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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

夜汽車が切ない郷愁を誘った頃

2014-09-03 01:11:48 | 想い出を掘り起こす
 深夜、眠れないままに夜具に横たわっていると、6~7キロほど離れたところから夜汽車の音が聞こえる。木曽川の鉄橋付近が線路が高いため、そこからのものだろう。あるいは木曽川の鉄橋を渡る音かもしれない。
 夜汽車というのはかつてはかなりの郷愁を誘ったものだが、今ではそれほどではない。

 それはたぶん、新幹線の普及などによって、ほとんどの夜行旅客列車がなくなったことを知っているからだろう。だから、夜汽車の音を聞いても、誰が、どんな事情で、どこへ行くのだろうかと想像にふける余地は少なくなった。

          

 ちなみに東海道線を走る夜汽車は、「ムーンライトながら」、「サンライズ出雲」、「サンライズ瀬戸」の三本の列車の往復のみであるが、この内、「ながら」がこの辺を走る時間帯は、私が寝そびれるような時間ではない。また、「出雲」と「瀬戸」は実は途中で分離される一本の列車で、その往復の二本のみが共に午前2時前後に通るようだ。

 しかし、いわゆる電車型の列車はそんなに音響が大きくないから、夜半私の耳に達するのはほとんど、貨物列車ではないかと思う。たぶん、宅配便などのコンテナ列車が多いのではないだろうか。

          

 古い話だが、私の実家は岐阜駅のすぐ南にあって、駅のアナウンスが聞こえる距離であった。夜行列車の停車や通過のアナウンスが聞こえるたびに、いろいろ想像をたくましくしたりしながら受験勉強をしていた。おまけに、ラジオのS盤アワーやL盤アワー、それに飽きると、チューニングをいじって当時禁断だったモスクワ放送や北京放送を聴いていたのだから、勉強が進むはずがなかった。

 岐阜駅の構内では、貨車の連結編成作業が行われていた。蒸気機関車に依るそれは、夜のしじまをを破って結構けたたましかったが、いまとなってはとても懐かしい。
 ポ~ッと汽笛を鳴らしたかと思うと、ダダダダ~ッと貨車を押して急ブレーキをかける、すると貨車のみが突き放されて、停車している貨車の列にガチャ~ンと連結される。ポ~ッ、ダダダダ~ッ、ガチャ~ンの繰り返しで一編成の貨物列車が出来上がるという仕掛けだ。

          

 そして、かつてはどの駅にも小荷物受付の窓口があり、貨物列車は必要な駅のプラットフォームに停車して、小忙しくその積み下ろしをしたものだが、そんな光景もなくなった。調べてみたらそうした小荷物業務は1986年に廃止されたのだそうである。もちろん、宅配便などの普及によるものだ。
 いまは専用の貨物駅から貨物駅の往復で、時間待ちなどのほかに普通の駅のプラットフォームに止まることはまずない。

 鉄道もずいぶん様変わりした。いまの電車はスピードも早く、乗り心地も快適だが、それに反比例して情緒が希薄になったように思う。あの、哀愁がこもったモーター音ももはやしない。
 新幹線はもともと機能本意だからまあ、早ければいいというところだ。

          
 
 リニア新幹線が開通する頃はもうこの世におさらばしているだろうが、それに乗りたいとも思わない。むしろ、環境破壊や電磁波問題など、さまざまな問題含みなようだから再検討すべきではないかと思っている。
 とりわけ、人口一億を切ったその頃、それに要する膨大な電力を用いるほどのメリットはあるのかどうか。おそらくその推進派は原発の維持、増設を前提としているのだろう。
 原発維持と相変わらずの土建屋行政のシンボルのような気もする。

 ちなみにリニアの実用化を考えているのは日本以外では中国のみで、その中国ではすでに上海の浦東空港と郊外の地下鉄駅の間、約30キロで運転を開始している。

 夜汽車に乗った時の独特のあの雰囲気、また、夜汽車の音響に郷愁を覚えた日々に自分の少年時代や青年時代をダブらせて、しばし遠い目になる私がいる。

【おまけ】
 https://www.youtube.com/watch?v=ia8e30ONI_Y
 https://www.youtube.com/watch?v=nXp90pns1hc

 








コメント (8)
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