昼飯と書いて「ひるい」と読む。「ひるいい」と読まないのは、前回触れた「おおはか」が「おはか」になったのと類似した現象かもしれない。
それにしても面白い地名である。
私などは、これから、
家にあれば笥(け)に盛る飯(いい)を草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る
という、謀反露見で捉えられ護送される有間皇子の歌を思い出すが、あれは和歌山方面にいた中大兄皇子に尋問を受けるための虜囚の旅で、この辺とは関係がない。
左は整備以前 右が整備後
ついでながら、椎はドングリの仲間で、そのなかでもあまり葉が大きい方ではない。どうしてそんな小さな葉に飯を盛るのかと高校生の頃思ったものだが、万葉の頃と今では植物の呼び名などその指示対象が変化しているから、きっともっと大きな葉に盛ったことだろうと思う。
全体像 左「前方」 右「後円」
さて昼飯に戻ろう。ここには、国指定史跡昼飯大塚古墳がある。
まずはその概説を見ておこう。
「昼飯大塚古墳は今から約1600年前に築かれた岐阜県最大の前方後円墳です。その特徴は墳丘の長さが150mにもなることやその構造が三段築成となる点、さらには後円部の頂上に竪穴式石室、粘土槨、木棺直葬という3つの埋葬形態が存在する点にあります。
保存整備では現況の墳丘を修復しながら、後円部の一部に復元ゾーンを設けて葺石や埴輪、周濠を復元しています。」(大垣市のホームページから)
「前方」部分に登り「後円」方面を臨む
その規模は以下のようだ。
墳丘長 約150メートル
後円部径 99メートル
高さ 13メートル
前方部高 9.5メートル
周壕含む総全長 約180メートル
いよいよ「後円」部分へ
その他いろいろな説明もあるが、何はともあれ、この前方後円墳が、その上に茂った樹木や堆積物を取り除き、その創建時の様相をあからさまに示しているのがありがたい。
ちなみに、ここに載せた一番上の写真が、整備前と整備後を示す展示からとったものである。
「後円」部分から「前方」部分を振り返る
この古墳はみごとに往時の姿に復元されていたが、その規模が大きいのと、その周辺に今や他の建造物があったりして、全体を俯瞰できる撮影スポットがなく、ドローンか何か使わない限りなかなかその全貌が撮せないのだが、なんとか撮り得た範囲のものを載せるので、不足分は想像で補っていただきたい。
「後円」部分の全景 半分は石積みの様子を残している
この古墳のもうひとついいところは、誰でもそこに登り、その規模や高さ、そこからの眺めなどを体感できることだ。1600年前の古代人たちが作った古墳を踏みしめるなどということは滅多にできることではない。
わけの分からない権威を振りかざして、その学術調査すら認めようともしないどこやらの古墳とはえらい違いだ。
「後円」部分に残された円筒埴輪の列
「前方」というのはもちろん方形をしていてそちらが前部になるからだ。そちらから登った。もちろん創建時にはなかっただろう緩やかな階段で私のような老人でも登ることができる。生憎の寒い日で、古墳の上では、この地方の寒風の固有名詞である伊吹おろしを全身に浴びたが、それにもまして1600年の年月を超えてここに立つという爽快さを享受することができた。
同じ円筒埴輪を近くから
そこから「後円」、つまり後方の丸い部分に歩を進める。そこが最高地点だ。その中央に立つと、まるで古代の大君になった気分で四囲を睥睨することができる。
この部分の周辺には、全体を囲っていたであろう円筒形の埴輪が二重の列になって設置されている。もちろんこれはレプリカであるが、その本物の出土品は、後述の歴史博物館で目撃することができた。
この古墳のミニチュアのレプリカ
ここはお勧めのスポットである。
前方後円墳の全体像をまじまじと観ることができるのみならず、そこに登って吹き付ける風を体感できるなんて、そして1600年前の時に還ってこの地で生きた人びとの歴史に思いを巡らすことができるなんて、そんな機会はざらにあることではない。
ここは、21世紀にチマチマと生きている自分の生を、悠久の時の流れに置いて、相対化してみるには格好の場所である。
