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【読書ノート】哲学者も老いる 『晩年のカント』を読む

2021-07-13 11:36:47 | 書評

 『晩年のカント』 中島義道(講談社現代新書)

  タイトル通り、カント学者の著者が晩年のカントに焦点を合わせて書いたエッセイ風の書であるが、二つの意味で面白い。ひとつは文字通り、晩年のカントのありようがその理論面、私生活の面で書かれているからである。
 もうひとつは、それを通じて、晩年を迎えた著者も含んだ哲学者一般ありようようなものがみえるからである。

              

 カントは当時のデカルトを嚆矢とする大陸合理論と、ロックなどのイギリス経験論を統合したとして知られている。
 私たちはその成果が、「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」の三批判であり、彼の哲学を「批判哲学」総称することに慣らされている。確かにこの、「真であることはいかにして可能か」、「正しいということはいかにして可能か」、「美しいということはいかにして可能か」の三批判は、彼の主著であると受容しているから、批判哲学者とするのはまんざら間違いではあるまい。

 しかし、この書を読むと、それらはカントの目指したものの前段階、ないしは前提条件の構築にしか過ぎず、彼はそれに基づく新たな形而上学の体系を目論んでいたにもかかわらず、それを果たせず生を終えたことがあらためて分かる。
 だから、著者にいわせれば、「カントは、神が〈いる〉とも〈いない〉とも言わなかった。私が〈不死である〉とも〈不死でない〉とも言わなかった。両者のいずれにも飲み込まれない中間のところに、ずっと留まり続けよと提案した。この世界はまるごと〈現象〉であると言った。〈ある〉とも〈ない〉とも言わなかった」ということになる。

         
          著者中島氏 この人も結構変わっているようだ

 しかし、形而上学的体系を書き上げたとしたら、こんなことで済んだだろうか。むしろ、それを書き上げ得なかったことが彼の後半生のリアルな現実であり、それが故に彼の哲学はいまも参照点たりうるのではないだろうか。

 体系というのは当時の哲学者にとっては魔性の誘惑であったろう。
 著者によれば、カントの同時代やその後の哲学者たちは、自分の体系を構築することにかまけていて、同時代の他者の哲学をろくに読んでさえいなかったそうなのだ。それらの哲学者というのはフィヒテ、シェリング、ヘーゲルなどである。
 
 その一つの例が、カントとフィヒテの関係で、フィヒテはすでに高名だったカントに泣きついて自分の著作の出版を依頼するのだが、頼まれたカントはそれを了承し、出版社を紹介し、それがフィヒテが世に出るきっかけになる。しかしその書は、カントの立場を真っ向から否定するものであった。ようするにカントはフィヒテの書いたものをろくに読んではいなかったのであり、また、フィヒテもカントのものをまともに読んでいなかった可能性がある。だからフィヒテはカントに依頼できたし、カントもまた了承したといえる。
 しかし、その相違が相互にわかった時点が、二人の決別のときであった。

         
                カント先生

 当時としてはカントは長生きをした哲学者である。1724~1804年と80歳まで生きた。
 それは同時に、ひとつのリスクを背負う生涯でもあった。明言はされていないが、カントの最後の数年は、いまでいうところの認知症の疑いがあるという。その症状は、幼児化であったと示唆されている。

 カントの哲学は講壇調でとっつきにくいかもしれないが、最晩年の1798年に書かれた『実用的見地における人間学』は、大学内の講義ではなく、いまでいうところの市民講座のように開かれた場所での語りの収録で、もちろん、時代の制約は免れないが、砕けていて実に面白い。
 彼はそこで、人間の風習、世間、女性論などを奔放に語っている。
 しかし一方、私たちは彼の生涯が謹厳実直そのもので、とりわけ女性については、生涯独身で、しかも女性との触れ合いがあった痕跡すらまったくないにもかかわらず、なぜそれを語ることができたのかはほんとうに謎である。

 散漫であったカントについての知識を少し整理できたかな。
 

コメント
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