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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

花の終わりと若葉のラプソディ そしてあの歌

2012-04-13 23:04:19 | 写真とおしゃべり
 季節の移ろいというか時間の経過というのは、どこかしら残酷な面を持ち合わせている。
 せっかく到来したものを早々と追い立て、もうそれらが過ぎ去ったものだと烙印を押し、ついには記憶の中からも追い払い、なかったことにしてしまう。

       
       ウメ

 とりわけ花の終わりの時期にはそれを感じさせるものがある。
 桜という花がぱっと咲いてぱっと散るということから、そうした思いを増幅させるるのだろう。
 だから、それを素材にした感傷的な詩歌や無常感に触れた言葉はきりがないほどある。
 そしてそれらのほとんどが、それを自分自身の春、あるいは人生の経過と重ね合わせている場合が多い。

       
       ツツジ
 
 しかし逆に私のように、もう何度春を迎えられるかは心もとない身としては、そんなところにいちいち立ち止まっているわけにはゆかないのであって、ただただ新しく到来するものを受容するほかはない。
 これは花や季節の移ろいに託した疎外論のようなものへの私なりの戒めでもある。
 ゆくものを本来性の喪失として嘆いているよりも、来たるべきものを「ヤー」といって歓迎し、それとともにあるべきだろうと思うのだ。

       
       マサキ
 
 などと気取ってみてもみなくとも、移ろうものは移ろう。
 花は水面に墜ち、花筏となって流れ、そのあとから新緑が追いかける。

       
       ナンテン
 
 この時期になると思い出す歌がある。
 小学生の折、覚えた歌であるが、調べてみると1942年(昭和17)、国民学校初等科第四学年用の音楽教科書に載った歌とある。
 題名は「若葉」、作曲者は平岡均之、作詞は松永宮生。
 その歌詞は次のようだ。

  1) 鮮やかな緑よ 明るい緑よ
   鳥居を包み 藁家(わらや)を隠し
   香る 香る 若葉が香る
  2) さわやかな緑よ 豊かな緑よ
   田畑を埋ずめ 野山をおおい
   そよぐ そよぐ 若葉がそよぐ

 http://www.youtube.com/watch?v=2Snu6SaPMMo
    (絵はいまいち。でも載せてくれただけでいい)

       
       サクラ
 
 曲調も明るくていいと思う。
 戦時一色の1942年に、よくもこんな美しい歌が国民学校唱歌に登場したものだと思う。
 私自身が歌ったのは戦後まもなくだったが、それでもこの明るくてさわやかな歌は強く印象に残っていて、この季節、ふと気づくと知らぬまに口ずさんでいたり、脳内で反芻したりしている。

          
          サンショウ

 鮮やかな緑、明るい緑、陽光を浴びて光る緑、こんな素敵なものがやってくるのに、どうして散る花を惜しんだりしていられようか。
 若葉は香る、そよぐ、そして光る。
 私はそのなかで面を上げ続けていたい。
 


   *野田内閣による大飯原発再稼働の容認に反対し、強く抗議します!
コメント (2)
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