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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

花めでる閑を惜しんでゆく弥生(俳句なら季重ねか)

2012-03-17 01:42:33 | よしなしごと
        

 ここんところ多忙である。
 多忙といっても私の場合、あちこち駆けまわるのではなく、逆にデスク(パソの前)に釘付けということなので肉体的消耗は少ないのだが、やはり疲労がないわけではなく、肩は凝るし目は疲れるし、座りっぱなしの腰も辛くなる。
 そして、何よりもストレスが貯まる。

 このブログをお読みいただいている方はご存知のように、だいたいが普段からじっと落ち着いていることが苦手であちこち出張って歩く方だから、ここ数日というものいわば軟禁状態といってよい。
 ちょっとサボっていると「お前そんなことをしていていいのか」と内なる声が牽制する。外からの指図にはそこそこ抵抗しても内なる声には弱い。「ハハーッ」と平伏するほかはない。
 
 今回のように複数の仕事が重なると、私のような単細胞人間はすぐパニック状態になる。単数の仕事なら、ひたすら愚鈍にそれを進めればいいのだが複数だとそうは行かない。
 そこで当面しなければならないものを書き出したら、5項目に及んだ。日常的な作業は除いてである。
 それに優先順位をつけた。
 そのうちの二つ半をやっとこなした。
 だからこの日記を書くことができたわけだ。

 しかしホッと一息ついたのもつかの間、ここから月末にかけて怒涛の2週間が始まる。しかもそれは、5回の外出を含むものとなる。
 ここを乗り切った頃にはもう花の季節であろう。

 こんなことを書くと嘆き節に聞こえるかも知れないが、必ずしもそうではない。
 この歳になって、いろいろお呼びがあることが私と世界との関わりの証なのだ。
 だから老骨に鞭打つのだが、それは必ずしも苦行ではない。

 もう昨日になるが、気晴らしを兼ねて農協へ野菜の買い出しに出かけた。
 季はずれのものがないのがここの特徴、もう大根や白菜はない。
 菜の花と、もう塔が立って先端に可愛い花がついたチンゲンサイを一束買ってきた。
 後者は、葉はむしって使い、先端の花も使えるし、茎の部分は根元の固いところを切り捨てたのを斜に薄く切ると十分使える。
 手元にあった練り物と合わせてさっと煮て、カタクリでとろみをつけたらけっこううまかった。

 スーパーには絶対でない野菜をゲットし、しかも、満足する出来栄えだったので、座りっぱなしのストレスが大幅に解消できた。どうやら、好奇心と食い意地は似た者同士であるらしい。作曲をやめたロッシーニがパリに出てグルマンとして自ら調理をし、まるまる太ったのもこうした心境だろうか。

 写真は農協の花売り場にあったもので、最初、アネモネかなと思ったのだが、何やらややっこしい洋風の名前がついていた。覚えて帰ったつもりだがもう思い出せない。
 老化の進行の証なのだが、それをよそに、そんなことはどうでもいいのだと居直っている自分がいる。

 

 

コメント (2)
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