知れません。
 私は、こんな時期だからこそ、映画やコンサートに出かけ、豚肉を食べるつもりです。
 昨日、半日かけて「煮豚」を作りました。
 一昼夜置いたら、味がしっかり滲み、かつ溶けそうに柔らかい絶品が出来ました。









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