深夜、眠れないままに夜具に横たわっていると、6~7キロほど離れたところから夜汽車の音が聞こえる。木曽川の鉄橋付近が線路が高いため、そこからのものだろう。あるいは木曽川の鉄橋を渡る音かもしれない。
夜汽車というのはかつてはかなりの郷愁を誘ったものだが、今ではそれほどではない。
それはたぶん、新幹線の普及などによって、ほとんどの夜行旅客列車がなくなったことを知っているからだろう。だから、夜汽車の音を聞いても、誰が、どんな事情で、どこへ行くのだろうかと想像にふける余地は少なくなった。
ちなみに東海道線を走る夜汽車は、「ムーンライトながら」、「サンライズ出雲」、「サンライズ瀬戸」の三本の列車の往復のみであるが、この内、「ながら」がこの辺を走る時間帯は、私が寝そびれるような時間ではない。また、「出雲」と「瀬戸」は実は途中で分離される一本の列車で、その往復の二本のみが共に午前2時前後に通るようだ。
しかし、いわゆる電車型の列車はそんなに音響が大きくないから、夜半私の耳に達するのはほとんど、貨物列車ではないかと思う。たぶん、宅配便などのコンテナ列車が多いのではないだろうか。
古い話だが、私の実家は岐阜駅のすぐ南にあって、駅のアナウンスが聞こえる距離であった。夜行列車の停車や通過のアナウンスが聞こえるたびに、いろいろ想像をたくましくしたりしながら受験勉強をしていた。おまけに、ラジオのS盤アワーやL盤アワー、それに飽きると、チューニングをいじって当時禁断だったモスクワ放送や北京放送を聴いていたのだから、勉強が進むはずがなかった。
岐阜駅の構内では、貨車の連結編成作業が行われていた。蒸気機関車に依るそれは、夜のしじまをを破って結構けたたましかったが、いまとなってはとても懐かしい。
ポ~ッと汽笛を鳴らしたかと思うと、ダダダダ~ッと貨車を押して急ブレーキをかける、すると貨車のみが突き放されて、停車している貨車の列にガチャ~ンと連結される。ポ~ッ、ダダダダ~ッ、ガチャ~ンの繰り返しで一編成の貨物列車が出来上がるという仕掛けだ。
そして、かつてはどの駅にも小荷物受付の窓口があり、貨物列車は必要な駅のプラットフォームに停車して、小忙しくその積み下ろしをしたものだが、そんな光景もなくなった。調べてみたらそうした小荷物業務は1986年に廃止されたのだそうである。もちろん、宅配便などの普及によるものだ。
いまは専用の貨物駅から貨物駅の往復で、時間待ちなどのほかに普通の駅のプラットフォームに止まることはまずない。
鉄道もずいぶん様変わりした。いまの電車はスピードも早く、乗り心地も快適だが、それに反比例して情緒が希薄になったように思う。あの、哀愁がこもったモーター音ももはやしない。
新幹線はもともと機能本意だからまあ、早ければいいというところだ。
リニア新幹線が開通する頃はもうこの世におさらばしているだろうが、それに乗りたいとも思わない。むしろ、環境破壊や電磁波問題など、さまざまな問題含みなようだから再検討すべきではないかと思っている。
とりわけ、人口一億を切ったその頃、それに要する膨大な電力を用いるほどのメリットはあるのかどうか。おそらくその推進派は原発の維持、増設を前提としているのだろう。
原発維持と相変わらずの土建屋行政のシンボルのような気もする。
ちなみにリニアの実用化を考えているのは日本以外では中国のみで、その中国ではすでに上海の浦東空港と郊外の地下鉄駅の間、約30キロで運転を開始している。
夜汽車に乗った時の独特のあの雰囲気、また、夜汽車の音響に郷愁を覚えた日々に自分の少年時代や青年時代をダブらせて、しばし遠い目になる私がいる。
【おまけ】
https://www.youtube.com/watch?v=ia8e30ONI_Y
https://www.youtube.com/watch?v=nXp90pns1hc
夜汽車というのはかつてはかなりの郷愁を誘ったものだが、今ではそれほどではない。
それはたぶん、新幹線の普及などによって、ほとんどの夜行旅客列車がなくなったことを知っているからだろう。だから、夜汽車の音を聞いても、誰が、どんな事情で、どこへ行くのだろうかと想像にふける余地は少なくなった。
ちなみに東海道線を走る夜汽車は、「ムーンライトながら」、「サンライズ出雲」、「サンライズ瀬戸」の三本の列車の往復のみであるが、この内、「ながら」がこの辺を走る時間帯は、私が寝そびれるような時間ではない。また、「出雲」と「瀬戸」は実は途中で分離される一本の列車で、その往復の二本のみが共に午前2時前後に通るようだ。
