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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【思考実験】絶対主義と相対主義

2009-05-25 02:19:22 | ポエムのようなもの
 簡潔にいって、相対主義は真理や正義などは、ある特定の時代の特定の場所での特定の立場によるものでしかないとします。
 それに対し、絶対主義は、時代や場所や立場を越えて、真理や正義は成立するとします。というより、成立すべきであり、真理や正義はもともとそうしたものだとします。

     

 相対主義には弱みがあります。絶対的真理などないとするその主張そのものが相対的であるならば、その主張そのものが成立しないという批判にさらされるのです。ようするにあらゆる主張がある特定の条件下でしか正当性を持ちえないとすれば、その主張そのものも一定の条件下でしか成立しないものであるという指摘です。

 そこで相対主義は居直ります。その通りだ、私の主張はあらゆる真理や正義は一定の条件下で成立するということであり、この命題そのものも一定の条件下で成立しているのだ、と。

         

 それでは、無限後退の悪循環ではないかと絶対主義は責め立てます。【ある一定の条件で『ある一定の条件で「ある一定の条件で(ある一定の条件で・・)・・」・・』・・】ということになるのではないかというわけです。

 でも、相対主義はそこで凹みません。なるほどその通りだ、その無限の後退はあらゆる命題には必ずその外部があるということを示しているのであり、そしてその無限後退の最終地点(があるとすれば)は究極の外部としての無であり、従ってあらゆる命題の無根拠性を示しているのだと主張します。
 かくして相対主義は完成します。

     

 しかし、絶対主義は強固な日常経験と必然性の神話に裏打ちされていますから、容易には後退しません。
 宗教的真理や科学的真理、人倫の真理などを総動員します。
 相対主義が許されるならばこの世の価値はすべて流動化し、私たちはよりどころを失ってカオスの内へと転落するであろう、と反論します。

         

 相対主義はいいます。私たちは現にあるものが絶対的ではないといっているだけで、それらをカオスの内へと陥らせようとしているわけではない、むしろ、私たちのありようが深い無根拠に根ざしているがゆえに、私たちはそれぞれが見い出した相対的な場所に依拠しているというその現実を肯定するのだ、と。
 それに、と相対主義は続けます。絶対主義の必然礼賛に反し、そうでないもの、つまり外部や他者の浸食、より異なった偶然の襲来をも受け入れる立場をとり続けようと思うのだ、と。

     

 この話はここで終わりです。
 ただしこの話は、私の中では以下の項目とリンクしています。

 
  必然と偶然 未知と非知 
  原理主義 全体主義 
  ナチズム スターリニズム
  グローバリゼーション
  ヒューマニズムと非ーヒューマニズム

写真は本文とは関係ありません。ただし、最後の写真は最近撮ったもののうちではお気に入りです。






コメント (6)
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