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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【ズンドコ節考・8】ダンチョネ! 

2008-02-06 03:22:26 | よしなしごと
 「厭戦歌」の歴史を辿って行くと、この哀しい歌に突き当たります。
 なにが哀しいかというと、この歌が、とりわけ特攻隊員によって唱われたという事実があるからです。
 兵士たちの歌は、それぞれ戦争という状況の中に投げ出されたものとして、なにがしか死の影を免れがたいのですが、今まで見てきたそれらは、いずれも不特定な将来の予感であったわけです。
 しかし、特攻隊のそれは、決してそうした猶予を持った死ではなく、明日、明後日、三日後の死とさし迫ったものでした。
 その彼らがよく唱ったといわれるのが、以下の「ダンチョネ節」です。


1.沖の鴎と飛行機乗りは どこで散るやらネ 果てるやらダンチョネ

2.俺が死ぬ時ハンカチふって 友よ彼女よネ さようならダンチョネ

3.タマは飛びくるマストは折れる ここが命のネ 捨てどころダンチョネ

4.俺が死んだら三途の川で 鬼を集めてネ 相撲とるダンチョネ

5.飛行機乗りには娘はやれぬ やれぬ娘がネ 行きたがるダンチョネ

6.飛行機乗りには嫁には行けぬ 今日の花嫁ネ 明日の後家ダンチョネ

7.三浦岬でヨどんと打つ波ははネ 可愛い男のサ 度胸試しダンチョネ

8.泣いてくれるなヨ出船の時はネ 沖で櫓櫂もサ 手につかぬダンチョネ

9.逢いはせなんだかヨ館山沖でネ 三本マストのサ 大成丸ダンチョネ

10.別れ船ならヨ夜更けに出しゃれネ 帆影見てさえサ 泣けてくるダンチョネ

  
 
 こうして歌詞を見てくると、飛行機、舟、海とかなり雑多な要素が混然となっていることが見て取れます。この歌も、この種のものの特色で作詞作曲が不明なのですが、その成り立ちには諸説があります。
 ひとつは、神奈川県民謡だというものです。確かに、神奈川民謡の「三崎甚句」は似たメロディで、しかも、上記の7.とほぼ同じ文句があります。
 他に、8、10番も民謡の匂いがする歌詞です。

  エー 三浦三崎に アイヨーエ どんと打つ波は 
        可愛いお方の 度胸さだめ エーソーダヨー

 もう一つは、東京商船学校で唱われたという説で、それによれば、1900(明治33)年、東京商船学校の練習船月島丸が、暴風雨のため駿河湾で遭難沈没し、122人の若い命が失われるという痛ましい事故があり、それを悼んで唱われたのだというものです。
 従って、この「ダンチョネ」は「断腸の思いがする」の「断腸」を表しているというわけです。

  

 いずれにしても、この歌は、それらのものがミックスされて歌い継がれ、飛行機乗りの要素が付け足され、飛行機一般の危険度のみならず、それと共に敵艦に突っ込んで行くという特攻隊のある種の無常感へと引き継がれていったのだろうと思います。
 
 他ならぬ自分の命を投げ出さねばならないというこの限界状況に対し、若者達はそれを納得させるなんらかの論理を見出さねばなりませんでした。
 例えば、「不合理ゆえにわれ信ず」などがそれですが、これは、「不合理なものを信じる」という積極的なものではなく、どうしても論理的に咀嚼できない事態であるからこそ、「もはや信ずる以外に道はない」という追いつめられた心情と理解すべきだろうと思います。

 そうした理由付けにもかかわらず、どうしてもそこからはみ出てしまう余剰、情念のようなもの、それらは、こうした絶対的な限界状況の中でいっそう研ぎ澄まされていたのだろうと思いますが、それが歌となってほとばしるとき、それはまさに断腸の思いであらざるを得なかったのでしょう。
 そうした思いを背景にこの歌を聴くと本当にシンシンと哀しいのです。

  

