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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

路地裏の地獄模様が私の願望? 06.7.18

2006-07-20 14:58:23 | よしなしごと
 妻を病院に見舞ってから帰途についた。
 大通りから路地を入ってわが家へ着く手前の、隣家のテラスのようなところに、10号ぐらいのタブローがこちら向きに立てかけられていた。見る方向によって絵の感じが異なる不思議な絵で、どうやら隣家の息子の作品らしい。
 
 ポケットから鍵を取り出し、自分の家のドアーへ向かった。違和感と同時に、「やられたっ」という思いが走った。ドアが約15センチほどあいていたのだ。
 中へはいると、いやな予感が的中していることが一目で分かった。
 玄関からしてもう物色された跡が歴然で、廊下にかけて様々なものがとり散らかっていた。

 110番を回した。動揺していて番号を間違えたのだろうか、「あのう、警察ですか」というと、「こちらは○○委員会です」という機械的な返事があり、電話は切られてしまった。震える指で再び電話に向かった時、ふと気づいた。

 うちには娘と息子がいたはずだ。どうしているのだろう、その確認が先決だ。
 右手にある娘の部屋に急いだ。ここもまた散乱の極みであった。
 ゴミ収集が選別制になったため、もう使われなくなった黒いポリ袋の傍らでなにかが動いた。
 散乱しているものを取り除くと、下から縛られた娘が転がり出てきた。慌てていましめを解き、「だいじょうぶか?」と訊くと、「ウ、ウン」と答えた。

 次は息子だ。二階の部屋へと駆け上がる。階段の突き当たりに木工用の糸鋸ミシンが置かれてあって、なぜか不安がつのる。
 部屋の扉を開ける。こちらも足の踏み場もない散乱ぶりだ。
 ふと、異様なものが目にとまる。人の、いや息子の左手だ。それが二の腕あたりから切断されているのだ。先ほど、木工ミシンを目撃した時の胸騒ぎはこれだったのだ。
 切断された手に触れてみる。まだ暖かい。良かった。この分なら命を失ってはいないかも知れないという希望が胸をよぎる。

 体の方を探さねばならない。
 押入の戸を勢いよく開ける。そのとたん、押し込まれていたがらくたなどと一緒に息子の体が転がり出た。
 しかし、しかし、その体は、ああ、もう冷たくなっていた。
 思わず絶叫が口をついて出た。

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 たまらなくねっとりした汗とともに目覚めた。
 不快感がまだ夢と現実の境界を占拠し、しばらくは体を起こすことも出来なかった。

 フロイトは、夢はその素材を割合最近の出来事や身の回りからとってくるといっている。最近伝えられる様々な残虐な事件が、こんな夢を見させたのだろうか。
 しかし、「抑圧された願望の現出」としての夢は、そこで直接表象されたものを内容とはしていない。超自我などにより抑圧されている願望が、それらの厳しい検閲をくぐり抜け、夢の言語や文法を駆使しながら、やっとあるイメージとして現出するのだという。

 従って、ここから夢の内容を取り出すためには、その過程を遡行し、隠された願望へと至らねばならない。
 かつて、そうした夢判断や解釈を試みたことがあるが、どうもうまくはいかない。
 私は、そうした願望の持ち主であるとともに、その抑圧者でもあるのだから、ことは困難だ。修練を積んだ分析者の助けを借りれば、何ごとかが明らかになるかも知れない。
 今はもう、そうした分析を行おうとはしない。

 最後に、上記の夢について、事実と異なっている点を挙げておこう。
 まず、そこでの出来事自身が実際に起こったものではないことはいうまでもない。

*妻は入院などしていない。
*私の家は路地を入ったところではない。
*隣家に絵を描くような息子はいない。
*泥棒に入られたのはもう20年以上前。
*玄関はドアではない。
*娘は日中は家にいないし、彼女の部屋は二階。
*息子は同居していない。
*もちろん、木工用のミシンなどない。

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