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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

白川公園の履歴書といまの寸景

2009-09-10 16:30:38 | 想い出を掘り起こす
 この近くで行われる会合に出席するためでかけたのですが、少し前に着いたので、久々に白川公園へ行きました。行ったといっても、その公園の東の一角を覗いただけです。

 名古屋の中心地に近いこの公園は、広大なグランドと科学博物館、市立の美術館などを含んだ結構広い地域なのです。
 歴史的にも波乱含みな面を持っています。
 そもそも発端は、1942(昭和17)年、紀元二千六百年記念事業の一環として造られたのですが、戦況の悪化につれ、たちまち防空公園と改称され、造園わずか三年後には、敗戦によって米軍に接収され、アメリカ軍の家族が住むアメリカ村と変じたのでした。

 
             公園を清掃する人たち

 私が最初に名古屋へ出た1950年代には、鉄条網に囲まれた「アメリカ」がそこにはありました。酔っぱらった左翼青年たちがそこを通りかかるとき「ヤンキー・ゴー・ホーム」と呟くのですが、大声にはなりませんでした。なぜなら、銃を構えたMPが四六時中鉄条網の周辺をパトロールしていたからです。
 「アメリカン・パトロール」といういかにもアメリカ的な軽快な音楽があるのですが、私はそれを聴くとついその折りのアメリカ村の状況を思い起こしてしまうのです。

    
              清掃のための基地?

 しかし、1958年には返還され、以後、上に述べたような公園としての環境が整えられたのでした。しかし、不況が深刻化するにつれ、この一帯はホームレスの人々の青テントが林立するところとなりました。市は共同住宅の建設など様々な対策を講じたのですが成果を見るところはありませんでした。

 この公園が全国に注目されたのは、2005(平成17)年、愛知万博に際し、機動隊を動員しての強制執行が行われ、青テントが根こそぎ撤去されたときでした。その後、テントが撤去された跡地へ行った私は、その痕跡も残らないほど整備されたあちらこちらに、「植物保護のためにここへは立ち入らないで下さい」の看板を目撃し、その狡猾な言い回しの中に「お上の言葉」を見たのでした。

 
              野良猫ですが、何か?

 そんなこともあって、久々にこの公園の一端を覗いたのですが、さすがに前のように頑丈な青テントはありませんでしたが、ちょっと強い風が吹くと吹っ飛びそうな段ボールハウスをひとつ見かけました。チクる結果になりますので写真は撮りませんでしたし場所の詳細も言いません。

 ちょうど昼休み時とあって、コンビニ弁当を掻き込むサラリーマンや、おままごとのようにシートを敷いて弁当を楽しむOLたちの姿も見かけました。
 野良猫も見かけたのですが、ここの野良猫は至近距離まで近づいても逃げません。この公園で何かを食べる人たちのおこぼれを頂戴して生活している猫チャンたちは、人影に怯えて逃げ回るようでは生きて行けないのです。

 
       赤い日本。右翼の人が気を悪くしないだろうか?

 大きな地球儀様のものがあって、日本の所は赤く塗ってありました。
 はじめて国民学校へ入学したおりの世界地図を思い出しました。それは日本列島はむろん、台湾から朝鮮半島、そして中国大陸も真っ赤に塗られたものでした。
 この白川公園の歴史と重ね合わせてみると、感慨深いものがあるように思います。

 ともかくするうちに、集会の時間が近づいたので、この公園に別れを告げたのでした。




コメント (4)
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