六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

太原・新幹線・北京・天安門・前門大街

2011-11-15 01:49:07 | インポート
 私の中国の旅もいよいよ大詰めになって来ました。
 往路の太原も復路の太原も到着は夜で出発は朝でしたのでそれら大都市(人口470万)をじっくり見る機会はありませんでした。
 車の窓から見たのみですが、片道5車線ぐらいの道路が縦横に走り、車が溢れています。

 かつて中国が紹介せれるときによく見た、イナゴの集団移動のような自転車の大群にはお目にかかりませんでしたが、自転車、バイクなど二輪車が夜になってもよく走っているのは事実です。二人乗りも当然のようです。 
 その二輪車が怖いのです。というのは数多いそれらの9割方は無灯火なのです。
 車を運転する立場になったらずいぶん怖いだろうと思いました。
 夜、食事などに出ましたが、歩いていても怖いものがあります。それらがいきなり暗がりから近づいてくるのですから。
 ただし、北京でも夜の街を歩きましたが、ここではそうでもないように見受けました。
 近代化への習熟度の違いでしょうか。

   
               これが天安門

 帰途、太原から北京へは新幹線でした(往路は飛行機)。
 太原駅でお世話になった通訳の温さんや、企画からあれこれの世話を全てしてくれたNさんともお別れです。温さんはもともと太原ですが、Nさんはこれからあのナツメの実る山の村、賀家湾まで帰るのです。
 本当にお世話になりました。おかげで生涯忘れがたい経験をすることが出来ました。
 別れは慌ただしかったのですが、感謝の意は通じたのでしょうか。
 この人達と別れていささか心細くもなりました。

   
          天安門広場に面した人民大会堂

 こちらの新幹線は身分証明がないと乗れないので、予め日本からパスポートのコピーなどを送って予約をとったものです。
 結論をいうととても快適でした。なめらかに滑るような運行ぶりで、時速は200キロ以内に抑えられているようでした。各車両ごとに乗務員がいてまるで航空機並みです。

   
         正陽門前楼とチンチン電車のコラボ

 北京西駅に着いたときにはもうすっかり陽が暮れていました。
 地下鉄にするかバスにするかで迷った結果、結局タクシー2台に分乗してホテルへ向かいました。
 夕方のラッシュ時とあってどこも大渋滞です。片道5車線の道路もびっしり車で埋まっています。
 なにがなんだか、どちらへ向いているのかもわからないまま夜の街を眺め、ホテルに着きました。
 もう一台の方は先についていて、そちらは51元、私たちの方は71元、はてなマークが頭をよぎります。

   
       北京の中華街 ではなくてこちらが本家本元

 ホテル近くの屋台に毛が生えたような所で夕食をとることとし、小籠包や餃子、その他の一品料理や麺類を頼んだのですが、出てくるのが早いこと、早いこと。
 メニューを指さすとサッと魔法のように料理が出てきます。
 うっかり、これにしようかなと迷ってメニューに指を這わせていると、それがもう出てきてしまいます。

 価格は実に安いのです。小籠包や餃子は小さい蒸篭に何個か入って5元(約60円)その他の単品でも高くて8元(96円)、ビールは4元(48円)です。
 かなり飲んで食べたのですが、日本円にして一人250円ほどでした。

 もちろん既製品ではなく完全な手作りです。私たちが食べている横で懸命に粉を練り上げていました。
 安いのは家族経営だということもあります。店の人たちがみんな同じ顔をしていてなんだか微笑ましく思えました。

   
            10元(=120円)ショップ

 翌朝、東京組は早い出発でしたが、私たち名古屋組は午後の便でしたので、私のたっての希望で天安門へ行くこととなりました。
 都市化されきった中心街はともかく、数々の歴史の舞台になったここだけは見ておきたかったのです。
 残念ながら故宮を見物するだけの余裕はとてもなかったのですが、天安門広場を抜けて正陽門に至り、その南方に広がる旧市内というか観光客目当ての商店街は見ることができました。
 この辺は中国各地からはもちろん、世界中からのオノボリさん(もちろん私たちも)が溢れていて、中国滞在の最終日にしてはじめてお目にかかった雑踏でした。

   
             前門大街商店街の雑踏

 かくして賀家湾村から北京に至るめまいのするような多様性や落差を見てきたのですが、それすらもこの広大な中国にとってはほんの一部にすぎないのです。
 帰国してもう10日経つのですが、攪拌された頭脳はなかなか元に戻りません。
 人間が生み出すこの多様な文明というもの、それらを絶えず変転のうちへぶち込む歴史という怪物、その前で自分がいかに卑小であるか、またこれまで、どれだけ少しのものしか見聞して来なかったかをまざまざと知った旅でした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする