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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

毛沢東が黄河を渡った。

2011-11-14 01:12:52 | 写真とおしゃべり
 旅の一日、黄河河畔の磧口という街のホテルに泊まりました。
 ホテルといっても日本の民宿程度ないしはそれ以下といっていいでしょう。
 一応、トイレは室内にありますが、風呂はなくシャワーのみで、そのシャワーのお湯の出が悪く、危うく風邪を引きそうになりました。

        
             私たちが泊まったヤオトン風のホテル

 ただし、ありがたいことにはこのホテルには電源のコンセントがあって、撮り貯めたデジカメの映像を持参したパソに移しメモリーを初期化し、カメラや携帯の充電をすることが出来ました。

 そのホテルのすぐ前が黄河です。
 この辺りでは、比較的上流部ということもあって、世界有数の大河という印象はまだありませんが、しかし、日本の大河をすでにして凌ぐものがあります。
 この川の向こう側は陜西省で、そこにはかつての抗日戦争の際の八路軍の根拠地、延安があります。そのせいで賀家湾村というなんにもない静かな山村が前線扱いにされ非道な攻撃に晒されたことはすでに述べたとおりです。

        
                黄河 向こう岸は陜西省

 この地は、毛沢東が黄河を渡ったことで知られているようです。
 単に川を渡ったというこということのみならず、それが現在に至る中国の歴史に繋がるという意味で、象徴的ではあります。

 彼が黄河を渡り陜西省から山西省へと至ったのは二度あるのらしいのですが、その一度は、抗日戦線の頃で、1945年より前のことです。
 二度目は、国民党との内戦にほぼ勝利した1948年のことです(中華人民共和国の成立は1949年)。

             
                毛沢東渡河地点のでっかいモニュメント

 磧口の近くの索達干村の渡河地点には、それを記念するでっかいモニュメントが建っています。ビルにすると数階分にもなろうかという高さです。
 そのとき毛沢東は「君見ずや黄河の水、天から来るを。奔流海に到りて復た帰らず……源はいずこなりや」という李白の「将進酒」という詩を口ずさんだのだそうです。

        
                毛沢東が泊まった家の門構え

 ところで、その毛沢東が泊まった家があるというので見てきました。
 磧口という街から少し離れた村なのですが、そこにかなり大きいヤオトン風の家があり、そこに泊まったのだそうです。
 この家、もとは地主か何か特権的な身分の人の住まいだったのだそうですが、その後の動乱のなかで彼らはどこかへ去り、今は普通の三家族がそこを分割して住んでいるようです。
 門構えに派手な飾り付けと、中にそれを説明する手描きの壁新聞の様なものがありますが、それらはともに古びていて、あまり人が頻繁に訪れる様子はなさそうです。多分、何日かに一組といった具合でしょう。

        
 横断幕様の告知の左下には「抗日本国」のための第一回の渡河が、そして右下には「全中国解放」の渡河が記されている


 ただし、磧口を中心にして黄河河畔一帯の大規模な観光開発のプロジェクトがが進行中ですから、それが進めばこの家も名所のひとつとしてさらにスポットライトがあたることになるでしょう。
 とにかくこの国では事態の進行がやたら早いので、10年もしたらアッという変貌を遂げているに違いありません。

 水一滴を惜しむ山の民の暮らしと、この滔々とした流れの対比はやはり印象的でした。そんなことを考えると冷たいとはいえ、シャワーの水が出るだけマシで、文句をいったらバチが当たります。
 山の村では一生風呂などというものに入らずに過ごす人がいっぱいいるのですから。
 


コメント
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