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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

咲く花と逝く花交差して卯月

2012-04-02 03:24:40 | 花便り&花をめぐって
 あちこちで桜の便りが聞かれる頃、なんでいまさら梅といわれそうだが、わが家の梅がやっと咲いた。
 ただし、厳密にいうと昨年の大晦日にもらってきた剪定のため切り落とした梅の枝のことである。この枝に南天などをあしらって生花風にし、松飾りならぬ梅飾りにしたことについてはそれをもらった経緯も含めて、12月31日の日記に書いた。

 http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20111231

        

 陽あたりがあまりよくないところに置いてあったせいもあって、その花が今頃やっと咲いたのだ。外出したついでに、本家本元の梅畑の近くを通りかかったら、こちらはまさに満開であった。しかし、もともとあまり早咲きではないようだ。

          

 必要な買い物を済ませて小さなお社の近くを通りかかったら、境内の草むらの上になんやら赤く点々と散らばったものが見えた。
 近寄ってみたら椿の落花したものであった。この有様を見ると、椿は首から落ちるからと武家屋敷がこれを忌避したのもわかる気がする。

          

 見上げるとまだ樹には多少の花が残っているのだが、やがてこれらも運命を共にすることだろう。
 そんな思いでそれらを見ていたら、ふと、「散る桜残る桜も散る桜」という良寛の辞世の句を思い出した。
 本来は、仏教者らしい無常観を織り込んだ句なのだろうが、私どもの世代になると別の感慨が強く迫ってくる。
 
 それはこの句が、片道の燃料のみを積み、敵艦に体当りすることを命じられた特攻隊が好んで口にした句だからだ。そこには無常観とはいくぶん異なるナルシスティックな高揚感と、一方では、逃れがたく強要された死を、おのれのものとして引き受けざるを得ない悲壮感や諦観とが含まれているように思う。

        

 当時よく歌われ、私のような少国民でも知っていた「同期の桜」という歌があるが、これは上の良寛の句を下敷きにしていると思われる。

    貴様と俺とは 同期の桜 同じ兵学校の 庭に咲く
    咲いた花なら散るのは覚悟 みごと散りましょう 国のため

                      (詞:西条八十)

 日本が近代国家になって以来1945年までは、国のために人が死ぬのは当たり前で、それに異論を唱えたり尻込みをするものは、非国民として排斥されたり獄中で死を迎えたりする時代であった。

 丸山真男が1945年8月15日をもって、「革命」と称するのもわかる気がする。学問上の時代区分の当否はともかく、人が権力の命令によってバタバタ死ななければならない情況が終わっただけでも大変なことだったのである。

 しかし、その解放感がすっかり失われた今、再びあの暗黒の時代への回帰志向がうごめいているような気がする。
 まったく情けないことである。

        

 椿の落花が散らばる近くの扁平な石の上には、子供たちがままごと遊びでもしたのだろうかいくつかの花が集められていた。
 私にはそれが、あの戦争で命を落とした膨大な人びとを弔うための鎮魂の儀式のように思えた。

 そこからの帰り、陽射しがあるにもかかわらず冷たいものが降ってきた。狐のお嫁入りがあったようだ。

 

コメント
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