 この歌も、戦後歌謡曲風にアレンジされました。
 あの小林 旭が映画の主題歌として唱ったものですが、その歌詞は上の、1、2、5 番をそのままとったものでした。
 ただし、そこには一般的な情感はあっても、特攻隊の持っていたあの特殊な限界状況はもはや払拭されていました。

 それから後、八代亜紀が1976年のヒット曲「舟唄」の挿入歌として唱っているものがあります。この歌詞は以下のようで、どちらかというと先に見た神奈川県民謡、三崎甚句よりの雰囲気を持っているといえましょう。

  沖の鴎に 深酒させてョ いとしあの娘とョ 朝寝する ダンチョネ

 なお、この歌の最後にもダンチョネ節のメロディが使われていますが、それは「ルルルルルルール」といった具合にスキャットになっていて、それがフェードアウトの効果をもたらしています。



おまけのトリビア

 ダンチョネ節の歌詞、9番に以下のものがあります。

  逢いはせなんだかヨ館山沖でネ 三本マストのサ 大成丸ダンチョネ

 この大成丸ですが、1906(明治39)年に東京商船学校航海科の練習生を乗せて第一次遠洋航海に出かけた帆船の練習船です。ですから、ダンチョネ節の成り立ちに登場し、1900年に沈没した練習船・月島丸の後継船と思われます。
 ここに、やはりこの歌が商船学校に大きく関わってきた痕跡が残されています。
 
 なお、この大成丸は1910~11年にかけて世界一周を行うのですが、その折りの総経費が、72,300円だったというから驚きです。
 その同時期にアルゼンチンに派遣された軍艦の総経費が200万円に達し、この大成丸の経費に比べ桁違いだったため、海軍内で何か不正や無駄遣いがあるのではないかとの疑惑が高まり、調査が行われることとなったようです。

 また、現在も練習船大成丸という名の船が存在しますが、これは1981年建造の蒸気タービン船だそうです。
 その他、ネットで検索すると、「玄界灘の釣り船 大成丸」などという記事がありますが、これは今回のテーマとは関係なさそうなので、深くは追求しませんでした。


 
 


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【ズンドコ節考・7】いやじゃありませんか

2008-02-04 04:03:11 | よしなしごと
 さて、「海軍小唄」、「陸軍小唄」と見てきましたが、それでは空軍は?というと、残念ながら戦前の日本軍には空軍はなく、陸軍航空隊、海軍航空隊という組織編成でした。
 従って、陸軍と海軍を総称して軍隊だったのですが、その軍隊全体を唱った「軍隊小唄」はちゃんとありました。

 戦争末期に唱われたというのですが、それを調べると、「作詞者:不詳
とあるのですが、作曲者は倉若晴生という人になっています。
 それは以下のようなものです。

軍隊小唄」  

いやじゃありませんか軍隊は カネのおわんに 竹のはし
仏さまでも あるまいに 一ぜん飯とは情なや

腰の軍刀に すがりつき つれて行きゃんせどこまでも
つれて行くのはやすけれど 女は乗せない戦闘機

女乗せない戦闘機 みどりの黒髪裁ち切って
男姿に身をやつし ついて行きますどこまでも

七つのボタンをぬぎすてて いきなマフラーの特攻服
飛行機まくらに見る夢は 可愛いスーチャンの泣きぼくろ

大佐中佐小佐は老いぼれで といって大尉にゃ妻がある
若い小尉さんにゃ金がない 女泣かせの中尉どの

この箇所はそれぞれの所属に従い、「戦車隊」とか「潜水艦」とかに変えて唱われた。

 冒頭の「いやじゃありませんか」という文句を除いては、はっきり厭戦とは唱われていないものの、軍隊そのものを斜に見て茶化したものであることは間違いありません。前回見た「可愛いスーちゃん」がここにも登場することは、厭戦歌の系列に属していると見て良いでしょう。
 しかし、今まで見てきたものと違って、作曲者が明らかだということは、これ自身が何らかの歌の替え歌であることを示しています。
 そしてその元歌はちゃんとあったのです。

