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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

日記らしい(?)日記 私の4月15日

2012-04-16 15:16:10 | よしなしごと
  今月になって初めて名古屋へ出た。
 これまで、定例の会合や映画、コンサート、美術展などで月数回は出かけていたのだが、ここのところいろいろあって月半ばにしてやっと出かけることとなった。
 あと一回ぐらい出かけることができるだろうか。

       
           オアシス21では似顔絵大会が開催されていた

 そういえば今月になってから、自宅から半径5キロ以上には出ていない気がする。
 まるでヒッキーだが、私のような歳では危険な傾向だ。
 ようするに、それだけ世界というか世の中というかに接する機会が減っているわけで、情報との接触、とりわけ五感を用いた感覚的触れ合いがなくなり、その分、老化が加速するというわけだ。
 この五感を用いるという点では、今のところ、TVやパソコンでは代えがたいものがある。

       
              描き手の方のキャラもいろいろ

 地下鉄のなかで仲の良さそうな二人連れの女の子を見ていた。
 せいの低い丸顔の女の子は眼がくりくりしていて猫のようだった。
 相手と話す仕草も、どことなく甘えた感じがした。
 もう一人は決して険しい顔立ちではないが、ややキリッとして、犬に似ているような気がした。なんかとてもいいコンビに思えた。

       
                 こちらはロボットが
 
 同じ駅で降りたのでよほどそれを指摘してやろうかと思ったがやめた。
 そんなことをしたら変なジジイとしてその筋へ突き出されかねないからだ。
 地下鉄の車両やホームでは、迷惑行為があったらその旨お知らせくださいというアナウンスが常に流れている。
 でも、この犬猫コンビ、なかなかいい雰囲気で、本人たちにもそういってやりたかった。

       
                    憩う人たち

 その後、コンサートではないが、CDでベルカント歌手の歌声を10人分(エンリコ・カルーソーからエディタ・グルベローヴァまで)を聴いて、その脳髄に達するような声に痺れた。
 人間の声は鍛錬次第であんな表現ができるのだと、当たり前のことをいまさらながら確認した。

          
                    色即是空 

 赤ワインを飲んだ。
 ほろ酔いで夜の街を歩いた。春宵一刻値千金だ。
 JRで自分の街まで帰って自転車で帰宅。
 頬に当たる風が心地よく、つい先日まで、「今年はいつまでたっても寒いね」と言っていたのが嘘のようだった。

          
                 消防車と名残の桜
 
 帰宅してゆっくり入浴。
 パソコンを開いたら親しい人からのメールが入っていたので慌てて返信を書いたが、どうも15日中には間に合わなかったようだ。
 偶然というものは恐ろしいもので、その日の午前中、その友人がちょうど40年前に書いた小説が載った文芸同人誌を本棚の隅から見つけ出していたのだった。

       
                  地下鉄にて・1
             

 それを読んだ。
 同人誌から『文学界』に転載されただけあって、読み応えがあった。
 70年代の帰結のようなあの連合赤軍事件があった年だけに、それと名指されないままにそれらに枠付けされた時代の情況そのものが、モノクロの情景をみるように伝わってくる。
 その文章の繊細さには参った。澱んだ感やざらついた感がまるで自分の五感で感じているように伝わってくる。

       
                  地下鉄にて・2

 実は、小説というものを一度は書いてみたいと、戯れに書き始めたものがあるのだが、言葉をまるで音楽における音のように駆使してそれを表現するというその技法に比べれば、私の書きかけのものはまるでレポートか報告書に終わっていて、小説にまで昇華されていないことを骨の髄まで知らされた。
 でも、こういう衝撃は、どこか心地よいものがある。
 


野田内閣の大飯原発稼働再開の決定に強く反対し、抗議します。
 あわせて、直ちに国会を解散し、その再開について、国民の信を問うことを要求します。

コメント (7)
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