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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ちょっぴり哀しい今年の桜ん坊

2009-05-07 01:56:22 | よしなしごと
 我が家には桜ん坊がなる樹が一本あり、今年も実を付けました。昨年より一週間ほど早いようです。
 今年は桜ん坊の話は書きたくなかったのです。なぜなら、タイトル通り、ちょっと哀しい桜ん坊だからです。
 別に桜ん坊が哀しんでいるわけではありません。まあ、哀しいのは私の方なんですが、そのわけは後で書きます。

 
          あまりびっしりとは実りませんでした

 まず今年の桜ん坊ですが、花の頃からあんまりびっしり咲いていないなぁという感じがあったのと、先般触れたように、花の時期にうるさいくらい来ていた蜜蜂がほとんど姿を見せなかったこともあって、実の数は少ないようです。その代わり、気のせいかひとつずつの大きさにおいてはやや勝るようです。

 これまでと違う一番大きな点は、その大半を鳥たちに蝕まれてしまったということです。
 鳥が悪いのではありません。その防護策を怠った私が悪いのです。例年、実を付けはじめる時期には、古いCDなどをぶら下げて「鳥さん、まだダメよ」のシグナルとします。そしてひととおり収穫した後半にはそれを外し、「鳥さん、さあどうぞ」とその食するに任せます。

 
            鳥さんたちのお食事の跡です

 ところが今年はそれをしなかったのです。ですから実が色づきはじめると同時に毎日鳥さんたち、ヒヨドリやムクドリたちがやってきて気ままに食い荒らしていったのです。
 忘れたわけではありません。なんども、「もうそろそろ防護しなければ」と思ったのですが、なぜか気乗りがしないまま放置してしまったのです。

 それでも昨日(5日)から収穫をはじめました。娘が勤務する学童保育の子供たちのおやつにするため7日には持って行けるようにするためですです。
 しかし鳥さんたちの食い荒らしは思いの外ひどく、熟したもので無傷なものを探すのに随分骨が折れました。摘んでいる間に、すこしくちばしの後があるぐらいなら私が食べてもと思いましたが、「鳥インフルエンザ」という言葉が頭をよぎりやめておきました。意気地なしですね。

 
           それでもとりあえずこれだけ収穫

 でもこんなに食べられてしまうのなら、やはり防護措置をすべきだったと後悔しています。それをするのに気乗りがせず、ズルズル過ごしてしまったことは述べました。
 それはたぶん、学童の子供たち同様、それを喜んで食べてくれる人が今年はいないので張り合いがなかったのだろうと思います。

 私の老母のことです。毎年これを持って行ってやるととても喜んでくれたものです。
 昨年も12日に持ってゆきました。やはりとても喜んでくれました。
 それが元気な母の姿を見た最後でした。
 その4日後、16日に倒れてからやがて一年です。

 
 
 左手を除く全身麻痺で、目は開いているものの口はきけず、たぶん意識も定かではないようです。
 ただし、私などが行くとそれは認知できる(私と分かっているかどうかは分からないのですが)ようで、「アー」とか「ウー」とかいって何か訴えるような表情を浮かべることもあります。
 栄養補給はカテーテル経由ですから、もはや桜ん坊を食べさせるわけには行きません。

 ようするに、昨年の桜ん坊が元気な母を見た最後の記念のようになってしまったわけです。
 冒頭に書いたちょっぴり哀しい今年の桜ん坊はこんな理由からです。防護措置に積極的にならなかったのもたぶんそのせいなのです。
 でも、学童の子供たちには悪いことをしました。例年なら3回、4回と持って行けたのに、今年は7日と、そしてあと一回ぐらい持って行けるかどうかなのです。

 
             一粒一粒が輝いています

 母はやがて病床で95歳の誕生日を迎えます。そしてその翌日が倒れてから一年目になります。

 




コメント (2)
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