西濃地方歴史探訪の旅はまだまだ続きます。
それにしても面白い地名である。
私などは、これから、
家にあれば笥(け)に盛る飯(いい)を草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る
という、謀反露見で捉えられ護送される有間皇子の歌を思い出すが、あれは和歌山方面にいた中大兄皇子に尋問を受けるための虜囚の旅で、この辺とは関係がない。
左は整備以前 右が整備後
ついでながら、椎はドングリの仲間で、そのなかでもあまり葉が大きい方ではない。どうしてそんな小さな葉に飯を盛るのかと高校生の頃思ったものだが、万葉の頃と今では植物の呼び名などその指示対象が変化しているから、きっともっと大きな葉に盛ったことだろうと思う。
全体像 左「前方」 右「後円」
さて昼飯に戻ろう。ここには、国指定史跡昼飯大塚古墳がある。
まずはその概説を見ておこう。
「昼飯大塚古墳は今から約1600年前に築かれた岐阜県最大の前方後円墳です。その特徴は墳丘の長さが150mにもなることやその構造が三段築成となる点、さらには後円部の頂上に竪穴式石室、粘土槨、木棺直葬という3つの埋葬形態が存在する点にあります。
保存整備では現況の墳丘を修復しながら、後円部の一部に復元ゾーンを設けて葺石や埴輪、周濠を復元しています。」(大垣市のホームページから)
「前方」部分に登り「後円」方面を臨む
その規模は以下のようだ。
墳丘長 約150メートル
後円部径 99メートル
高さ 13メートル
前方部高 9.5メートル
周壕含む総全長 約180メートル
いよいよ「後円」部分へ
その他いろいろな説明もあるが、何はともあれ、この前方後円墳が、その上に茂った樹木や堆積物を取り除き、その創建時の様相をあからさまに示しているのがありがたい。
ちなみに、ここに載せた一番上の写真が、整備前と整備後を示す展示からとったものである。
「後円」部分から「前方」部分を振り返る
この古墳はみごとに往時の姿に復元されていたが、その規模が大きいのと、その周辺に今や他の建造物があったりして、全体を俯瞰できる撮影スポットがなく、ドローンか何か使わない限りなかなかその全貌が撮せないのだが、なんとか撮り得た範囲のものを載せるので、不足分は想像で補っていただきたい。
「後円」部分の全景 半分は石積みの様子を残している
この古墳のもうひとついいところは、誰でもそこに登り、その規模や高さ、そこからの眺めなどを体感できることだ。1600年前の古代人たちが作った古墳を踏みしめるなどということは滅多にできることではない。
わけの分からない権威を振りかざして、その学術調査すら認めようともしないどこやらの古墳とはえらい違いだ。
「後円」部分に残された円筒埴輪の列
「前方」というのはもちろん方形をしていてそちらが前部になるからだ。そちらから登った。もちろん創建時にはなかっただろう緩やかな階段で私のような老人でも登ることができる。生憎の寒い日で、古墳の上では、この地方の寒風の固有名詞である伊吹おろしを全身に浴びたが、それにもまして1600年の年月を超えてここに立つという爽快さを享受することができた。
同じ円筒埴輪を近くから
そこから「後円」、つまり後方の丸い部分に歩を進める。そこが最高地点だ。その中央に立つと、まるで古代の大君になった気分で四囲を睥睨することができる。
この部分の周辺には、全体を囲っていたであろう円筒形の埴輪が二重の列になって設置されている。もちろんこれはレプリカであるが、その本物の出土品は、後述の歴史博物館で目撃することができた。
この古墳のミニチュアのレプリカ
ここはお勧めのスポットである。
前方後円墳の全体像をまじまじと観ることができるのみならず、そこに登って吹き付ける風を体感できるなんて、そして1600年前の時に還ってこの地で生きた人びとの歴史に思いを巡らすことができるなんて、そんな機会はざらにあることではない。
ここは、21世紀にチマチマと生きている自分の生を、悠久の時の流れに置いて、相対化してみるには格好の場所である。
西濃地方歴史探訪の旅はまだまだ続きます。