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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「完」! 何が完結したのでしょうか?

2009-05-10 04:30:45 | インポート
 自転車でふらふらとまだ通ったことのない経路で母の病院へ行きました。同じ経路は退屈なのでまだ見ぬ風景を求めて彷徨うように進みます。
 緑が少なく殺風景な公園にさしかかりました。最近の公園は都市部の小公園など、全般にかつてに比べて全く殺風景になりました。犯罪防止のための見晴らしの確保ということで、生け垣を根こそぎ撤去したり、木陰を作らないために結構な大木を切り倒し、ノッペラボウとした公園にしてしまったからです。

 こうしたお上の認識はいささか硬直しているようにも思います。ようするに犯罪は、犯罪を行う場所があるからだということでひたすらそうした場所の撲滅に汲々としているからです。
 犯罪は場所があるから起こるのではなく、犯罪に内在するそれなりの要因があるから起こるのであり、しかる後に犯罪の場所が選ばれるのだということは明らかなのですが、それは不問にし、自らの管轄内で犯罪が起こらないようにとする小役人根性が全国の小公園を見るも無惨な殺風景なものにしたのです。

 
           本当にノッペラボウの公園でしょう

 そうした小公園のひとつにさしかかったのでした。見晴らしもきき、人目を忍んだ犯罪など行い得ないほどの荒涼とした公園です。こうしてすべてが明るみにある空間においては、子供たちはもやは探検ごっこや未知との遭遇遊びはできっこないでしょうね。

 その公園の一隅に小高い土盛りがありそこに石碑が建っています。普通それらは郷土の「英雄」の顕彰碑であったりするわけですが、どうもそうではなさそうです。
 その石碑には遠目にもはっきり判読できる一文字が刻まれているのです。
 曰く、「完」。
 まるで一昔前の邦画のエンディングのようなのです。

 
                「完」の石碑が

 ようするにこの地で何かが終わったのですね。
 何が終わったのかというと、この地区の土地区画整理事業なのです。
 この「完」の石碑の横にある説明文によりますと、かつてこの地区は岐阜市三里六条(現在は旧三里村の名残である三里はとれて岐阜市六条)といって都市近郷の農村地帯であり、通称「八万地獄」という入り組んだ田園と、それに伴う狭くて回りくねった農道があるのみという土地柄でした。
 
 私が中学生の頃、友だちの家がこの辺にあったため自転車で遊びに来たことがあったのですが、やはりくねくねとのたうつような道で、見通しも悪く、勘だけに頼って回ったりしているとまた元の道へ戻ってしまうようなこともありました。
 でもって、この土地の人たちがこの土地の区画整理に立ち上がり(むろん行政の指導の下にですが)、「六条土地区画整理組合」を結成したのが1964(昭39)年、そして土地の区画整理が完了したのが75(昭50)年で、この「完」はその完了を記念して75年に建立されたものなのです。

 ついでながら、組合員数は393名、区画面積は628,400平米、総事業費は627,744,000円だそうです。ですから1平米あたり1,000円の事業費で、これが高いのか安いのかは私には分かりません。
 いずれにしても、かつては大八車かリヤカーしか通れなかった細く曲がりくねった道路が、一応ほぼ碁盤目に整備され、田圃を一反(300坪)潰してマンションやアパートを建てた農家が息子にスポーツカーを買い与え、その車がその整備された道路を颯爽と走る光景が実現したのです。

 
           当時の岐阜市長の墨跡のようです
 
 それはともかく、私はむしろ、この年月に関心があります。
 1964(昭39)といえば戦後史の分け目といわれた第一次安保闘争が終焉し、もはや戦後ではないとの言葉のもと所得倍増政策が称えられ、重化学工業優先の成長政策が展開された頃です。人口は都市へと偏重し始め、それに伴い、都市近郷は伝統的な農業地帯やそれに基づく集落の形態を失い、急速に都市へと吸収されて市街地化し、そのためのインフラ整備が各地で展開されました。

 従って、この「完」は直接には土地整理という事業の「完」ですが、同時に、ある程度相対的に独立していた近郷農村の政治、経済(狭義の)や風俗、習慣、伝統などなどが決定的に都市化の荒波に蹂躙された「完」でもあるのです。
 むろん、今さらそれについての郷愁を語るのもいささか手遅れですし、いわんやそれを逆流させることなどは不可能であることはいうまでもありません。
 ただし、私のような老人がその経緯を語らずに済ませたら、それはすでにしてそうであるように、今ある状況が埋め尽くしてきた古層はもはや人口に膾炙することすらなくなるのでしょうね。

 
              これが公園の名前です

 ただし、この「完」に象徴される近郷農村などの都市への編入は、過去に終わった一過性のものではなく、現今では地球的規模で行われているものです。
 日本では一応、上に見たように行政主導とはいえ、「組合」という形態をとった自主的事業として展開されたのですが、国によってはいきなりの強制執行、立ち退きの強制などとして暴力的に行われているかに聞きます。
 そして今日のそれは、あるお題目によって正当化される場合が多いのです。
 曰く、「グローバリゼーション」。

 


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1 コメント

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Unknown (さんこ)
2009-05-10 15:11:31
こどもも大人も、遊びたいとは、思えないような公園ですね。わくわくするものが何もないのですもの。宝物を隠したり、かくれんぼをしたり、語らいを続けたくなったりする要素を、すべて取り除き、完!としたのですね。心がうそ寒くなるようなお話ですね。
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