「革命的老人同盟」(革老同=KRD)への誘い
日本国政府は、自らの失政によって生じた1,000兆を超える財政赤字を、我ら老人を絶滅せしめることで解消することを決意し、公然たる挑戦を開始しました!
いわゆる骨太の方針といわれるののがそれです。
すでに昨年は、老齢控除の50万円がなくなり、貧富を問わず、老人一人あたり5万円の増税が実現されました。官僚の天下りや会社の役員など、不労所得に等しいものはともかく、定年過ぎても必要があって働いているものからも税金をぶったくり始めたのです。
それに続いて、今回の医療保険制度の改「悪」です。これにより、先人の努力によって維持されてきた福祉の恩恵からも老人を遠ざけようとしているのです。
これを要約し、明確にいうならば、、人口構成における老人の比率が多すぎるから、こいつらを早く殺してしまって、肩の荷を軽くしようという、国家的規模での「姥捨て山」政策に他なりません。ヒトラーの優生学をも思わせる、年齢別浄化政策というべきです。
確かに、財政赤字の規模は恐るべきものがあります。しかし、これらは私たちの責任でしょうか。この財政赤字のほとんどは、官僚と財界、その利権に首を突込むハイエナ議員どもが、ある時は国家的プロジェクトのかけ声で、ある時にはインフラの拡張の名目で、公共事業のばらまき政策を続けた結果ではないでしょうか。
確かに私どもは、そのもとで額に汗して働きました。しかしそれは、一部の連中の懐を肥やしたのみで、全体に実現したのは、先進国中第二位という貧富の格差にすぎませんでした。しかも、この格差は「自己責任」ということで、自分のお尻は自分で拭きなさいと冷たく突き放されます。
一部の層を除けば、老人はこの突き放された層にいます。その突き放しの内容が、さきに見た既に行われてしまった増税であり、これから来るであろう増税であり、さらには、福祉利用の制限であり、医療保険制度の改悪なのです。老人だろうが何だろうがとれる奴からはぶったくるぞ、それで金がなきゃぁ医者にかからずさっさと死んでしまえという政策なのです。
私たちはむざむざと国家のテロルによって、惨殺されるわけには行きません。例え、もう目は霞み、歯はぼろぼろに欠けていても、「目には目を、歯には歯を」の気概をもって徹底抗戦することを誓い、ここに革命的老人同盟(革老同=KRD)の結成を宣言します。
*当面の行動方針
1)体制内老人からの脱却。可愛い老人をかなぐり捨ていやらしい老人に徹底。
要するに国家が老人を体制内の保護対象から外すということは、私たち自身も、もはや良いじいちゃんや優しい婆ちゃんではいられない。従って、孫や子供をいたずらに愛したりしない。彼らは潜在的な敵である。
孫に小遣いなどやるな。孫の小遣いを略奪せよ。
2)「先人の知恵」や、「老人パワーの再活用」などとおだてられ、それらを提供しない。彼らに技術や伝承を伝える必要はない。もはや、断絶あるのみ。
3)我らは冥土へと結ばれてあるのみで、他に類縁なしと知るべきである。従って、あらゆる既存の徳目や規範から自由である。
3-1 払うべきものは公共料金だろうと街の飲み屋だろうと払わない
支払いを迫られた場合は、「ぁ、鯨が飛んでる」作戦を行う
3-2 極悪金融から金を借りまくり、それを子供や孫たちに押しつけよ
3-3 遺産をいっさい残さない、綺麗に使い切って死ぬ
使い切れない分は革老同へ寄贈し、のたれ死にしそうな老人の救済に当てる
3-4 夜間は、体の許す限りあちこち徘徊し、街頭でわめくなど示威を挙行する
3-5 大小便は決められたところへしない。官公庁、警察署、税務署玄関にする
3-6 どこかで老人が死んだと聞けば、大挙してその葬式に押しかけ、参列者としてそれ相当の接待を求める。むろん香典などは持参せず、機会があればかっぱらってくる。
3-7 老人を揶揄するような出版、放送その他の言動にはきっちり制裁を加える
(彼らへの罵詈雑言の嵐と玄関で排便作戦、さらにはモロトフウオッカなどによる攻撃を辞さない)
3-8 家庭にあっては、例えぼけていなくてもそれを装い、金の持ち出し、冷蔵庫の中のうまいものの独り占めを行う。それへの抵抗があれば、家族によるいわれなき虐待を周辺に訴えかけろ。
4)神秘学の研究に励み、死後も、幽霊となって我らを苦しめた輩への復讐を継続する
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革老同への加入は年齢制限を設けない。理由は誰もが老人となる定めから逃げられないからである。ただし、それに無自覚であり、老人に敬意を表さないものは加入を認めない。
きちんとした構成員による組織も必要としない。したがって、当然のこととして組織内での上下はこれを設けない。
上記に書かれた実践項目に関し、その一つ、または複数に共感し、それを実施しているものは構成員とみなす。したがって、加入、脱退、除名、処分などのセレモニーはない。我らに残されたセレモニーは来るべき葬式だけである。
革老同の基本とすべきは、その実践の成果もさることながら、例えよいよいであったり、棺桶に片足を突っ込んでいようが、老人としての誇りを凛として保ち、我らを抹殺しようとするこの国家に、敢然として抵抗することである。
そのためには、「余生」という言葉を返上し、ルサンチマンによる生とも異なる、まさにこれが生だという生を生ききることである。
以上、老人の尊厳に賭けて宣言する。
日本国政府は、自らの失政によって生じた1,000兆を超える財政赤字を、我ら老人を絶滅せしめることで解消することを決意し、公然たる挑戦を開始しました!