 

 それは以下のように作曲者、作詞者、歌手も明確なレコードとして、1939(昭・14)年にリリースされているのです。

ほんとにほんとに御苦労ね
   作詞:野村 俊夫  作曲:倉若 晴生
   唄:山中みゆき(ポリドール) 

楊柳(やなぎ)芽をふくクリークで 泥にまみれた軍服を
洗う姿の夢を見た お国の為とは言いながら
ほんとにほんとに御苦労ね

来る日来る日を乾パンで 守る前線弾丸(たま)の中
ニュース映画を見るにつけ 熱い涙が先に立つ
ほんとにほんとに御苦労ね

今日もまた降る雨の中 どこが道やら畑やら
見分けもつかぬ泥濘(ぬかるみ)で 愛馬いたわるあの姿
ほんとにほんとに御苦労ね

妻よ戦地の事などは なにも心配するじゃない
老いたるふたおや頼むぞと 書いた勇士のあのたより
ほんとにほんとに御苦労ね

 ここには軍隊を斜に見てとか、厭戦といったものはありません。ひたすら戦地の兵士を思う気持ちがナイーヴに唱われているのです。「父よあなたは強かった」に通じる激励の歌なのです。
 にもかかわらず、レコードにもなったこの元歌よりも、その替え歌としての「軍隊小唄」の方が広く人口に膾炙されたことの中に、当時の兵士や民衆の本音があったといっていいかも知れません。

 

 ところで、この元歌のタイトル「ほんとうにほんとうにご苦労ね」には皆さん聞き覚えがあるはず。そうです、あの「ドリフのほんとにほんとにご苦労さん」はこの歌のタイトルをとりながら、歌詞としては「いやじゃありませんか~」と「軍隊小唄」の出だしを採用した替え歌なのです。

 その歌詞は以下のようです。

「ドリフのほんとにほんとにご苦労さん」
 作詩:野村俊夫・なかにし礼 作曲:倉若晴生

ほんとにほんとにほんとにほんとにご苦労さん ソレ
               (これが囃子言葉)
いやじゃありませんか花子さん オナラばっかりしていては
花嫁修業をしていても どこへ行こうと鼻つまみ
                (同上の囃子言葉)
いやじゃありませんか学生さん 試験試験とせめられて
恋をしている暇もない せめて知りたやキスの味
                   (囃子言葉)
いやじゃありませんかチョンガーは 靴下三日は我慢して
お尻の破れを手でかくし 銭湯でついでにパンツ洗う
          [文句あるか]   (囃子言葉)
[元気を出して]
いやじゃありませんか新婚さん 家を出る時ねえあなた
お昼休みにねえあなた 家へ帰ればねえあなた
                   (囃子言葉)
いやじゃありませんか家の山の神 スタミナドリンク
ホルモン注射に こりゃまたまむし酒
俺のからだをこきつかう これじゃふとれるはずがない
                   (囃子言葉)
[突っこめ!]
いいじゃありませんか男なら なにをくよくよするものか
真赤なフンドシ引きしめて 行くぞこの道どこまでも
                   (囃子言葉)
ご苦労さんご苦労さんご苦労さん

 
 
 「ドリフのズンドコ節」同様、この作詞にも なかにし礼 が関わっています。しかし、「ズンドコ節」の場合と違って戦前の元歌との関わりはほとんどないように見えます。ところがです、意外なところにその接点はあるのです。
 この歌の作詞者をもう一度見てください。なかにし礼の他に、野村俊夫という人が併記されていますね。この人誰だか分かりますか。
 私はちゃんとフェアーに記しておきました。
 上の、「軍隊小唄」の更に元歌として掲げた「ほんとにほんとに御苦労ね」の作詞者こそ、この野村俊夫なのです。

