岐阜県は美濃と飛騨とに分かれる。美濃は割合平地に恵まれているが(とはいえ濃尾平野のおすそ分けぐらいで大したことはない)、飛騨地方は山間部に相当する。濃飛国境付近に水源を発する河川は、美濃を通って太平洋側に流れるものと、飛騨を経由して日本海に流れるものとに分れる。
ひるがの高原にはその分水嶺を目の当たりにできるところがある。そこまで流れてきた小さな渓流は、ちょっとしたよどみのような池にプールされ、その流出口には三角状の石があり、その頂点にあたった水は左右に別れる。
上流から見て右手へゆくものは長良川を経由して伊勢湾へと、左手のものは庄川を経て富山湾へ注ぐ。
ここへは3、4度行ったことがある。子供たちも連れて行った。少し上流から笹舟や木の葉を流してみると水流の関係でどちらかに分かれてゆく。
ではここで別れた水たちは永久に分かれてしまうのだろうか。もちろん海はつながっているので、いっしょになるといえばなるのだが、もっとその場所を特定できないだろうか。
暇な折に、日本列島を取り巻く海流図を見ていたら、それらの流れの一部が津軽海峡で出会うことがわかった。あの大間のマグロが獲れる辺りであろうか。
ひるがのの分水嶺で泣き別れた笹舟たちが、津軽海峡で出会うなんてなかなかロマンティックではないか。まさに「われても末に逢わむとぞ思ふ」(崇徳院)だ。
そうした分水嶺の近くのもう少し行けば飛騨路という付近まで行ってきた。
平地ではもう終わってしまった花の饗宴がその辺りに行けば見ることができるかもしれないと思ったからだ。
しかし、東海北陸道を白鳥(ハクチョウでもシラトリでもない、シロトリと読む)で降りて一般道の山道に入って幾ばくもしないうちに路肩に残雪が見られる。
さらに分け入ると、雑木林などはすっかり雪に覆われているのだが、樹木の根の周りだけぽっかり雪が溶けていて、植物のエネルギーを思わせる。
まだまだ花などとはとんでもない話だ。
それでも、木々はまだまだかわいいが新芽を宿しはじめているし、日当たりの良い雪解けの箇所ではツクシや蕗の薹を見ることができる。
廃校になって何年も経った鷲見(わしみ)分校はまだ雪景色の中だった。
キャッ、キャッと雪の玉を投げ合う子供たちの声が聞こえるようだ。
その子たちは今どこでどうしているのだろう。
すっかり大人になって都会の喧騒のなかにいるとき、あるいは夜更けに自分に部屋に帰った時など、ふとここを思い出したりはしないだろうか。
山村を走ると、他にもこんな場所が沢山あるし、またこれからも増えるのだろう。
岐阜県は、ここ25年後には20%以上と大幅に人口が減るといわれている。
雪の大日岳では、まだスキー場が営業中で、山腹のリフトが動いているのが肉眼でも見える。
ここを北限に南へ下る。
ちょっと南下するだけで確実に春の気配が濃厚になる。
白鳥から大和地区に入り、「道の駅古今伝授の里やまと」で昼食。ここの蕎麦はセルフ方式だが結構美味い。
傍らでは馬酔木(アセビ)の花が咲き、池では鯉が輝いている。
前景に林立するのはつくし
そこから少し離れた箇所の円光寺の枝垂れ桜を見る。
八分咲きぐらいだろうか。
なかなかのものだが訪れる人は少ない。
ちょっともったいないがそれがかえっていい。
長良川沿いに南下を続ける。
途中休憩した箇所、桜の咲き誇る下でアマゴ釣りをしている青年を見かける。
私の40年前の姿だ。少し胸にくるものがある。
フライではなくエサ釣りだ。
しばらく見ていたら、瀬尻のあたりでヒットして、手元へ引き寄せる段階でバレてしまった。距離があるから定かではないが、尺とまではゆかなくとも、まあまあの良型のものだった。
見ていても口惜しいが、本人はもっと口惜しいだろう。
この12日、雨の日が続くなか、ポッカリと好天に恵まれて、実に久々の遠出を楽しんだ。