いわゆる骨太の方針といわれるののがそれです。
すでに昨年は、老齢控除の50万円がなくなり、貧富を問わず、老人一人あたり5万円の増税が実現されました。官僚の天下りや会社の役員など、不労所得に等しいものはともかく、定年過ぎても必要があって働いているものからも税金をぶったくり始めたのです。
それに続いて、今回の医療保険制度の改「悪」です。これにより、先人の努力によって維持されてきた福祉の恩恵からも老人を遠ざけようとしているのです。
これを要約し、明確にいうならば、、人口構成における老人の比率が多すぎるから、こいつらを早く殺してしまって、肩の荷を軽くしようという、国家的規模での「姥捨て山」政策に他なりません。ヒトラーの優生学をも思わせる、年齢別浄化政策というべきです。
確かに、財政赤字の規模は恐るべきものがあります。しかし、これらは私たちの責任でしょうか。この財政赤字のほとんどは、官僚と財界、その利権に首を突込むハイエナ議員どもが、ある時は国家的プロジェクトのかけ声で、ある時にはインフラの拡張の名目で、公共事業のばらまき政策を続けた結果ではないでしょうか。
確かに私どもは、そのもとで額に汗して働きました。しかしそれは、一部の連中の懐を肥やしたのみで、全体に実現したのは、先進国中第二位という貧富の格差にすぎませんでした。しかも、この格差は「自己責任」ということで、自分のお尻は自分で拭きなさいと冷たく突き放されます。
一部の層を除けば、老人はこの突き放された層にいます。その突き放しの内容が、さきに見た既に行われてしまった増税であり、これから来るであろう増税であり、さらには、福祉利用の制限であり、医療保険制度の改悪なのです。老人だろうが何だろうがとれる奴からはぶったくるぞ、それで金がなきゃぁ医者にかからずさっさと死んでしまえという政策なのです。
私たちはむざむざと国家のテロルによって、惨殺されるわけには行きません。例え、もう目は霞み、歯はぼろぼろに欠けていても、「目には目を、歯には歯を」の気概をもって徹底抗戦することを誓い、ここに革命的老人同盟(革老同=KRD)の結成を宣言します。
*当面の行動方針
1)体制内老人からの脱却。可愛い老人をかなぐり捨ていやらしい老人に徹底。
要するに国家が老人を体制内の保護対象から外すということは、私たち自身も、もはや良いじいちゃんや優しい婆ちゃんではいられない。従って、孫や子供をいたずらに愛したりしない。彼らは潜在的な敵である。
孫に小遣いなどやるな。孫の小遣いを略奪せよ。
2)「先人の知恵」や、「老人パワーの再活用」などとおだてられ、それらを提供しない。彼らに技術や伝承を伝える必要はない。もはや、断絶あるのみ。
3)我らは冥土へと結ばれてあるのみで、他に類縁なしと知るべきである。従って、あらゆる既存の徳目や規範から自由である。
3-1 払うべきものは公共料金だろうと街の飲み屋だろうと払わない
支払いを迫られた場合は、「ぁ、鯨が飛んでる」作戦を行う
3-2 極悪金融から金を借りまくり、それを子供や孫たちに押しつけよ
3-3 遺産をいっさい残さない、綺麗に使い切って死ぬ
使い切れない分は革老同へ寄贈し、のたれ死にしそうな老人の救済に当てる
3-4 夜間は、体の許す限りあちこち徘徊し、街頭でわめくなど示威を挙行する
3-5 大小便は決められたところへしない。官公庁、警察署、税務署玄関にする
3-6 どこかで老人が死んだと聞けば、大挙してその葬式に押しかけ、参列者としてそれ相当の接待を求める。むろん香典などは持参せず、機会があればかっぱらってくる。
3-7 老人を揶揄するような出版、放送その他の言動にはきっちり制裁を加える
(彼らへの罵詈雑言の嵐と玄関で排便作戦、さらにはモロトフウオッカなどによる攻撃を辞さない)
3-8 家庭にあっては、例えぼけていなくてもそれを装い、金の持ち出し、冷蔵庫の中のうまいものの独り占めを行う。それへの抵抗があれば、家族によるいわれなき虐待を周辺に訴えかけろ。
4)神秘学の研究に励み、死後も、幽霊となって我らを苦しめた輩への復讐を継続する
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革老同への加入は年齢制限を設けない。理由は誰もが老人となる定めから逃げられないからである。ただし、それに無自覚であり、老人に敬意を表さないものは加入を認めない。
きちんとした構成員による組織も必要としない。したがって、当然のこととして組織内での上下はこれを設けない。
上記に書かれた実践項目に関し、その一つ、または複数に共感し、それを実施しているものは構成員とみなす。したがって、加入、脱退、除名、処分などのセレモニーはない。我らに残されたセレモニーは来るべき葬式だけである。
革老同の基本とすべきは、その実践の成果もさることながら、例えよいよいであったり、棺桶に片足を突っ込んでいようが、老人としての誇りを凛として保ち、我らを抹殺しようとするこの国家に、敢然として抵抗することである。
そのためには、「余生」という言葉を返上し、ルサンチマンによる生とも異なる、まさにこれが生だという生を生ききることである。
以上、老人の尊厳に賭けて宣言する。