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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「残夏」によせて

2014-09-11 02:19:09 | 写真とおしゃべり
 もう一昨日になる。
 岐阜は午前中から30度を超えて気温は高かった。
 しかし、湿度は低く、適度に風もあって不快ではない。
 午後、いつものクリニックへ出かけた。
 薬をもらいに行く定期便のようなものだ。

          
 
 「最近どうですか」と女医さん。
 「時折微熱が出て気だるいのですが」と私。
 「のどの痛みや洟が出たりはしますか」
 「いいえ、それはありません」
 「風邪ではないようですね。持続していますか」
 「いいえ、時々です」
 「それでは、持続するようでしたらまたおいでください」

           

 ようするに、経過観察ということだ。
 老人の不定愁訴と思われたのかもしれない。
 まあ、それもありかなと自分でも思っている。

             

 帰途、ここしばらく歩いていないので、散歩をすることに。
 あまりいったことがない方角を選んで歩く。
 8月はカラッとした日が少なかったが、この日は眩しいくらい。
 ああ、これが今夏の最後の輝きかとも思う。

             
 
 「残夏」という言葉を思いつく。
 もうすでにある言葉だろうか。
 ちなみに、『広辞苑』にはない。

          

 日射しの中に輝いているものを選んで撮る。
 やはりケイタイでは限度がある。
 デジカメを持ってくればよかったかなとも思う。

          

 同じ季節の移り変わりでも、夏の終わりは少し寂しい。
 生命の絶頂が終わるという感があるからだろうか。
 秋は実りの季節といわれる。
 しかし、実りとは次世代への委譲にほかならない。
 必ずしもその生物の最盛期を意味するものではない。

          

 夏の陽射しの中にこそ最盛期はある。
 その意味では私はもはや秋の暮かもしれない。
 しかしせめて、夏の残照のなかで生きていたいものだ。
 そうした思いで「残夏」という言葉を思いついた。 
 
コメント
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