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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ナツメの実る村・ 賀家湾村のお葬式

2011-11-06 03:58:01 | 写真とおしゃべり
 山西省の省都・太原から車で数時間、北へさらに数百キロ走れば内モンゴルかというところに賀家湾村があります。
 賀家「湾」というから水に縁があるところかというととんでもない話で、人々は庭に傾斜をつけ、雨水を井戸に溜め込み、その上澄みを使います。
 それでも足りないので、下から給水車が来ます。

 その村へ着いた途端、賑やかな楽隊の音が聞こえます。その音は遮るものがないまま、山々のてっぺんまで作られたすべての畑に届きます。
 お葬式なのです。

     
 この白い提灯はお葬式があるぞという知らせです。

     
 花輪は日本と似ていなくはありませんがはるかに色彩が派手です。

     
 黒い門のようなものは空気でふくらませたもので、葬儀が終わると空気を抜いて撤収します。

     
 楽隊が演奏しますが決してしめやかな曲ではなく、アップテンポのにぎやかな曲です。

        
 この人が喪主ですが、カメラを向けるとさっとこちらへ向けてポーズを取ります。

     
 楽隊が交代し、今度は女性の太鼓手の勇壮な演舞です。

     
 白い装束の人たちは遺族や親族です。

        
 これがお葬式があった家の装飾です。

     
 祭壇はしめやかというよりきらびやかな感があります。

     
 遺族や親族が村を一周します。

     
 楽隊もついてまわります。

        
 一方、山のほうでは遺体を埋める墓穴が掘られています。
 ここは綿畑の真ん中ですが必ずしも遺族の土地ではありません。
 この場所は風水師が決めます。
 この決定にはだれも逆らいません。逆らえば、今度自分の家族がなくなったとき埋める箇所がなくなるからです。

        
 黄土高原の土質は掘り進むには適しています。
 縦に2メートル以上堀り、さらに横穴を掘り、そこへ遺体を収めます。
 
     
 これはその近くにある少し前にできた墓で、綿畑の真ん中にあります。

        
 さらにこれは、100年以上と言われている墓です。
 (犬は案内してくれたNさんの愛犬「なつめ」です)

 こうした葬儀や墓作りの違い、それは多分、人の死生観(中国では生死観という)の違いでしょう。
 しかし、その違いがなんなのか、私にはそれを解析する能力はありません。
 ただし、村人たちの暮らしぶりを見ているとなんとなくぼんやりとした輪郭が見えてきます。
 
 それは例えば、土から生じ、土に還るということかも知れません。
 還ってゆく人に対してはもちろん愛惜の情は禁じ得ないのですが、一方それは、土と人とが循環してゆく摂理の実現であり、「ことほぎ」の一種であるのかも知れないのです。

 ほかにもいろいろ細々とした取り決めがあることを教えてもらいましたが、煩雑になるのであえて書きません。
 私も願わくばこのように葬られたいと思うのですが日本では無理でしょうね。

 


*現地のしきたりに詳しいNさんから、以下のようなコメントをいただきました。そのまま掲載します。
 
 「あの故人の写真を持っている人は喪主ではないのです。こちらでは喪主というのは日本のようにはっきり決まっているわけではなく、だいたいは子どもたちのうちの男性たちとか、男が少なければ女性も入るし、特に限定されるわけではなく、複数です。

 写真を持つのも、特に決まっているわけではなく、だいたいは男の内孫が、写真が持てるほどに大きければ(7、8才くらいとか)その子が持つし、孫がまだ小さければ息子の内の若い方が持ちます。場合によっては女性のこともあります。ここらへんの役割分担というのは、割合にいい加減です。」

コメント
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