しかし、いわゆる電車型の列車はそんなに音響が大きくないから、夜半私の耳に達するのはほとんど、貨物列車ではないかと思う。たぶん、宅配便などのコンテナ列車が多いのではないだろうか。
古い話だが、私の実家は岐阜駅のすぐ南にあって、駅のアナウンスが聞こえる距離であった。夜行列車の停車や通過のアナウンスが聞こえるたびに、いろいろ想像をたくましくしたりしながら受験勉強をしていた。おまけに、ラジオのS盤アワーやL盤アワー、それに飽きると、チューニングをいじって当時禁断だったモスクワ放送や北京放送を聴いていたのだから、勉強が進むはずがなかった。
岐阜駅の構内では、貨車の連結編成作業が行われていた。蒸気機関車に依るそれは、夜のしじまをを破って結構けたたましかったが、いまとなってはとても懐かしい。
ポ~ッと汽笛を鳴らしたかと思うと、ダダダダ~ッと貨車を押して急ブレーキをかける、すると貨車のみが突き放されて、停車している貨車の列にガチャ~ンと連結される。ポ~ッ、ダダダダ~ッ、ガチャ~ンの繰り返しで一編成の貨物列車が出来上がるという仕掛けだ。
そして、かつてはどの駅にも小荷物受付の窓口があり、貨物列車は必要な駅のプラットフォームに停車して、小忙しくその積み下ろしをしたものだが、そんな光景もなくなった。調べてみたらそうした小荷物業務は1986年に廃止されたのだそうである。もちろん、宅配便などの普及によるものだ。
いまは専用の貨物駅から貨物駅の往復で、時間待ちなどのほかに普通の駅のプラットフォームに止まることはまずない。
鉄道もずいぶん様変わりした。いまの電車はスピードも早く、乗り心地も快適だが、それに反比例して情緒が希薄になったように思う。あの、哀愁がこもったモーター音ももはやしない。
新幹線はもともと機能本意だからまあ、早ければいいというところだ。
リニア新幹線が開通する頃はもうこの世におさらばしているだろうが、それに乗りたいとも思わない。むしろ、環境破壊や電磁波問題など、さまざまな問題含みなようだから再検討すべきではないかと思っている。
とりわけ、人口一億を切ったその頃、それに要する膨大な電力を用いるほどのメリットはあるのかどうか。おそらくその推進派は原発の維持、増設を前提としているのだろう。
原発維持と相変わらずの土建屋行政のシンボルのような気もする。
ちなみにリニアの実用化を考えているのは日本以外では中国のみで、その中国ではすでに上海の浦東空港と郊外の地下鉄駅の間、約30キロで運転を開始している。
夜汽車に乗った時の独特のあの雰囲気、また、夜汽車の音響に郷愁を覚えた日々に自分の少年時代や青年時代をダブらせて、しばし遠い目になる私がいる。
【おまけ】
https://www.youtube.com/watch?v=ia8e30ONI_Y
https://www.youtube.com/watch?v=nXp90pns1hc
「真夜中にひとり目覚めてそのままゐるわれらに響きとどく遠方の汽笛 木下利玄」というはるか遠くを想い見る汽車でした。
今や純粋な夜は消え失せましたが、かっての夜汽車の行く先には、破滅的な夜の深さと、破天荒な希望がありました。
*http://www.youtube.com/watch?v=Uq3lweHgPbI
「今や純粋な夜は消え失せましたが、かっての夜汽車の行く先には、破滅的な夜の深さと、破天荒な希望がありました。」
これには全く同感です。かつて、夜汽車を象徴したものは「ここではない」異郷でした。
夜汽車がなくなるとともに、私たちにとっての異郷もなくなりました。
お友達のSさんが同人誌の次号にお書きになっているように、行って帰ってくるだけの旅ともいえぬ往復は、「どこへ行っても同じ」という金太郎飴の確認に終わっているように思います。
ケネディ大使のような美形とは肩擦れ合わせて座りたいと思いますが、それは別にリニアの車内でなくともいいことですね。
むしろ、マイナス要因が山積しているようで、推進派はそれに触れないようにしているようです。
子供の頃は駅の近くでうるさいほどでしたが、今は都市郊外です。しかし、人びとが寝静まり、車の往来もなくなった頃、遠くから夜汽車の音が聞こえます。
花てぼさんさんは鉄道とは無縁の場所でお過ごしになったよですが、逆にそれらの音がないまた別の風情があったのではないでしょうか。
異郷の地での夜汽車体験はやはりひと味も二味も違ったものだったでしょうね。ましてや、ある思い入れをもってお出かけになった旅だったようですからひとしおだったろうと思います。
私も三年ほど前、中国で列車の旅(太原ー北京)をしましたが、残念ながら、新幹線型の昼間の列車でした。
それでも、北京西駅に到着した頃には、すっかり黄昏れていて、街の灯に郷愁を覚えたものです。