 では、本当になかにし礼と野村俊夫とが共同でこの詩を作ったのでしょうか。それはあり得ないのです。なぜなら、このドリフの歌が出来た頃には、野村俊夫は既に亡くなっていたからです。
 ですから、なかにし礼は、元歌の作詞者に敬意を表して共同の作詞者に掲げたのですが、ご覧いただくように、野村俊夫の最初の詩とは全く違うものに仕上がっています。
 要するに、なかにし礼は、野村俊夫との共作を明示することで、このドリフの歌が、「軍隊小唄」やその元歌との連続性を持っていることを表示したのだろうと思われます。

 この三つの歌を比べると、その詩に込められた含意などがそれぞれ違い、それがまた時代を間違いなく現しているように思います。

<余談>富士サファリパークのコマーシャルソング、「ほんとにほんとにほんとにライオンだ!」は、上記の歌からさらに派生したものと思われます。


おまけのトリビア

 野村俊夫(1904~66)という作詞家について調べてみました。
 古関祐二と同郷の福島県の出身で、生涯にわたって500に近い作詞をしています。
 戦前は数々の軍歌や戦争歌謡を作詞していますが、その代表作は「暁に祈る」、「ああ、紅の血は燃ゆる」などです。
 そして戦後の代表作は、「湯の町エレジー」「東京だョおっ母さん」などです。
 なお、「東京だョおっ母さん」の詩の一部に、戦前派の名残が幾分残っているともいえます。


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【ズンドコ節考・6】 可愛いスーちゃん

2008-02-02 03:44:10 | よしなしごと
 前回まで、ズンドコ節のルーツ「海軍小唄」とその周辺を見てきましたが、海軍に小唄があって陸軍にはなかったのだろうかと「陸軍小唄」でググってみました。
 そうしたら、結構ヒットしたのですが、それは私が別のタイトルで知っていた歌でした。

 それは、「可愛いスーちゃん」、あるいは「初年兵哀歌」の名で記憶していたものだったのです。
 なぜこれが「陸軍小唄」であったかというと、その理由はこれが主に陸軍で唄われたということのみで、確たる根拠はないようです。
 しかし、その意味では、「海軍小唄」も多少歌詞を変えたりして陸軍でも唱われていたようですから、厳密に区分する必要はないのでしょうね。
 何といっても、もともとオフィシャルな歌ではなく俗謡のようなものですから、歌詞や、場合によってはメロディの一部まで変更されていたようです。

 そういえば、以下の「可愛いスーちゃん」を、「海軍小唄=ズンドコ節」のメロディで唱ったという記録もありますし、私もまたそれを聞いたように思うのです。

 

 それではその歌詞を以下に記します。【作詞・作曲】不明

1 お国の為とは言いながら  人の嫌がる軍隊に
  召されて行く身の哀れさよ 可愛いスーちゃんと泣き別れ

2 朝は早よから起こされて  雑巾がけやら掃き掃除
  嫌な上等兵にゃいじめられ  泣く泣く送る日の長さ

3 乾パンかじる暇もなく  消灯ラッパは鳴りひぴく
  五尺の寝台わら布団  ここが我らの夢の床

4 夜の夜中に起こされて  立たなきゃならない不寝番
  もしも居眠りしたならば  ゆかなきゃならない重営倉

5 海山遠く離れては  面会人とてさらに無く
  着いた手紙の嬉しさよ  可愛いスーチャンの筆の跡

 歴然とした「厭戦歌」ですが、これまでのものに比べ、兵隊生活の厳しさが具体的に描写されていることが特徴です。それもかなり否定的な描写です。それがまた、切々とした感じを持ったこのメロディに合っていたのかも知れません。「初年兵哀歌」ともいわれるゆえんです。

 戦前の軍隊は徹底した縦割りの階級社会でしたから、階級が下のものや初年兵にとっては大変でした。私の亡父は、40才近くなってから軍隊にとられたのですが、士官学校を出ただけという自分の息子のような上官に怒鳴られたり屈辱的な言葉をかけられたようです。
 しかし、それに反抗しようものなら、上の歌詞にも出てくる「重営倉」(軍隊内の刑務所のようなところ)へ押し込められてしまうのです。
 軍隊の非人間的なありようを書いた小説などもかつてはかなりありました。私の記憶にあるものでは、野間 宏の『真空地帯』などがそれです。

