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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

山西省 山の人々 <付・北京にて>

2011-11-08 01:53:23 | 写真とおしゃべり
 こちらを出るとき、ちゃんと向こうの人に挨拶ぐらいはできるようにと、「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」などを覚えようとしました。
 そしたら、現地にいるNさんが、「そんなものはいらない。せいぜいニーハオで、それすらも必要がなく、にっこりするだけでいい」といわれました。
 それなら「百万ドルの笑顔」といわれた私のこと、大安心です。
 事実そのとおりでした。
 私の「百万ドルの笑顔」に相手は「二百万ドルの笑顔」を返してくれました。

      

 しかし中には泣かせてしまった人もいます。
 92歳の老人の一人暮らしで、私たちがそのヤオトンを訪ねた時、だれも居ないのかと思いました。しかし隅のほうで猫と寝ていた老人が、前に取材にきたNさんのことをかろうじて覚えていて、延々と涙混じりに語りかけてきました。
 私がそばに座ると私の手を握りながらしきりに話しかけます。
 通訳によると太原の人が綿入れを持ってきてくれたとかそんな話なのですが、それを堰を切ったように話すのです。
 
             
                       泣いてしまった老人 離れ難かった

 すぐとなりに息子さんが住んでいて、衣食住最低限のケアーをしてはいるのですが、それだけでも大変で、メンタルな面にまではとても無理なのです。
 下手をするとこの老人は、何日間も人と会話をしていないのかも知れません。
 目ももう見えず、耳もあやしいとのことです。
 立ち居振る舞いも杖にすがってやっと何歩かを歩けるくらいです。

       
          ヤオトン民宿の女将と隣のおじさん      元教員のインテリ 新聞や雑誌があった    

 これに比べたら、私たちが容易に使う「孤独」などという言葉はまったく贅沢なものです。
 握られた手を振りほどいて帰るにはつらいものがありました。
 不覚にも涙をしました。

       
      黄河河畔の屋台のお姉さん 手さばき鮮やか        親切に説明してくれ自慢のぶどうをくれた

 反面、天秤棒を担いだ、まだあどけなさが残る女性の笑顔にはずいぶん癒されました。
 しかし、この娘だって一つ前の写真を参照していただけばわかるように、かたや千尋の谷という崖の細い道を重い荷物を肩に運んでいるのです。

  
                                 この屈託のない笑顔が素敵
 
 この集落に住み、あのにぎやかな葬式で旅立ちたいという思いもあるのですが、それにしてはヤワな文明や技術に毒されてしまっている身、おそらく今回の旅ぐらいの期間が限度だと思います。

             
                この子たちが大きくなるときにはどうなっているのだろうか

       
            <おまけ・1> 天安門の衛兵       <おまけ・2>天安門見物に来た少数民族
コメント
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