昨秋、体調を悪くして以来、岐阜と名古屋以外にはほとんど足を延ばしていない。
そろそろ、身体を動かさないと、このまま老いさらばえてしまいそうだ。
ひるがの高原にはその分水嶺を目の当たりにできるところがある。そこまで流れてきた小さな渓流は、ちょっとしたよどみのような池にプールされ、その流出口には三角状の石があり、その頂点にあたった水は左右に別れる。
上流から見て右手へゆくものは長良川を経由して伊勢湾へと、左手のものは庄川を経て富山湾へ注ぐ。
ここへは3、4度行ったことがある。子供たちも連れて行った。少し上流から笹舟や木の葉を流してみると水流の関係でどちらかに分かれてゆく。
ではここで別れた水たちは永久に分かれてしまうのだろうか。もちろん海はつながっているので、いっしょになるといえばなるのだが、もっとその場所を特定できないだろうか。
暇な折に、日本列島を取り巻く海流図を見ていたら、それらの流れの一部が津軽海峡で出会うことがわかった。あの大間のマグロが獲れる辺りであろうか。
ひるがのの分水嶺で泣き別れた笹舟たちが、津軽海峡で出会うなんてなかなかロマンティックではないか。まさに「われても末に逢わむとぞ思ふ」(崇徳院)だ。
そうした分水嶺の近くのもう少し行けば飛騨路という付近まで行ってきた。
平地ではもう終わってしまった花の饗宴がその辺りに行けば見ることができるかもしれないと思ったからだ。
しかし、東海北陸道を白鳥(ハクチョウでもシラトリでもない、シロトリと読む)で降りて一般道の山道に入って幾ばくもしないうちに路肩に残雪が見られる。
さらに分け入ると、雑木林などはすっかり雪に覆われているのだが、樹木の根の周りだけぽっかり雪が溶けていて、植物のエネルギーを思わせる。
まだまだ花などとはとんでもない話だ。
それでも、木々はまだまだかわいいが新芽を宿しはじめているし、日当たりの良い雪解けの箇所ではツクシや蕗の薹を見ることができる。
廃校になって何年も経った鷲見(わしみ)分校はまだ雪景色の中だった。
キャッ、キャッと雪の玉を投げ合う子供たちの声が聞こえるようだ。
その子たちは今どこでどうしているのだろう。
すっかり大人になって都会の喧騒のなかにいるとき、あるいは夜更けに自分に部屋に帰った時など、ふとここを思い出したりはしないだろうか。
山村を走ると、他にもこんな場所が沢山あるし、またこれからも増えるのだろう。
岐阜県は、ここ25年後には20%以上と大幅に人口が減るといわれている。
雪の大日岳では、まだスキー場が営業中で、山腹のリフトが動いているのが肉眼でも見える。
ここを北限に南へ下る。
ちょっと南下するだけで確実に春の気配が濃厚になる。
白鳥から大和地区に入り、「道の駅古今伝授の里やまと」で昼食。ここの蕎麦はセルフ方式だが結構美味い。
傍らでは馬酔木(アセビ)の花が咲き、池では鯉が輝いている。
前景に林立するのはつくし
そこから少し離れた箇所の円光寺の枝垂れ桜を見る。
八分咲きぐらいだろうか。
なかなかのものだが訪れる人は少ない。
ちょっともったいないがそれがかえっていい。
長良川沿いに南下を続ける。
途中休憩した箇所、桜の咲き誇る下でアマゴ釣りをしている青年を見かける。
私の40年前の姿だ。少し胸にくるものがある。
フライではなくエサ釣りだ。
しばらく見ていたら、瀬尻のあたりでヒットして、手元へ引き寄せる段階でバレてしまった。距離があるから定かではないが、尺とまではゆかなくとも、まあまあの良型のものだった。
見ていても口惜しいが、本人はもっと口惜しいだろう。
この12日、雨の日が続くなか、ポッカリと好天に恵まれて、実に久々の遠出を楽しんだ。
昨秋、体調を悪くして以来、岐阜と名古屋以外にはほとんど足を延ばしていない。
そろそろ、身体を動かさないと、このまま老いさらばえてしまいそうだ。