わが家に咲く花に癒されているというより魅せられている。
いや、もっと強い吸引力を持って誘惑されている。
ジェンダーの人には叱られるかも知れないが、男性の私にとって花は女性だ。
そして花は私を誘惑する。
必ずしもその清楚さにおいてではない。
まさにエロティシズムの極地において官能的にである。
これらの花に取り囲まれて、私はひとときドン・ファンになる。
世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
(世の中に桜などというものがなければもっとのんびり春を過ごせるものを)
は『伊勢物語』の中の在原業平の歌であるが、稀代の色事師の歌とあって、これを単に桜の成り行きに心騒ぐ歌とするのはナイーヴすぎるあろう。
なお、『伊勢物語』第六段「芥川」には、業平とおぼしき男が二條の后をさらって逃げる場面があるが、その情景を江戸の古川柳は
やわやわと重みがかかる芥川
と詠んでいる。
業平が二條の后を背負って逃げた際、その背に柔らかい女体の感触があったろうといううがった句で、古典を題材としながらエロティシズムを表現する川柳独自の境地を示していて私の好きな句である。