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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

松ぼっくりのラプソディ 調べなきゃよかったこと

2012-01-04 17:35:30 | 写真とおしゃべり
 三日はほとんど家を出ないで、四日締め切りの原稿の最終点検をしていたが、それができたのとすこし運動不足気味なのが気になったので、陽射しがあるのを幸いフラッと近所へ出かけた。
 大晦日、元日と近くの鎮守様を紹介したが、私の集落内にも小さな祠があるのでそこへ行ってみた。

       

 鎮守様と同じように、竹と松を主体とした門構えのようにしつらえられた〆
飾りがしてあった。もちろんこちらのほうが小型である。
 近寄ってみると松の枝の間に何やら褐色のものが見える。
 松ぼっくりだ。しかも、壮年期の色合いと活力を宿しているそれだ

          
 
 なぜそれを強調するかというと、ふだん私たちが見る地面に転がっているもの、開ききって色も黒ずみ乾燥しきったようなもの、それらは種子を放出したあとの老人期のものだからだ。



 そう言えば、ウィーンの森へ行ったとき、何本もの松の巨木が聳え、松ぼっくりがあたり一面に散乱していたのを思い出した。
 その折(20年前)は初めてのヨーロッパ(海外がそもそも初めて)だったので、松に東洋的なイメージを重ねていた私はいくぶん驚いたものであった。
 しかし、レスピーギの三部作にも「ローマの松」があるのだから、驚く私の方の見聞が単に狭かったに過ぎないといえる。




 話を戻そう。それにしてもこの〆飾りに使われている松のものは、その色合いといい形といい立派で精気に溢れている。思わず携帯をポケットから出して激写に及んだ。どうです、なかなかのものでしょう。

 もともと松ぼっくりはその形も名前もユーモラスで好きである。
 で、どうして松ぼっくりというのかを帰宅してから調べて驚いた。
「まつぼっくり・松ぼくりともいう。これは、<松陰嚢(まつふぐり)>が転訛した語である。」(Wiki)

    
 
 へ~、じゃぁ マイ・ヘイバリット・シング は松のあれなのか。まあ、次代を残す生殖機能を果たすという意味ではそうかもしれないが・・・。
 調べたりしなければよかった。
 これからは松ぼっくりを見るたびに、「オッ、可愛いな」と思う前にそれが思い出されてしまうではないか。

 

 

コメント
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