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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

それにしても早いぜ、カワゲラ君!

2008-02-13 02:20:11 | よしなしごと
 季節外れという言葉を、最近とみに聞くようになった。
 温暖化現象などとの関係で過敏になってきたこともあろう。


 しかし、それはそれとして、季節外れというのは常にあったのであり、気象現象はともかく、生物などのそれは、一方では体内時計の適合不良や気象条件に騙された受け身のものもあるのだろうが、逆にそれらを契機としながら、自己の季節領域を拡大する積極的なものもありはしないかと思うのだ。

 長いスパンで見ると、そうした生物の営みで形成される自然の季節感のようなものは、ドンドン変化しているはずだ。
 生物たちは、ただ気候の命じるままに生を営んでいるわけでもあるまい。その生への欲望は、自然のちょっとした隙をついて、空間的にも、そして時間的にもその生の領域を拡大しようとしているのではないだろうか。
 そしてそのためには寒暖に対する新たな耐性をも獲得して行くのではあるまいか。

      

 などということを考えさせる契機になったのは、私の眼前のガラス窓にとまった一尾のカワゲラとおぼしき昆虫なのである。体長はほぼ1.3センチほどであろうか。
 白い方は、物好きな私がわざわざ表へ回ってとったもので、黒いシルエットのものは、室内からとったものである。ガラスの汚れは、先般の雪のせいだ。

      

 いやぁ、正直言って早すぎるのだ。
 昆虫図鑑で調べると、この虫、四月から七月にかけて羽化するとある。
 まさか人間様の「立春」などというかけ声に騙されたわけではあるまい。

 この虫の名前はミドリカワゲラにほぼ間違いない。
 念のため、ネットの昆虫図鑑から引用した下の写真と比べて欲しい。

           

 はじめになぜ、「季節外れもその生物自身にとっては積極的な意味があるはずだ」といささか強弁したかというと、このミドリカワゲラにその生を全うして欲しいからである。
 もともと彼らは水中での幼虫期が長くて、羽化してからの生活はあまり長くないはずだ。
 その短い羽化の生活を、「しまった、間違えちゃった」とは思わせたくないではないか。

 間違いではなく、おのれが選び取った生であるとして、ちゃんと生きて欲しいのだ。
 僕を訪れたミドリカワゲラよ、君に僕の好きな言葉を教えよう。

 「セ・ラ・ヴィ!」 
 そうなんだ、これが人生なのだ!

 ところで、虫に人生はおかしいかな?
 「これぞ生きるということだ
 ならいいか。
 誤解するなよ。諦めではないぞ。積極的に引き受けるということだぞ。

 そんなことを考えていたらどっかへいってしまった。
 物好きな僕は、またまた表へ回って、寒さに耐えかねてそこらに墜落しているのではないかと探してみたが、どこにもいなかった。

 どうやら無事に翔んでいったようだ。
 そう思いたい。

 

 

コメント
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