 

 この歌のレコード版には、冒頭に、上の歌詞の3番にもある「消灯ラッパ」のメロディが出てきます。「起床ラッパ」と違ってオヤスミナサイのラッパですから、どこか哀愁に満ちています。
 そのメロディに合わせて、こんな文句が付けられたりしました。

  ドドドドドミドミソー、ミドミドドミレドミー
  新兵さんはつらいよねー、また寝て泣くのかよー

 また、この歌の1番は、下のような別の歌詞でも唱われていたともいわれます。

1’お国の為とは言いながら 人の嫌がる軍隊に
  志願で出てくる馬鹿もある 可愛いスーちゃんと泣き別れ

 「ズンドコ節」が、戦後、何度もリメイクされてきたことはすでに見たとおりですが、この歌にも戦後版があります。ただし、この歌の切々たるメロディからして恋の歌には不向きだったようで、いわゆる不良少年を収容する練馬にあった東京少年鑑別所の歌(「練鑑ブルース」)として甦ることとなりました。

 そうした経緯ですから、もちろんいつ頃、誰が作詞したのか分かりませんし、歌詞の違うものも沢山あり、また、例えば「大阪少年鑑別所」の歌のようにその地域に応じてアレンジされたものもありました。
 歌手としては、守屋 浩や小林 旭によってレコーディングされたようですが、放送禁止に指定されたため、電波媒体に乗ることはなかったようです。

 

 ここでは、割合初期の頃の、スタンダードなものを掲げます。

 練鑑ブルース  【作詞・作曲】 不明

 人里離れた塀の中 この世に地獄があろうとは
 夢にも知らない娑婆の人 知らなきゃおいらが教えようか

 身から出ました錆びゆえに 厭なポリ公にぱくられて
 手錠かけられ意見され 着いた所は裁判所

 鬼の検事に蛇の判事 付いた罪名は傷害罪
 廊下に聞こえる足音は 地獄極楽分かれ道

 青いバスに乗せられて 揺られ揺られて行く先は
 その名も高き練馬区の 東京少年鑑別所

 薄い青テン着せられて 硬いベッドに寝かされて
 三度の飯も麦しゃりで 食っちゃ寝、食っちゃ寝の鑑別所

 格子の窓から空見れば 鳥はさえずり花さえも
 二度とここへは来るなよと 俺に言うように論すように

 新入り新入りと馬鹿にされ 便所掃除や床掃除
 三度の食事も二度、一度 夜は涙で頬濡らす

 余りの辛さに耐えかねて ぶくろの駅までずらかれば
 張り込み看守にぱくられて もとの練馬に逆戻り

 一年三月の刑終えて やっとの思いで娑婆に出りゃ
 かわいいスケちゃん人の妻 おいら一人で男泣き

 父さん母さん許してね これからまじめになりますと
 誓った言葉も上の空 またも踏み入る馬鹿の道
 
 やはり、この歌のメロディは、閉塞された場所に似合っているようです。
 鑑別所の中での収容者の上下関係、いじめ、などなど、軍隊との共通点から転用されたのでしょうが、やはりその想像力には脱帽です。


おまけのトリビア
 
 この歌は、更に全共闘時代にバリケードの中で替え歌として唱われたとのことで、いささか不十分ながら以下の歌詞を見つけました。
 やはりこの歌、閉塞された場所が似合うようです。

 身から出ました錆ゆえに 中央は法科に落ちぶれて
 よせばいいのにデモ暮らし 落ち行く先は全中闘

 ガリ切り3年アジ1年 やっとダラ幹になったけど
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(不明)

 右におわすは委員長 左におわすは書記長で
 次から次へと査問され 泣く泣く書いた自己批判


  全中闘 中央大学全共闘のことか。




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